buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

(つづき)20180922 町田康の講演「文学の面白さ」@NHK文化センターさいたまアリーナ教室

2. なぜ書くことが怖かったか

…偉大な作家の素晴らしい小説を読んでしまうと「文章は貴いものだ、自分なんぞが下手な文を書いては畏れ多い」 という感じが出てくると言っていた。良い文章をよく読み込むということは文章が語る言葉に「耳をすます」ことであり、よい文章を読み込んで耳をすますほど自分が何かを書くことへの畏れが高まっていった。良い文章をどんどん読んでいくとして、どのくらい読んだら自分の文章を書けるようになるのかという葛藤を抱えていたことにも触れた。町田がいまいちだと思う文章について、リアルの出来事をパッパッと出力するような同時中継的な文章は面白くないと思うと言っていた。なにかリアルな出来事が自分に降りかかったら、時間をかけてそのことについて考えて嚙みこなして、その出来事がまさに起こったときの自分と今の自分との時間差・落差を書く、それが小説の醍醐味だと。奇想天外な着想は、それに比べたらほんのフレーバーに過ぎない。よく読むということを身につけていない奴の文章はいくらカッコつけてても読めばすぐわかる、ええカッコするな、ろくに読んでいないことがバレるから。とのことだった。

 

3. 文体の話

...純文学とエンタメ小説の違いについて説明していた(注:純文学の定義ってなんですか?いわゆる大衆小説、エンタメ小説との違いはなんですか?という基本的な情報はネット上でいろんな人が解説しているので、それをいくつか読めばいいと思う)。町田康が書く作品のジャンルは純文学だと考えられる。作者の思考を五感(感覚)を通してかみ砕き文章にする。このプロセスが肝要だ。小説を書くなら、文章を単なる意味や情報の伝達手段とみなすのではなく文章そのものが目的であるという文章でないといけない、という発言が印象的だった。

 

つづく。あと一回で終わらせます。