buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

言葉に殺され、言葉に救われる日々

 好きな言葉とそれに対するコメントを並べていく。

 

・天は自ら助くる者を助く

自分で工夫を凝らし熱心に物ごとに取り組んでいると不思議と周りの人がサポートしてくれたり状況が自分に都合よく運ぶことが多い、というのが個人的な実感である。逆に、心身が弱っていて「誰かたすけてくんねぇかな」と思っていると何もかも進捗が無くてうまくいかない。そういう時はあらゆる手段で休息をとり、力が満ちるまで待つしかない。

 

臨機応変

私がリスペクトする人たちの共通点に気づいたのだが、彼らは何らかのトラブルが起きたときには既に起きてしまったことを嘆いたり怒ったり犯人さがしをしてネチネチ責めたてるといった不毛なことにエネルギーを割かず、「どうすれば態勢を立て直せるか」に集中して対応している。のちのちミスした本人を吊し上げて嫌味を言うこともなく、恬然としている。そうすれば、ミスをした本人もペコペコ謝罪することに労力を割かず次回からはこういう対策をとってミスらないようにしようという具体的な行動に集中できるから合理的である。私もそうありたい。

 

・目には目を、歯には歯を

旧約聖書の一節やハンムラビ法典に見ることのできる文句である。私はこの文句の真意を充分に理解していなかったのだが、ポイントは報復そのものの肯定ではなく「仕返しするなら、やられたぶんだけにしときなよ。オーバーキルしちゃダメだよ。たとえば、目を潰されてムカついたからと言って目も鼻も陰嚢も潰す、なんてのは恨みが再生産されてキリがないからね」ということらしい。これがより高次な精神レベルになると「右の頬を打たれたら左の頬も差し出してやりなさい」となるのだろうが、私は聖人になりたいわけではないので別にいい。

 

・夢が無いなら自由だね

テレビを見てて、みやぞんという人が草薙という人の「俺にはおよそ夢というものが無いんです」という愚痴に応えて言ったフレーズで私はいたく感銘を受けたのだが、当の草薙は全くピンと来ていなかった。夢とかいうお題目に縛られずに心の赴くままにその時その時にやりたいことを追求すればええやん?ということらしい。夢を持つことを強制する教育思想に私は懐疑的で、小学生に将来の夢というテーマの作文を強いるなぞ愚行のひとつだと思っているので、そうだそうだ、と内心快哉を叫んだ。ちなみに私には目標がいくつかあるが、夢は無い。そうした方が自分はパフォーマンスが上がると気づいたからである。

 

・神は細部に宿る

多神教とか八百万の神の思想に近いものを私は持っているので、「一柱の絶対的な神の支配が遍く行き届いている」のではなく「数えきれないほどたくさんの神があらゆるところに宿っている」と解釈している。ペットボトルのキャップにも、生ゴミの腐敗汁のなかにも神は宿るのである。

 

・積もったホコリは払えば落ちる

ルジャンドル君と知り合った当初、漢検の勉強中という彼に対し「偉いね。私も漢検の参考書持ってるけど、手つかずでホコリかぶってるよ」と声をかけたら上記の言葉が返ってきて、感銘を受けると同時に己の安易な自嘲を恥じた。何を志すにも遅い早いは問題にすべきでないし、自嘲に頼った処世術はジワジワと自分を腐らせるので、オススメしない。