buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

読書記録●『医療短編小説集』平凡社

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「ときには本屋や図書館でまったく知らない本を何気なく手に取って読むことが大事な気がする」という言葉を聞いて、ほんとうにそうだなと思った。この『医療短編小説集』は大学附属病院の図書室でふと目についたので借りてきたものだ。いまや本を自分で読む前に感想や評判をネット検索するのが習慣になってしまっているが、今回はそういうことをせず巻末の解説を先に読むこともせず作品を前から順番に読み、手書きで簡単な感想文をメモしていった。英語圏のいろんな作家が書いた医療にまつわる短編のアンソロジーだが、だいたい1800年代~1900年代前半ぐらいの時代が舞台となっている。

 

テーマ1. 損なわれた医師

『オールド・ドクター・リヴァーズ』William Carlos Williams

 名医として伝説になったリヴァーズの若いころから晩年を、語り手(おそらく診療所の助手)が回顧している内容。リヴァーズは基本的には優秀かつ働き者、気さくで手術もうまい医師なのだが、多くの矛盾した要素をもっていてその描写がこの作品の要だと思う。医療による人助けに使命感をもっている一方で残酷で粗暴なふるまいをすることもあったり、安い診療代で貧しい患者を積極的に治療する高潔さを持つ一方で自身は重篤なアルコール・薬物依存症にむしばまれている。激務の合間にちょいと注射器を自分の腕に打ったりお酒をあおったりしては、しゃんとした様子で手術をこなす。さすがに年老いてからはそんな無茶なやり方で自身を酷使してきたツケが出てきて、とんでもない大失態を犯したりするのだが人々の間ではリヴァース先生は大ベテランの素晴らしい名医だという評判が確立されているので適当に流されてしまう。

 

『千にひとつの症例』Samuel Bekett

 難しい嚢腫をわずらっている少年ブレイが病院に運び込まれ、外科手術後の経過観察をドクター・ナイが行うことになる。少年ブレイの母親であるミセス・ブレイは面会時間のあいだじゅう息子につきっきりで、とはいっても黙ってベッドのそばにいて息子の顔を見つめるだけである。回診に来る医師と話すこともない。その特異な様子が悪い意味で他の患者や看護婦(※舞台となる時代の背景により看護師ではなく看護婦表記。以降の他の作品においても同様です)の目につくようになり、病院側はミセス・ブレイに面会に来るのは構わないが午前と午後それぞれ一時間ずつにとどめてほしいと言い渡すことになる。彼女はそれにおとなしく従うが、面会時間でない時は建物の外に佇みずっと病室の窓を見上げて過ごすという行動にでる。息子を想うあまりの行動にしても、どうも不可解だ。そのうち、ミセス・ブレイが幼少期のドクター・ナイの乳母を務めていたことが判明し……という感じで話は進むのだが、なんだかつかみどころがなくて不思議な話だった。ドクター・ナイの幼少期のトラウマ、性的暗喩などといった含みがちりばめられているようだが。ミセス・ブレイが息子が病死してしまったあとも病院の外に佇む日課を繰り返すところはちょっと不気味で良かった。意味は分からんけど。ちなみに作者のベケットは『ゴドーを待ちながら』という不条理劇で有名。

 

テーマ2. 医療と暴力

『センパー・イデム』Jack London

 有能ではあるが冷酷で患者を症例としてしか認識せず、自分の名声と実績にしか興味のないビックネル医師が登場する。名前すらもわからない浮浪者が自殺を企て喉をひどく掻き切って瀕死で運ばれてきたが、手術が成功し男は一命をとりとめたというのでビックネル医師は実績がまたひとつ増えたと上機嫌である。センパー・イデムというあだ名が男につけられたが、由来は彼の数少ない所持品である女性の写真にセンパー・イデム、センパー・フィデリス(常に同じであれ、常に忠実であれという意味のラテン語)と書いてあったからだ。センパー・イデムは自分のことを何も話さないので、スラム街の宿で自殺を図ったこと、最下層の労働者っぽい服装に身を包んでいるが手は紳士っぽいことぐらいしかわからない。今となってはとにかく早く病院を立ち去って世間の目から隠れたい一心のようだ。写真の女性についても一切不明。ビックネル医師は自分が手術した傷跡にしか興味がなくセンパー・イデムの身の上や精神状態については無頓着で、退院時の最終診察では「次やるんなら顎の角度をもっとこう上げて切るんだな」と無慈悲なアドバイスをする始末である。しばらく後センパー・イデムが自殺を遂げたというニュースが入り、ビックネル医師はたいした感興もなく「ああアドバイス通りに再チャレンジしたんだね」で終わる。

 

『力ずく』William Carlos Williams

 ある夫婦の幼い娘がやっかいな感染症になったというので医師が往診にいくが、幼女は医師を警戒し敵対心むき出しだ。喉の奥を診ようとして噛みつかれてしまう。夫婦の狼狽えぶりと決まりの悪さ、幼女の怒りと拒絶の激しさ、医師が幼女を乱暴におさえつけ金属のへらで無理やり口をこじあけながら「この子のためにこうするしかないんだ」と自分に言い聞かせながらも、強情な幼女に対する憤怒と力ずくで屈服させることの愉悦が入り乱れていく様が生々しく克明に表現されている。

 

『人でなし』Richard Selzer

 疲れから患者に怒った態度をとってしまった同僚をたしなめて別の医師が自身の思い出を語るという形式の作品。語り手の医師は、ある時大けがをした乱暴な酔漢の手当をすることになる。酔漢は医師にも反抗的で罵りながらひどく暴れるのでなかなか治療に取り掛かれない。連日の激務で疲れていた医師ははじめ努力して声掛けをしていたがとうとう業を煮やし、酔漢の耳たぶと診察台を糸で縫い付けてしまい「動くと耳たぶがちぎれるぜ。じっとしなクソ野郎」と吐き捨てて脅すように嘲笑した。酔漢は戦いに敗北した野生動物のようにおとなしくなったが、医師は自身の言動をたちまち後悔した。男があんなに暴れたのは自分の事務的な言葉にひそむ見下しと冷酷さを敏感に感じ取ったからではないのか。あの時に感じた原始的な怒り、自分の冷たい口調と血も涙もない嘲笑、あの男が必死に反抗する様子が数年たったいまでも頭から離れないという。酔漢が黒人であるという記述もあったのだが、これは語り手の医師が内心は酔漢を見下しているという状況を補強していると思われる。今以上に人種差別意識が強い時代だったろうから。

 

テーマ3. 看護

『貧者の看護婦』George Gissing

 満ち溢れる慈愛と献身の精神をもって看護婦を志していたのに、勤務のあまりの過酷さで心身が摩耗し、気が付くと患者に対し粗野かつ残酷にふるまって嗜虐心を満たすまでに心が荒みきっている自分に恐怖し看護婦をやめてしまったという女性の話。

 

アルコール依存症の患者』F. Scott Fitzgerald

 人助けをしたいという思いからアルコール依存症患者の訪問看護を申し出る女性が主人公。こんなひどい言動につきあってられない、もうやめる、いやでも私がこの人を助けてあげないと……という看護婦の心の揺れ、患者と最後までかみ合うことがない思いのやりきれなさが印象的。看護師は自分がやさしく粘り強く尽くしていれば患者は回復するし心も通い合うはずと希望を抱いて世話にあたるのだが、男はアルコールを手に入れることしか考えておらず、愛想よく物分かりがよさそうに聞こえる言動も全てはアルコール欲しさである。この男は結局アルコールがなければ死のうと思っているのだと悟った看護婦の「たしかにちょっと腕をつかまれて捻挫したけどそれはどうでもいい、どうあがいても私があの人を助けるのは無理だとわかってしまったことが辛い」というせりふが印象的。

 

『一口の水』T. K. Brown Ⅲ

 フレッドは自信満々元気いっぱい、体格も立派で性欲も強く女好きといういかにもオスっぽい男である。特に片っ端から女を口説いて付き合うのが好きだった。しかし、軍隊に入ったとき爆弾のせいで四肢がふっとび視力も失い、彼の生活と精神は一変する。まず、アリスという看護婦の献身的な介護っぷりとソルという男性看護師の粗野で嗜虐的な接し方の対比が印象的だがここはまだ話のクライマックスではない。もうあんなサディストから介護されるのは嫌だ!アリスを呼んでくれ!ということになるのだが、案の定フレッドとアリスが恋仲になったあたりから話が不穏になってくる。なんとなく現状に違和感を持ったフレッドがアリスとよくよく話したところ、アリスは男性から抑圧的支配的な仕打ちを受けてきたことで男性性を憎んでいること、フレッドは体が不自由で彼女が好きなように性的オモチャとして支配できるからフレッドと付き合っているのだというとんでもない心の闇をぶちまけられ愕然とする。男として人間としての誇りを守りたいフレッドはままならない体に鞭打って、這いずるようにして病院の外へ逃げ……。という話。江戸川乱歩の『芋虫』を思い出した。あっちはもっとエロと猟奇性を強調した書き方だけど。人が人を看護する時の精神のあり方のほか、男と女の立場についても問題提起されている。

 

テーマ4. 患者

『利己主義、あるいは胸中の蛇―未発表の「心の寓話」より』Nathaniel Hawthorne

 精神的な病み・苦しみを胸中の蛇と暗喩しているところからして寓話的である。ロジーナという女性が救い手で、自分を忘れて他人のことを考えなさいという彼女の言葉が苦しむロデリックの助けとなった。

 

『診断』Edith Wharton

 癌といえば不治の病、という時代の話。癌ではないと主治医に言われた男が床に落ちたカルテを偶然垣間見て「やっぱり僕は癌じゃないか!」と悲嘆にくれるところから始まる。どうせ別の患者のカルテなのに勘違いしたんでしょと即座に思ってしまって、まあそうだったのだがそのラストに至るまでの心理描写の揺らぎが見事で、読み応えあった。自分が癌だと決め込んだせいでそこまで思い入れのない恋人と結婚するくだり、妻とは概ね円満だけど常に微妙な感情のすれ違いが続くこと、のちに別の医者にかかって癌ではないと判明した直後の多幸感がピークでその後の生活は平坦で地味だなぁと思うところ、残りの人生ぱぁっと旅行しまくってボヘミアン的生活を楽しもう!と思うものの次第に旅が嫌になってもとのニューヨークでのアパート生活に戻るところ、癌じゃないと判明する以前の僕とそれ以後の僕は結局同一人物で変わり映えしないんだなと実感するところが面白かった。

 

『端から二番目の樹』E. B. White

 精神科の診察室にて、医師と対峙する患者の心情のあわい、自問自答。他の作品の文が良くも悪くも少し古めかしい印象であるのに比べると、近代的で洗練されている印象を受けた。カウンセリングで医師が発する「あなたの欲しいものは?」「異様な思いにとらわれたことはありますか」という問いが効果的に示されている。「異様な思い」とは一体どのようなものなんだろうか。主人公は本当に不安を退けられたのだろうか。

 

テーマ5. 女性医師

『ホイランドの医者たち』Arthur Conan Doyle

 ある村には1人の男性医師のみがいた。そこへ当時としては珍しい女性医師がやってきて、自身の診療所をひらく。彼女は敏腕かつ優秀な人物であることが判明するが、保守的な性的役割分業観を持つ男性医師はどうしても彼女のことが気にくわない。しかし、協力して難しい手術をこなしたり自身の怪我を治療してもらうといった経緯をへて考えを少しずつ改めていき、彼女に敬意を払うと同時に恋心をも抱くようになる。彼女は「もともと男性と結婚して生きるつもりは無いのです、自身の技能を活かして生きる道を追求したいので」と結婚の申し込みを断り、やがて都会の医学研究所に招聘され村を去る。後には、すっかりやつれた男性医師だけが残された。作者はシャーロック・ホームズで有名なアーサー・コナン・ドイルである。シャーロック・ホームズが男尊女卑な思想を持つキャラクターとして描かれ、しばしば作中で女性は感情的で理性的な考えはできないなどと発言していることを踏まえて読むと一層興味深い。本作品では明らかに男性側が嫉妬の感情をむき出しにして無礼で恥ずかしい態度をとるのに対し、女性側は終始冷静で礼儀正しい態度を崩さないという対比的な書きぶりだからだ。

 

テーマ6. 最期

『ある寓話』Richard Selzer

 瀕死の患者を看取る衰えた老医師。一般的には悲劇的と解釈されがちな一場面だが、その部屋は穏やかで明るい静謐さに満ち溢れており、互いが調和を保っている。

 

テーマ7. 災害

『家族は風のなか』F. Scott Fitzgerald

 ジャニーはかつて優秀な外科医だったが、アルコール依存症ゆえに医療現場の第一線を退きドラッグストアを経営して暮らしている。弟夫婦に懇願され、わだかまりのある乱暴者の甥をしかたなく治療(ゴロツキとの喧嘩で銃弾を撃ち込まれてしまい、重体)していると、間の悪いことに町全体が未曾有の大嵐に巻き込まれる。要所要所で、身寄りがなく子猫と暮らしている少女との対話シーンが挿入される。ジャニーは一念発起して他の医師と協力し怪我をした人々の救助にあたる。甥っ子は結局助からなかったのかな。あまりはっきり明言してなかった気がする。嵐が去り、ジャニーは身寄りのない少女を引き取り、新天地で医師として再出発することを決める。

 

全体を通しての感想

 テーマがテーマだけに説教されているような気詰まりな読後感になるかなと思ったけど、おもしろく読めた。当時の時代背景や作者たちの暮らしぶりを踏まえて読むとより興味深い。自身が医師や患者の立場だった人もいる。末尾の解説文もたいへんおもしろく、私が思い至らなかった深い読み解きが参考になった。