buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

尖った形の

 共感、いちばん要らぬ概念。

特に旅に出るわけでもないのに立ち寄る空港ってワクワクするねとか、雨の匂いってあるよねとか、そういう陳腐な詩情をありがたがる世界線で生きてない。

自分へ。これから気持ちがひよりそうになったら、是非ともこの自分が書いた文章を思い出してほしい。

鼻ピアスは私にとって自由と能動性の象徴であった

 セプタム(鼻中隔)とノストリル(小鼻)にピアスをつけていると、何故そんなところにピアスをつけようと思ったのか?と問われる事が多い。その度に深く考えず「カッコいいと思って」「なんとなくノリで」みたいに答えてきたのだが、私の鼻ピアスへの憧れは小学生から中学生ぐらいの頃(1990年代から2000年代初めにかけて)に生じたのでは?ということに最近思い至った。

 

6歳上の兄は昔からストリート系のファッションや音楽をはじめとするアメリカの若者文化に興味があって、本棚にはそういったジャンルの音楽CDや雑誌類が揃っていたので私もたびたび手に取って影響を受けていた。兄は特にwarp MAGAZINE JAPANというアメリカ西海岸のユースカルチャー(主にスケボーとかクラブ文化とか野外フェスとかサーフィンとかストリート系ファッションとか)を取り上げた雑誌を愛読していたのだが、その中にセプタムピアスをつけた一般人のスナップ写真が写っていて、私はそのことをずっと覚えていたことにふと気がつき「ああ、これだったのか」と合点がいった。私はけっこう鬱屈した幼少期〜思春期を過ごしてきてて、自己表現がうまくできないとか親に対して自分の考えを言えないとか友達付き合いがわからないとか、そういった感じの悩みを抱えていた。なんというか、自分の人生が自分の手の中には無いという心許なさが常にあった。そんな中で偶然目にしたセプタムピアスの人が、まあ単純に視覚的にカッコよかったというのもあるが「じぶんはこういうファッションをしたいからやる」という自由さと意志を醸し出していてカッケーと思ったのである。当時アホなガキだった自分がそこまで自己分析的に思索していたわけではないが、今振り返るとそうだったんじゃないかなと思う。

時は流れ、35歳とかになった自分はめでたく鼻にピアスを開けた訳だが、それを受け入れさせるべく職場の人たち、友人、親戚などに適宜プレゼンを行った。ちょっと奇抜なファッションかもしれないが質の良い仕事や社会生活を問題なくこなせること、人間関係もこなせること、むしろ自分が好きなファッションをすることで気分がアガり諸々のパフォーマンスが向上すること。それを普段の立ち居振る舞いで理解させた。人によっては私の外見から威圧感をうける可能性があるので、いまも意識的に明るく感じ良く振る舞う努力などをしている。その結果「あの人はああいう人だから受け入れよう」という認識が私の周りで形成され、けっこう快適な生活を送っている。そういうのをぜんぶひっくるめて、私のつけている鼻ピアスは自由と能動性の象徴である。

 

いまも、あの雑誌に載っていた素性のわからないセプタムピアスの人を思い出す。場所は夜のクラブ。赤毛でワンレンのショートカットで目もとを黒く塗りつぶし、性別すら分からない。同じような風態の仲間に寄り添われながら、無表情でこちらを見ている。あの人はいまどこでどんな風に暮らしているだろうか。warp MAGAZINE JAPANは残念ながらいま廃刊だか休刊だかになっているらしい。グレイシー柔術の技のレクチャーが紹介されてたこととか、DJのひとが「バニラシェイクに砕いたオレオを混ぜて飲むと旨い」とコラムに書いていたことなども懐かしく思い出す。

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創刊号の画像らしいです

 

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私の鼻ピアスです

〽︎死んだはずだよお父さん

前に書いた日記と内容が被るが、気にせずにまた書く。

最近またちょいちょい亡父の夢を見る。亡父が出てくる時の夢はだいたい決まっていて、沖縄の実家が舞台である。他の家族もいる。で、病気である(父の死因は病気。入院→自宅療養中にトイレで倒れて病院に運ばれてそれっきり)。夢の中の亡父は家の中でふつうに生活したり、居眠りしたり、ちょっと庭に出たりとかそこまで車で出掛けていたりする。夢の中で私は「あれ?お父さんってむかし病気で死んだはずでは…私の思い違いで、奇跡的に助かってたのかな…でも相変わらず病気だから気遣わなきゃ…」みたいな落ち着かない心理状態で過ごしている。父がいるのは嬉しいがまたいつ倒れるかわからないから私は談笑しつつも常に緊張している、そんな感じ。とくにこれといったストーリーは無く、亡父とその他の家族と日常を送り、ふとした瞬間に目覚めて「なんだ、やっぱりお父さんはもう亡くなっているんだ」と確認し、さびしさと安堵が混じった感情に束の間襲われる。悪夢とまではいかないが、結構消耗する夢である。今思い出したが最近Huluで『モスラ』という映画を観て、むかし亡父がおどけて羽化したモスラの物真似をしていた時のことを兄とLINEで話したので脳に亡父のイメージが刻まれ、そういう夢を見たのかもしれない。次は『ゴジラvsモスラ』を観たい。

他人の詩にときおり打ちのめされている

 K君は凄い警句や詩を何気ない会話の流れでごく自然に吐くので敵わないなと思う。互いに住む街の駅前の話になり、

「駅前に大きな精神病院があって、そこの入り口に早朝から列ができていて、みんな喫煙しています。その道の排水口は吸殻だらけです。物心ついたときからその風景を見ていました」と言われて打ちのめされた。そんなの、もう詩であり絵画じゃないですか。

 

ポエトリー

もう一度見たい夢

・砂漠の砂になって3000年過ごす夢

 

・何もない部屋の中で球体、四角錐、立方体、円錐…と絶えず変形し続ける夢

 

・夜の世界で、惑星がどんどん近づいてくる夢

 

・宇宙エスカレーターをひたすら歩く夢

 

・空気のプールを泳ぐ夢

 

・巨大な氷の橋を見上げつつ、ウサギとカメが夜の世界をひたすら歩く夢

 

どの夢もすごく気持ち良かった記憶があるので、また見たい。しかし、いずれも鬱の症状がひどい時に見た夢だというのが不気味である。

ダンスフロアで棒立ち

 友達のNぼんの話をしようと思う。

 

 Nぼんと最初に会ったのは、大好きな作家が開いた読書会だった。海沿いの小さなカフェが会場だった。受付は始まっていたが、開始まではだいぶ時間がある。春の暖かい日で、暑がりなうえにあがり症の私は汗をだらだら流しながら席に座っていた。課題図書は中原中也の詩集で、私は申し訳程度にページをめくったり手帳を取り出したりしていたが、完全に気もそぞろだった。と、同じテーブルに相席していた長い髪の女性が

「ここ、暑いですよね」と微笑みかけてきた。それがNぼんだった。私は少しほっとした気持ちになって、主催者である小説家のどの作品が好きかとか、今回の課題図書の感想とか、こういう会に参加するのは初めてだとか、会が始まるまでの30分間小声でポツポツお喋りをした。楽しくエキサイティングな会が終わった後もしばらく会の感想などを言い合ったりしていたが、せっかくだから近くで一緒にお茶でも飲んで話しますか、ということになった。こういうイベントで近くに居合わせた知らない人と軽く雑談するのは珍しいことではないが、大抵散会と同時に「じゃ」と別れることになるので、Nぼんとの出会いの時のようにいきなりお茶を共にしたり連絡先を交換したりすることはかなり稀である。Nぼんは小説や音楽や詩や映画に詳しくて、話していてすごく楽しかった。中原中也の解説本や動画のリンクも教えてもらった。彼女は都会暮らしで私は山に囲まれた田舎住まいだから2時間程度話してその日は別れたわけだが、帰った後も頻繁にメッセージをやり取りした。Nぼんとはメッセージのやり取りのする時の感覚も奇跡的に合っていて(気を使いすぎなくていい、話が盛り上がるときは盛り上がるけど切り上げるタイミングはお互い好きなように決めるし、沈黙が続いても間があいても互いに平気)、こんな出会いがあるんだな~と思った。

 しばらくして、Nぼんに一緒にライブハウスに行って音楽を聴かないか?と誘われた。大好きなくだんの作家が執筆活動と並行して音楽活動をしていることは知っていたが、私はなにぶん都会的な遊びに苦手意識が強いもので今までライブイベントなるものにはとんと足が向かなかったのだ。でもまあ気になっていたのは確かだし、Nぼんも絶対楽しいよと言ってるし一度行ってみるか、と思って行ったらすごく楽しくてハマってしまった。Nぼんと一緒にくだんの作家氏 (めんどくさいから以降M氏とする) の音楽ライブに何回か行って気づいたことがある。演奏中、多くのお客がほぼ棒立ちなのである。遊びに疎い私でも、ふつう音楽ライブでは客が曲の調子に合わせて踊るものだくらいのことは知っている。おそらく、M氏の小説の読者からスタートした人たちがライブでもメインの客層を占めており、そういう人たちは読書や思索には長けているがライブハウスなどで体を躍動させることに慣れていないのである。私もそのたぐいの人間だから分かる。なにしろ、ライブ開始前の時間に立ったまま文庫本(さっと見渡したところM氏の著書ばかりであった)を読んで過ごしている人だらけなのである。一方、Nぼんは踊りがめちゃくちゃこなれていて格好良かった。棒立ちや、ぎこちなくユラユラ揺れるのが精一杯のオーディエンスの中にあって異彩を放っていたと言ってもいい。あとで何か踊りをやっているのか訊いてみたところ昔からダンスをやるのも見るのも好きだということだった。他にも、日常的にジムなどで運動したり山登りに挑戦したりしていて、体を動かすという行為が自然に生活に馴染んでいる人なのだなと感心した。体を動かすことと立ち居振る舞いとが精神と密接に繋がっていると認識するきっかけをくれたのは、Nぼんである。

 あと脈絡がない上に変な話だが、何回か会ううちにNぼんがめちゃ美人なことに気が付いた。たぶん初対面の時は私の精神がいっぱいいっぱいすぎてジョセイ、ニンゲンぐらいの情報しか処理しきれていなかったんだと思う。生まれもっての人体のパーツの形状がどうとかいうのははっきり言ってどうでもよく、彼女の所作や姿勢の潔さ、精神および身体活動の活発さが美しさに直結しているのだと感じる。

 その他Nぼんの良さとしては、とにかく自由であることが挙げられる。一緒にライブへ行くのに「直前までジム行ってたんだ~」とラフな運動着で現れてそれがまた格好良かったり、二人で会っても「わたし、ちょっとこっちのほう見てくる」と単独行動を始めたり、共通の友人との用事の後でじゃ、このあと食事でも行きますう?みたいな雰囲気のときに「わたしこの後寄席に行く予定があるんだ!じゃね!」と颯爽と去って行ったりするので非常に面白い。彼女の自由さから学ぶこともまた多い。印象に残っているのが「友達と飲んでいて、その場の話題が下品でつまらなくなってきたなと察した時点でソッコー帰る。マジで下品な話が好きな人多いよね」と言っていたことである。なんかもう、いいな~!!いいね~!!という感想しかない。そんな彼女を見習って、最近はグループで話していてS?M?とか誰それは愛人を囲っているらしいとかのクソつまらない話題に堕ちてきたらさっさとその場を去るか、あからさまに興味ない感じをだしつつスマホをいじることにしている。確かに精神衛生上とてもいい感じである。

ウサビッチ(アニメ)の良さを熱く語る②

season1,2について。ネタバレあり。

 

season1 二羽の監獄生活

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 舞台は旧ソ連の監獄。元マフィアの死刑囚キレネンコと、かなり理不尽な理由で懲役刑を食らったプーチンの暮らしぶりが描かれるが、重苦しさや悲愴感は微塵も無くひたすらコミカルなドタバタ劇が続く。

 1話あたり90秒という尺、意味のある会話がほぼ無い(せいぜいプーチンの呻き声、歓声、悲鳴、鼻唄くらいである)という制作上の縛りを活かし、キャラの動き・場面転換・構図・効果音を非常に工夫しているのが見てとれ、感心してしまう。

 定番のストーリー展開は、看守がプーチンをおちょくる→プーチン困惑→看守が同じ要領でキレネンコをおちょくろうとする→怒ったキレネンコに反撃される という流れである。プーチンは大抵、ゴハンに入っていた不味そうな魚を食べようとして尾びれで頬をしばかれて食べられなかったり(生魚なのかよ)、雑なお風呂の入れ方をされて物干しに吊るされたり、看守とのギャンブル対決で大負けして素寒貧になったりとかわいそうな目に遭うのだが、一方でキレネンコは看守をボコボコにして旨そうなにんじんステーキを食べたり、看守にシャワー係をさせて優雅に入浴したり、ギャンブルで圧勝して悠々と札束を数えていたりする。このへんの、プーチンの間抜けさとキレネンコの切れ物っぷりの対比が笑いどころであろう。これらキレネンコが受ける厚遇をプーチンが羨ましがる様子が一切ないのがまた気持ち良い。キレネンコはキレネンコ、自分は自分と割り切っているのだ。あと印象に残っているのは、わりと楽しそうに監獄内でのあらゆるアクティビティに従事するプーチンの上機嫌さ(看守が現れると必ずシュバババと勢いよく近寄って目の前で踊るので、看守が若干ひいている)、わりと大人しく?収監生活に甘んじていたキレネンコが、スニーカー雑誌でお宝スニーカーが近日中に発売されるのを知って壁を破壊しあっさり脱獄する最終話。いや、その気になればすぐ脱獄できたんかい!そしてプーチンは普通に部屋の中にいればあと2、3日で刑期満了なのに、なぜ自然にキレネンコについて行く!まあ、この特に気負いなく厄介者のキレネンコについていくプーチンと、それを全く気にしていないキレネンコの関係性はいいな〜と思う。

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season2 スニーカーを求めて逃避行

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 たまたま通りかかった車を拝借し、キレネンコ垂涎のお宝スニーカーを買える街を目指しつつ、民警の追跡をかわしつつの逃避行。もちろん、深刻さは一切ない。

 season2で特筆すべきは、キレネンコとプーチンの関係性が少し変化することと、敵役の民警コンビの不屈さであろう。

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最初はキレネンコが運転しているのだが、ストーリーが進行するとプーチンが運転してキレネンコはスニーカー雑誌を読んだりスニーカーの手入れをしたりして過ごすようになる。

 

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また、プーチンが車含む機械類全般の修理・改造に長けていることがわかり、キレネンコはプーチンに車の修理や改造を任せ、時にはパワーアップのためのパーツを調達して提供したりもする(相変わらず荒っぽいやり方だが)。

この辺、話が進むにつれてキレネンコがプーチンに対して若干興味を示すようになったのかな?信頼度が上がったのかな?と想像しながら観るのが楽しかった。

 

追跡者である民警コンビの健闘ぶりも見逃せない。ボリスとコプチェフ。

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キレネンコはギロチンでも兵器でも死なない最強無敵チートキャラな訳だが、臆することなく何度でも攻撃を仕掛けてくるところが天晴れだと思う。

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しかし最終的には民警全滅……。

 

 

特に気に入っている描写

その1

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タイヤがパンクしたりエンジンが故障したりしても、不機嫌になるどころか鼻唄まじりで修理にいそしむプーチン&任せっきりのキレネンコ。そしてそれに文句を言わない、気にすらしていないプーチン。徹底した他者との線引き・個人主義が潔い。

 

その2

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プーチン魔改造し過ぎた車のスピードに耐えられず、頭が一部もげて瀕死になってしまったキレネンコ。折悪しく本気を出した民警の銃撃で粉々になる車体。

からの、

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プーチン渾身のキレネンコ救助&車の再構築。キレネンコは致命傷を負っても損傷部位を接着して時間をおけば復活するようだ。まぁこの後、頭のパーツがちょっとずれてくっついてました〜というオチ付きであるが。

 

その3

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プーチンが車の改造中、キレネンコの大切なスニーカー雑誌に誤って穴を開けてしまいキレネンコに怒られるという珍しいシーン。(キレネンコは普段プーチンのすることには無関心というか寛容で、プーチンが踊って騒いだり荒い運転をしたりしても怒らないので怒るのはよっぽど珍しいのだ)

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恐ろしさに耐えきれず、お得意の改造で仕込んであったパラシュート脱出装置で逃げるも、落下地点には鬼の形相のキレネンコが…というオチ。

 

監獄内で暮らしていた season1に比べて、プーチンが意外と器用で土壇場に強い特長とかキレネンコ&プーチンの関係性の描写がこまやかになったところが season2の見どころかと思う。

ウサビッチ(アニメ)の良さを熱く語る①

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ネタバレしまくりです。

season0を通販の中古で買ったらレンタル落ち品で、ツタヤとかで借りパクしたみたいになってしまっているがちゃんと買ったものです!

 

 

2006年から2015年にかけて断続的に発表されている日本のアニメ作品である。

登場する主要キャラクターがほぼ兎、一話あたり90秒という尺の短さ、ほぼ会話やセリフがなく効果音やCGやBGMによるリズミカルで奇想天外な演出が行われている等の特徴がある。

 

おおまかなストーリー

旧ソ連の監獄が舞台で、元マフィアのボスで死刑囚のキレネンコと、善良な市民なのに一度だけ二日酔いで仕事をサボってしまった為に「この資本主義者め」(!?)とばかりに3年間の懲役を食らってしまったプーチンが獄中で繰り広げる愉快な暮らし・脱獄後の流浪の旅の模様が描かれる。

 

season1…獄中でのドタバタ喜劇

season2…逃避行と、追跡してくる民警との対決

season3…キレネンコがお宝スニーカーを求めてマフィアのボスと対決する

season4…マフィアのボスに勝ってお宝スニーカーをゲットした後の、アジト跡地でのほのぼの生活

season5…森の中でのほのぼの生活

season 0…外伝的な位置づけ。キレネンコとプーチンの両者がどのように投獄されたか、どのように出会ったかが描かれる

 

今回は主要キャラとサブキャラについて書く。season1,2が中心となる。

 

 

主要キャラ1・キレネンコの紹介

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極悪マフィアの元ボスで、部下の裏切りに遭い双子の兄もろとも爆殺されたが、飛散した体を何者かによって継ぎ合わされて復活すると同時に死刑囚として投獄された。手術の際体のパーツがあちこち双子の兄と取り違えられている為、つぎはぎボディとなっている。

極めてマイペースで物静かな性格。無類のスニーカー好きで、たいていスニーカー雑誌を読んだり収集したスニーカーの手入れをしたりして過ごしている。他者には(たまに再会する双子の兄や常に行動を共にするプーチンを含め)全く興味がなさそうである。腕っぷしが強く無敵で、虐めてくる看守達をことごとく返り討ちにしている。あと、どんな処刑道具でも兵器でも死なない。たとえ死んでもすぐ復活するので実質不死身。にんじんステーキが好物。

 

主要キャラ2・プーチンの紹介

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善良で気立ての良い、ちょっと間抜けな兎。仕事を一度サボっただけで懲役3年の憂き目に遭うが、獄中に迷い込んできたカエル(レニングラード)やヒヨコ(コマネチ)に構ったり、おやつとして支給される角砂糖をストックして舐めるのを楽しみにしたり、わりと監獄ライフをエンジョイしている。極度にマイペースなキレネンコのことが気に入っているようで、何となく気にかけて行動を共にしている。手先がとても器用で、車などを瞬時に改造できるほどの技術力を持つ。機敏な動きでピンチを切り抜けたり、ちゃっかり不死身のキレネンコを弾除けにしたり、臨機応変な一面もある。

 

 

サブキャラたち

 

・カエルのレニングラード

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監獄内に紛れ込んだカエル。彼を見つけて気に入ったプーチンが秘蔵の角砂糖を分け与えたりするうちに仲良くなり、仲間というかペットというか…な関係になり、プーチン&キレネンコと行動を共にしている。貪食で、後述のコマネチ(ヒヨコ)を餌と認識してたびたび捕食する。

 

 

・両性具有ヒヨコのコマネチ

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プーチンが獄中でヒヨコ雌雄選別の労働をしている際に登場した、オスともメスとも判別できないヒヨコ。被虐嗜好があり、キレネンコにしばかれたりアクシデントで痛い目に遭ったりする度に恍惚の表情をしている。レニングラードに食べられた後もウンコ化して甦ったり、たとえ死んでも他の生き物に憑依したり頭上に天使の輪っかを載せた状態で活動していたり…あまり死が重みを持たない世界なのかもしれない。ドラゴンボール的な。

 

 

・カンシュコフ(堅牢な盾を持つ看守たち)主にseason1

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ドア型の盾を構えた五羽兄弟の看守兎たち。最初は単に制服姿だったが、キレネンコの破壊力が危険過ぎるため常に盾で防御しつつ業務にあたるようになったことがseason0で示唆されている。

入浴、食事、体操など囚人の世話を受け持つ一方でいたずらを仕掛けていじめてきたりするのだが、キレネンコには通用せず毎回返り討ちに遭っている。娯楽の時間にはカードゲームの相手をしていたりもする。

 

・ショケイスキー、死刑執行者、season1

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キレネンコの死刑執行を試みるが、ギロチンは歯が立たず毒ガスも効かず、逆に毒ガス返しを食らってダウンしてしまう。

 

・ボリス&コプチェフ(民警コンビ)主にseason 2

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脱獄囚であるキレネンコとプーチンを追う、民警コンビ。腕利き狙撃手のボリス(左)と名ドライバーのコプチェフ(右)であるが、キレネンコ相手に苦戦を強いられる。マシンガン、ロケットランチャー、装甲車などで果敢に攻撃を仕掛けるも、必ずキレネンコに返り討ちにされてしまう。

 

 

キレネンコ&プーチンの対比、関係性が生む魅力

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キャラの造形について。キレネンコが耳に安全ピンをつけていてスニーカーを好んで履き黒目が艶消しで魚のように無表情であるのに対し、プーチンは耳を結びサンダルばきで黒目はツヤツヤ輝き頬には赤みがさしている。得体の知れないキレネンコと、いかにも朗らかで上機嫌そうなプーチンの組み合わせは非常にバランスが良い。

二羽の関係性も、ベタベタせずあっさりしているのが良い。キレネンコの方は、なにしろスニーカー以外のことにほぼ興味がないのでプーチンのことも基本空気扱いなのだが、監獄では一緒に卓球やビリヤードに興じたり、逃避行をするうちにプーチンに車の運転や改造を任せるようになったり、プーチンが突然リズムに乗りだして荒っぽい運転をしても気にしていなかったりと「ある程度気を許してはいるのかな」と思わせるところが良い。

プーチンは純粋にマイペースなキレネンコのことを気に入っているようで、アイツは強いから一緒に居たら安全そうとかギャンブルも強くて金を貯めているから気に入られようとかいう打算的な考えが一切なく(むしろ彼と一緒に居ることで危険な目に遭うことが多いにも関わらず)、ごく自然に一緒に居る。まぁ、兵器などのトラップがある場所ではちゃっかりキレネンコを盾にしてはいるのだが。プーチンは手先も器用だし機転もきくし人好きのする性格だし、塀の外でも全然ひとりで生きていけるだろうに「オレたち友達だろー!?」とウェットな愁嘆場を演じることもなく当然のようにキレネンコと一緒に居て、そこが良い。というか、キレネンコが新作のスニーカーを買うために壁を壊して脱獄したときだって彼について行かず留まっておれば2、3日中には刑期を終えて自由の身になれるタイミングだったのである。そこでキレネンコにフツーについて行ってしまうところが良いな、と感じた。

 

つづく

父の教育と、与えられた本

一度、2014年に書いて下書きに戻したり出したりしていた記事の再掲である。

 

 

・快楽殺人の心理ーFBI心理分析官のノートより(著 ロバート・K・レスラー他)

・マインドコントロールの恐怖(著 スティーブン・ハッサン)

 

以上二冊が、私が小学生高学年の頃に父から渡されて読んだ本である。

父の教えは色々あったが、なかでも徹底して幼少の頃から叩き込まれたのが

「人間というものは、全員弱みにつけ込んでくる敵だと思え!」

「人を信用するな!」「カルト宗教はゴミ屑だ!」

 

の三点である。蓋し至言であると言えよう。上記の書籍は、その教えの延長として読まされたのであろう。

って、なにも小学生の時点で読ませる本じゃなくね?という気もする。

教育熱心な彼は他にも色々本を与えてくれて、他はまぁ無難なファーブル昆虫記とか世界文学全集とかだったりしたのだが、冒頭の二冊は特に強烈なインパクトを私にもたらしたのだった。

おかげで、いまでもちょっと人と関わるだけで凄く緊張したり、この人いまはいい顔してるけど、自分に利益がなくなったら容赦なく切り捨ててくるんだろうな~イヤだなイヤだな、怖いな怖いな~(←稲川淳二風に)無償の愛って何なんだろうな~

みたいなうすら寒い想念が頭をよぎってしまう。疲れる。

 

父のエピソードはまた改めて詳しく文章に書き残しておきたいが、

決して意固地な人嫌いではなかった。

教師として働き、社交的で、同僚にも職場の外にも沢山友人がいたし、

ユーモアが好きで話題が豊富だった。政治経済や学問のかたい話もしたし、バカ話も好きだった。明るくて、子供から年配の人にまで好かれる性質だった。

そんな人が、わが子に人間賛歌的なぽじてぃぶな書物ではなく(なんだろう、例えばマザーテレサの伝記とか?)、敢えて人間の暗黒面・おぞましさを分析する書籍を与えたことについて、一体どんなことを思ってのことだったのか、と考えている。

 

父の意図がどこにあったのか不明にせよ、人間の暗黒面・負の側面に惹きつけられるという私の志向性は、父の教育に端を発しているのかもしれない。31歳のいま、私は欧米の殺人史を読んで戦慄し、北九州監禁殺人事件の資料を読んで人間の業の深さに想いを馳せるのである。

父とは私が高校生のときに死別してしまったから、もうこういった話も出来ないのが残念だ。

つい先日、父の命日だった。生きていたら70歳になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

言葉に殺され、言葉に救われる日々

 好きな言葉とそれに対するコメントを並べていく。

 

・天は自ら助くる者を助く

自分で工夫を凝らし熱心に物ごとに取り組んでいると不思議と周りの人がサポートしてくれたり状況が自分に都合よく運ぶことが多い、というのが個人的な実感である。逆に、心身が弱っていて「誰かたすけてくんねぇかな」と思っていると何もかも進捗が無くてうまくいかない。そういう時はあらゆる手段で休息をとり、力が満ちるまで待つしかない。

 

臨機応変

私がリスペクトする人たちの共通点に気づいたのだが、彼らは何らかのトラブルが起きたときには既に起きてしまったことを嘆いたり怒ったり犯人さがしをしてネチネチ責めたてるといった不毛なことにエネルギーを割かず、「どうすれば態勢を立て直せるか」に集中して対応している。のちのちミスした本人を吊し上げて嫌味を言うこともなく、恬然としている。そうすれば、ミスをした本人もペコペコ謝罪することに労力を割かず次回からはこういう対策をとってミスらないようにしようという具体的な行動に集中できるから合理的である。私もそうありたい。

 

・目には目を、歯には歯を

旧約聖書の一節やハンムラビ法典に見ることのできる文句である。私はこの文句の真意を充分に理解していなかったのだが、ポイントは報復そのものの肯定ではなく「仕返しするなら、やられたぶんだけにしときなよ。オーバーキルしちゃダメだよ。たとえば、目を潰されてムカついたからと言って目も鼻も陰嚢も潰す、なんてのは恨みが再生産されてキリがないからね」ということらしい。これがより高次な精神レベルになると「右の頬を打たれたら左の頬も差し出してやりなさい」となるのだろうが、私は聖人になりたいわけではないので別にいい。

 

・夢が無いなら自由だね

テレビを見てて、みやぞんという人が草薙という人の「俺にはおよそ夢というものが無いんです」という愚痴に応えて言ったフレーズで私はいたく感銘を受けたのだが、当の草薙は全くピンと来ていなかった。夢とかいうお題目に縛られずに心の赴くままにその時その時にやりたいことを追求すればええやん?ということらしい。夢を持つことを強制する教育思想に私は懐疑的で、小学生に将来の夢というテーマの作文を強いるなぞ愚行のひとつだと思っているので、そうだそうだ、と内心快哉を叫んだ。ちなみに私には目標がいくつかあるが、夢は無い。そうした方が自分はパフォーマンスが上がると気づいたからである。

 

・神は細部に宿る

多神教とか八百万の神の思想に近いものを私は持っているので、「一柱の絶対的な神の支配が遍く行き届いている」のではなく「数えきれないほどたくさんの神があらゆるところに宿っている」と解釈している。ペットボトルのキャップにも、生ゴミの腐敗汁のなかにも神は宿るのである。

 

・積もったホコリは払えば落ちる

ルジャンドル君と知り合った当初、漢検の勉強中という彼に対し「偉いね。私も漢検の参考書持ってるけど、手つかずでホコリかぶってるよ」と声をかけたら上記の言葉が返ってきて、感銘を受けると同時に己の安易な自嘲を恥じた。何を志すにも遅い早いは問題にすべきでないし、自嘲に頼った処世術はジワジワと自分を腐らせるので、オススメしない。