buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

ゲシュタルトの祈り

 心理学を勉強していた経験のある人と話していて、ゲシュタルト療法のことを聞いた。

ゲシュタルト療法 - Wikipedia

 

この療法を提唱したパールズ氏が作ったという詩が素晴らしかったのでここに転載する。

 

ゲシュタルトの祈り

 

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

 

この事をTwitterで呟いたら、私同様にいたくこの詩を気に入った人が、「気に入り過ぎてスマートフォンの待ち受け画面に設定しました」とスクリーンショット画像を見せてくれた。そうすると毎日目に入るからいいね、と言ったら「祈りというのは、つまりそういうことかもしれない。たとえ普段は形骸化しているように見えているとしても、大切な局面で心を救ってくれる」と返ってきた。

ウイルス感染症拡大の狂騒からデビルマンを想起した話

 新型コロナウイルス、以下略称COVID-19の感染症が猛威を振るい目下のところ世界中が恐慌状態に陥っている。不安に駆られた健常者たちがマスク買いだめに走り衛生マスクがどこもかしこも品薄状態で、本当に必要とする人や現場(喘息などの疾患を持つ人、有毒ガスにさらされる作業に従事している人、医療関係等)に届いていないことには内心イラついていたのだが、

「外出たらマスクしてない人いっぱいいてちょっとエーッて思っちゃった」みたいなコメントを連続して見かけて本格的にイラッとした。WHOやあちこちの医療機関が、マスクは予防効果はほぼ見込めないけど感染者が飛沫をまき散らすのをガードする効果はありますよって言うてたやんけ。健常者がマスク買い漁ってつけまくっても意味ないんだよ。少なくともあなたがた素人よりは専門的な知識と経験をもつ機関がそうアナウンスしているのだから、聞き入れたらいいじゃないか。と思うが、「だって不安だし、その辺を歩いてる他人が感染者でない保証がない」ということらしい。そんなこと言ってたらきりがないしいつ迄経っても必要度が高い人にマスクが行き渡らない。不安だったら何をしても良いわけじゃないだろう。健康でぴんぴんしている人たちは、不安をぐっと堪えて理性的な判断をし、マスク買いだめを控えるべきだった。

 

 正直、マスクしてない人を反射的に不謹慎だ!と叩いて正義感に酔いたいだけっぽい人もいると思う。外出する人を無条件で非難して得意顔してる人も、犯人探しをしてつるし上げをしたくてウズウズしている人もアレだし、とにかくこの感染症騒ぎで人間の愚昧さ・醜悪さ・根深い差別意識同調圧力・責任の擦り付け合いとか負の部分が一気に表面化していて、あまりの無様さに高笑いがこみあげてくる。私個人はもともと人類なんて重要な存在じゃないから滅ぶときには滅べばいいというスタンスなのだが、マジで滅亡したほうが地球が洗練されていい感じになるかと思う。で、昔読んだ『デビルマン』という漫画をふと思い出したのだ。漫画版『デビルマン』のネタバレを読みたくない人はここで読むのを止めてほしい。

 

 

 

デビルマン』のことを書くにあたり、今けっこう疲れてて面倒くさいのであらすじの詳細をチェックしたりはせず私の朧気な記憶だけに頼ることにする。元人間だけどひょんなことから半人半デビルの魔人となってしまった主人公(通称デビルマン)は、人類を駆逐し地球の支配権をゲットしようとするデーモン達から人間を護るために闘うことになる。その過程で、デマに踊らされて疑心暗鬼になったり、恐慌状態に陥って排他的な行動に走ったり、魔女狩りならぬデーモン狩りみたいなことが頻発して潔白で弱い立場の人間たちがデーモンの一味という濡れ衣を着せられリンチされたりと人間の負の側面をたっぷり目の当たりにしたデビルマンは疑問を持つ。人類なんて本当に護る価値あるのか?と。それでもまぁ、デビルマンが信頼し好意を寄せているヒロインの少女およびその家族の存在を使命感の支えとし奮闘するのだが、不幸なことにヒロイン一家がデーモン狩りの標的となってしまい、暴徒化した人たちにリンチされて惨たらしく殺害され、全身バラバラにされてしまう。デビルマンは悲しむと同時に激昂し「もう俺は人類を見棄てる!!」と宣言して人類が自滅するのを冷たく黙殺し、神対悪魔の最終戦争へと突入していくのであった。<完>

 みたいなストーリーだったと思う。多少間違っているところはご海容願いたい。

デビルマン』の、恐慌状態に陥った人間の愚かさ醜悪さとか、人類って滅びてもいいんじゃね?みたいな問題提起が今回のワールドワイドな感染症騒動と重なってしまったのだ。

 この2、3か月で人間がますます厭になったし、自分が人間であることも厭になった。

この話は以上です。特にオチはありません。

学問と一般社会の橋渡しをしたい

 学問というものについて、 堅苦しくて実生活と乖離していてとっつきにくいものというイメー ジが世間に根付いているように感じる。 実際はそんなことないのに。 生物学を学ぶために大学院を出て主に研究手伝いの仕事をしてきているのだが、 己の経歴を大学や研究にあまり関わりが無い人に伝えると大抵

「 すごいねえ」「お勉強が好きなんですね」

「 ぼくは馬鹿でオベンキョーとか縁無いから」 と半笑いでシャットアウトされる。 このような思い込みはせっかくの学問活動によって得られた知見が 世間に遍く浸透することを妨げており、実に損失である。

反論1: 別にすごくない

反論2: 気になることがたまたま大学施設にあっただけで、気になることをもっと知ろうとする心の動き自体は誰にでもある。お勉強が好きとか嫌いとかいう問題ではない。

反論3: あなたはたまたまメインで取り組みたいテーマが学術分野の外にあっただけであり、馬鹿ではない。サブの関心を学問に向けるのも面白くて悪くないですよ。

 

 

ネットにはトンデモ情報に翻弄される人々。とっくの昔に究明し尽くされている事象をスゲエこと発見した! と得意げに語る人々。 多少の温故知新っつうか、学問が築いてきた知見を取り込むという行為に馴染んでおれば防げたはずの無駄である。実に口惜しい。
 私の能力として、 ある程度科学の素養があって複数の実験操作が出来るがメインの研究者として研究を牽引するほどのレベルでは無い、せいぜい研究補助員どまりである、というのが自己評価である。 翻って、文章を構成するスキルはそこまで悪くないと思うので、 今やっている文章校正と医療翻訳の勉強を積み重ねて将来は学問で得られた知見を分かり易く面白い文章データに落とし込んで世間にひろめる活動ができたら最高だな。などと思っている。

わたしはいつでも宝物から自由になれる

過去に友達に勧められて「たからもの」というテーマで書いた文を発掘したので、以下に載せる。35歳の時に書いたやつだから、2018年の文章ということだ。

 

重要なのは、この時に書いたタカラモノの民族調ブレスレットを私はすでに処分済みだし、町田康とのツーショット写真もデータはもちろん厳重に保管してはいるが現在は待ち受け画像に設定してはいないし紙の写真も引き出しに仕舞い込んであるということである。それを踏まえて以下の文章を読んでいただきたい。

宝物というものは別に一生持ち続けなくてもいいし、その時その時で宝物が変わってもいいし、宝物を一切持たない生き方も悪くない。

 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

(2018.07.21記す)

たからものを持つことに子供の頃から憧れていた。たぶんアニメや児童書を見ていて、登場人物たちが綺麗な石だの家族の写真が入ったロケットペンダントだの手紙だのを大事そうに、そして誇らしげにそっと覗き込んだり友達に打ち明けたりしているさまが実にロマンたっぷりで素敵なことのように思えて、自分も真似してみたいと思ったのである。

 

誰しもそんな部分があるのかもしれないが、幼少期の私は創作物にでてくる事柄にすぐ憧れて真似をするようなふしがあった。たとえば秘密の日記がアニメに出てきたときは「秘密の日記が誰かに読まれる」というシチュエーションにスリルを感じ、早速ノートの表紙にデカデカとひみつのにっきちょう、と書いたうえでこれみよがしに学習机の上に放置し、果たして母親がその日記について夕食の席で言及した時ここぞとばかり

「ひみつのにっきちょうなんだから見ちゃダメでしょ!」とふんぞりかえり、家族みんなに苦笑いされた覚えがある。ひみつのにっきちょうに何を書いたのかはとんと記憶が無い。なにせ誰か大人にページを捲ってもらうことだけが目的だったゆえ、道端で草をつんだとか給食がうまかったとかなんとか、しょうもないことを書きなぐっていたのであろう。

それで満足してにっきちょうは数ページだけ書いて結局やめてしまったように思う。

あとは開いてなかの鏡を覗き込むとなんにでも変身できる魔法のコンパクトミラーに憧れて、母親が使い切ったファンデーションコンパクトを貰い受けていそいそと鏡を覗き込んでいたこともあったが、それもじきに飽きてしまった。飽きっぽいたちなのである。

 

って、なんの話だっけ。そうそう。要するに私は創作物に影響を受けやすいたちで、秘密の日記帳や魔法のコンパクトと同様に「たからものをだいじにする」ということにも憧れて、きれいな小石やおもちゃの指輪や小型時計などをたからものに定めて、さて大事にするぞーと意気込むものの、なにせ飽きっぽいうえに特にいわれのある品々でもなし、それらのこまごまとしたものはすぐにどっかに紛れてなくなってしまったものだ。しかし、「たからものをもつ」ことへの憧れはずっと自分の中でくすぶり続けていて、テレビなどでも人の宝物を紹介する映像が流れるたびにやはり満足な人間たるもの、宝物のひとつやふたつ持っておいて他人に訊かれたらさっと自慢げに紹介するぐらいでありたいものだ、なんつって懊悩&煩悶しておった。って言うと、いやーでも実際2、30年以上生きてたら普通たからものぐらいできませんか?と問う人があるが、なかなかないのですよ。そりゃ亡父から贈られた絵葉書とかブレスレットは大事に保管してあるが、なんか「たからもの」というのとはちがうんだよなー。いやいや、亡父からの贈り物とかじゅうぶんたからものですやん。なにが不満なのよ。じゃ高価な鞄?車?いやー。それもなんか違うでしょう。という自問自答を繰り返してはなんか腑に落ちないなーと燻っていた私ですが、最近とうとう胸を張ってたからものと言えるものを獲得しました。イエイ。

まず、作家の町田康氏と撮ってもらったツーショット写真。町田康氏は私が高校生の頃から超絶リスペクトする激烈に面白い小説家である。ツーショット写真というのはある読書会に参加した際勇気を出してお願いして撮ってもらったもので、嬉しすぎてデジタルデータをプリントアウトして職場の自席に飾ったりスマートフォンの待ち受け画面に設定して毎日ニヤニヤしながら眺めたりするぐらいマジモンのたからものである。

もうひとつは、テレビ番組の懸賞で当選した異国部族の民芸品である。このテレビ番組は冒険心旺盛なディレクターが未開地の部族との接触を求めて体当たりで異国を旅するという趣向のもので、大変人気が高かった。くだんの民芸品は、ディレクターがボラ族というこすっからい商業部族にたかられて大量に購入させられたもののひとつである。なんでその民芸品にたからものと言い切れるほどの思い入れを持ったかというと、懸賞で当選するのが低確率で貴重だというのもあるが、なによりもディレクターのアグレッシブな冒険っぷり、「未開の地の人たちとの温かい交流!話せば分かり合える!ラブ&ピース」みたいなありきたりな切り口ではなく、人情友情などの愉快な面も見せるけれど、外国人の足元をみたこすっからい商売っ気、徹底した排他性などのちょっときまりが悪い部分も隠さず克明に見せようというはっきりとした意思を感じて心動かされたからである。

 

ここまで書いて、たからものとそうじゃない貴重品との区別を決定付ける要素は

「獲得するのに発揮した自らの能動性と隠された背景の意外性」かな、と思った。

亡父からの贈り物はそりゃかけがえがないしめっちゃ大切にはしているがあくまでも受動的に享受したものだし、背景つってもまぁ亡父からの贈り物ならそりゃ大切でしょ、くらいのもんである。翻って、たからもの認定をしている品物2つに関しては、作家とのツーショット写真は自ら読書会に参加してがんばって話しかけて交渉してその場に居合わせた親切な人に頼んで撮ってもらったものだし、民芸品はテレビ番組をみてディレクターの心意気に感動し何か彼の冒険心に敬意を表すと同時に懸賞品をもらって今後生きていくうえで自らの冒険心を奮い立たせるヨスガとしたい、と考えて応募したものである。自分で考えて行動した、という点が大きい。

というところに思い至って、35歳にしてようやく物心がつきました。人並みにたからものを持つことができました。今後も精進いたします。と思ったときの顔をしてこれを書いているぜ。

何言ってるか分からんけど好きな歌

歌詞の意味が全く分からないロシアの歌を繰り返し聴いている。

ロシア語で歌われると、すべての歌が労働の苦しさとか荒寥とした大自然について歌っているような錯覚に襲われる。たぶん、私がロシアという国に抱いている偏見がそうさせるのだろう。

 

異国の何を言っているのか分からない歌を聴くのが好きだ。素晴らしい歌だと「何か深遠で高尚なことを歌っているに違いない」と思ってしまうのだが、後で和訳された歌詞を手に入れ読んでみると「可愛い女の子と付き合えて毎日ハッピー」程度の事しか言ってなくてズッコケたりするのだが、それもまた愉しい。

精神疾患(鬱優位の双極性障害Ⅱ型)が良くなった経緯 2/2 2020.02時点

 

osenpe.hatenablog.com

 上記の続き。

 

【再就職】

前職を辞める時、取引先の公的研究機関の人に「暫くは家でぶらぶら過ごすんですけど、知り合いの研究者とかで実験補助員を探している方がいたら私を紹介してくれませんか?パートタイムの緩めの仕事だとありがたいです」と伝えて自身の経歴や実験スキルをまとめた資料を渡した。この行動が吉と出て、2019年夏に今の職場にたどり着くことが出来た。給料がめちゃくちゃ安い以外は申し分のない職場で、上司や同僚は「きついときは遠慮せず休みなさい」と言ってくれたので調子が悪いときは休んで寝ていた。なんとか出勤できるときはゆるーく仕事をしていた。職場の人たちは私の個性を面白がって私の経歴や仕事ぶりや人当りとかもほめてくれたし、書物や科学など共有できる話題も多かったので、新しい職場でだいぶ自己肯定感や社交意欲が育まれた感じはある。感謝。

 

 

どん底

 どん底はどの時点だったかというと、2019年秋から初冬にかけて「前から計画していた町田康のイベントに参加すべく頑張って高速バスで出かけたら、宿泊先の都内ホテルで眩暈に襲われ現地の脳神経外科に飛び込んだのちイベントを諦めて高速バスでとんぼ返り」の憂き目に遭ったあと「あんなに大好きだったTwitterを見るのも投稿するのもしんどくなって、元々スマホ依存気味だったのにスマホを弄る気力さえ無くしてしまった」時期がどん底だったのではないかと思う。過眠・過食・寝逃げのサイクルにはまり込んでしまい、どうしても寝つけない時は布団にくるまってぼんやりしていた。

 

 

どん底での癒し】

 眠れずにぼんやりしている時間は苦痛なので、気を紛らわせる何かが必要だった。でも、ネット記事を眺めるのもtwitter2chもしんどい。ニコニコ動画のホラーゲーム実況をスマホで垂れ流すぐらいなら出来るかもしれない。そう思いついた。ニコニコ動画には色んなジャンルの投稿があるが、私が好きなジャンルのひとつに『ホラーゲーム実況』がある。超怖がりのくせに怖いもの見たさ精神も旺盛な私は、怖いゲームに興味があるけれど自分でプレイするのはこわいな~って時によく視聴していた。バイオハザードとか。ご存じの方もいるだろうが、ニコニコ動画は投稿動画の画面上に視聴者が任意のタイミングで打ち込んだコメントがテロップのように流れていく仕様になっていて、怖い動画を興味本位で見たい時などは恐怖感がほどよくマイルドになり何人かでワイワイ言いながら楽しむ感覚を味わえるのだ。コメントするしないは自由だし、投稿者や他の視聴者との間に人間関係が発生することも無いので気楽に視聴していられる。

クロックタワーという割と昔のホラーゲーム(ハサミ男が女の子を追いかけまわす内容)の実況をいくつかチェックして、「まお」と「トモすけ」という実況者のシリーズが気に入ったのでそれをひたすら見ていた。体調や精神状態は悪かったけれども、実況者がゲームの世界に没頭して怖がったり歓声を上げたり攻略に知恵を絞っている様子を視聴していると何故か気持ちがやわらいだ。

 

【浮上】

そんな風に過ごしていたある日、「私もクロックタワーやってみようかな」という考えが突如として頭に浮かんだ。PS2の機体が家のどこかにあるから、プレステ版ソフトを中古で入手すれば出来そうである。何日かかけてメルカリでクロックタワーのソフトを買い、何年も使っていなかったPS2を引っ張り出してコントローラーを握った。睡眠、摂食、排泄以外で能動的に何かをやるのはかなり久しぶりだな~、と感じたことを覚えている。健常者から見たらなんてことのない僅かな一歩かもしれないが、とにかく自分の意志で睡眠飲食排泄以外の行動をしようとしたことはかなり重要な出来事だった。それに加え、ゲームをやっている時はストーリーとか演出とか攻略に気を取られているので、心身の辛さからうまい具合に意識がそれて結果的に心が休まったのが良かったのかもしれないと今振り返ると思う。

 

【スライドに次ぐスライド】

 クロックタワーをやっているうちに、「ゲームといえば、大学生の時はペルソナっていうRPGにハマってたな。あのゲームソフトまだ売ってるかな」と思いついて、初代ペルソナ、ペルソナ2罪罰の中古PSP版ソフトを例によってメルカリで購入し、長年放置し過ぎて電池パックがパンパンに膨張したPSPの修復をした。携帯できるPSPだったのも良かったのかもしれない。職場にも持って行って、始業前や昼休みにはひたすらレベル上げをしていた。期せずして、今まで寝逃げに充てていた時間がゲームのレベル上げにスライドすることになり、起きていられる時間が長くなっていった。

年末、「なんかこの感じ…掃除できるかもしれない」と思い立って、ひとりで数日かけて自宅の大掃除を始めた。トイレ、風呂場、台所、廊下。夫は無論吃驚していたし、普段寝室にこもってばかりの私が家じゅうウロウロしていたので飼い犬は不思議そうに私を目で追っていた。

一番デカかったのが、車の運転が急に平気になったこと。指定の精神疾患に罹っていて、1週間あたりの労働時間が20時間に満たない私は失業給付を数か月受ける要件を満たしていたので職場に通うかたわら職安にも月一で通っていた。私は車の運転が怖すぎて職場と精神科への決まった道しか運転できず、したがって職安へは電車とバスを乗り継いで行くのが常であったのだがある日

「きょう職安に行くとき車で行ってみようかな?」と急に思ったのだ。

で、経路設定を念入りにして画用紙に大きくメモしたものを助手席に置き、それをチラ見しつつ車で職安へ向かった。あっけなく行って帰ってこれた。

「あれ…普通にできたなあ…別にしんどくなかったし…あんなに怖かった大駐車場も平気だった…」と思って、帰宅後自宅の駐車場にとめた車のなかでひとり戸惑いと嬉しさを感じたことを覚えている。

これが大きな自信と達成感になり、ここから元気になるのはあっという間だった。職場の混んでいる駐車場が怖くて始業2時間前に出勤していたのが始業30分前で平気になり、色んな場所に車ででかけてお茶したり買い物したりできるようになり、夫の運転じゃないと怖くて行けなかったスポーツジムにもひとりで運転して行けるようになった。

今まで私は体を動かすのなんて大嫌いだと思っていたのだが、ずっと幽霊会員をやっていたジムに「きょうは行けるかも~」と数か月ぶりに行って筋トレマシンを使ってるうちに、あれ…なんか楽しいし気分がいい…?と自然に思えたのだ。ここから2週間ほど続けてジムで運動していると、めちゃくちゃ体が楽なことに気が付いた。腰痛もあまり気にならなくなっている。見た目とか痩せばっかり気にしている時は全く続かなかったジム通いが、運動してると生活していて体がめっちゃ楽だから!という理由で出来るようになった。体の調子が良くなると食べ物の質も気になりだして自分で調理するようになり、自信がついてほかの活動にも意欲的になり…といった感じでこれ以降はいい具合に出来ること・やりたいことが連鎖的にスライドしていって、通信教育の勉強を再開したりとか町田康以外の本も読めるようになったりとか貯金を始めたりとか色んなことに取り組めるようになり、気が付くとクロックタワーの実況動画やペルソナのゲームからは遠ざかっていた次第です。

いまクロックタワーペルソナ2の途中までのセーブデータとゲームソフトが引き出しの中でひっそりと眠っていますが、今後これらをプレイするにせよしないにせよ、私の大事な宝物です。実況動画をあげていた人たちも職場の人たちもネット世界現実世界問わず私と関わってくれた人たちも全員私の恩人です。

 

【まとめ】

ハードルめちゃくちゃ低めな活動から少しずつ、おのれの気持ちと体調に忠実にこなしていったら、徐々に体力と自信がついて出来ることが連鎖的に増えていった

 

です!

 

以上のことを数年来の友達に話したら「情報量多すぎます…」と言われました。

この記事で語り切れなかったことが、なんとまだ沢山あるので(汗)

おいおい小出しにしていきます。

読んでくださってありがとうございました。

精神疾患(鬱優位の双極性障害Ⅱ型)が良くなった経緯 1/2 2020.02時点

大学生だった20歳の頃からかれこれ16年間、双極性障害と付き合っている。

一口に精神疾患と言っても病状は個人差が非常に大きく私の経験談が万人の参考になるとは断言できないが、僅かでも鬱状態に苦しんでいる人の助けになればいいなぁという動機と、自分を顧みるための記録を残したいという動機でこの記事を書く。

 

【主に苦しんだ症状や生活上の不具合】

・反復する軽鬱と重い鬱。軽鬱の時は処方薬を飲めばなんとか這うようにして仕事に行ける。最低限の家事や身繕いはめちゃくちゃ億劫だけど時間かければなんとかこなせる。重い鬱の時は靴下を履く姿勢のままフリーズするぐらい生活のすべてが儘ならず、欠勤して食事や排泄以外は布団に寝転がっていた。入浴や歯磨きさえつらくてチョイチョイさぼっていた。当然そんな生活を送っているものだから筋力も体力もガタ落ち、ぶくぶく肥満し体型は崩れ、座っているのもつらくて寝転がる→さらに体力落ちる……の悪循環であった。

 

・食欲がコントロールできなくて、コンビニで売ってる菓子パンやスナック系のジャンクな食べ物を食べまくっては自己嫌悪に陥っていた。とにかく起きていて意識がある時間が苦痛で仕方なかったから、腹に食べ物を詰め込んだら疲労と満腹感で眠りやすくなるからというのもあった。

 

・家の外と他人がこわくて仕方なく、小一時間程度の犬の散歩(夜のほう。朝は夫の分担)に出るのもめちゃくちゃ覚悟を決めないといけないレベルだった。車の運転ができないとまともに労働も生活もできないような田舎住まいなので、車を運転するのも誇張なしで歯を食いしばりながらだった。

 

強迫性障害のような行動の偏り(車に乗り込んでからも安全確認が足りない気がしてなかなか発進できないし車から降りられない、何をするにもしつこく確認作業をしないと恐怖を感じるからあらゆる行為にべらぼうに時間がかかる、シャワーを浴び始めることが出来ても洗い足りない気がしてなかなか終われないなど)

 

・趣味や好きな書物などを楽しめなくなった。言うなれば人間だった頃の生活をトレースするゾンビのように、趣味を普通に楽しめていたころの記憶に縋り付いて、昔の愛読書を機械的に持ち歩いて機械的に目を通していた。何にも趣味的な活動が出来なくなったら私という人格が完膚なきまでに崩壊するような気がして、かなり頑張って敬愛する町田康のイベント(講演会、音楽ライブ、書籍のサイン会、読書会など)には通っていた。そんなに脳が弱っている時でも、町田康のイベントでは必ずなにか心の琴線にふれることが起きたのでやっぱり町田康は偉大だと記しておく(謎の布教活動)

 

 

【きっついライフイベント】

今となれば収穫もあったな、と振り返ることが出来るのだが

2019年に発生したイベントとして

・飼い犬とよその飼い犬がケンカして相手の飼い主と揉めた

・前の職場で「ずっと時短勤務させてあげてたけど、やっぱフルでばりばり働ける人が欲しいんで貴方との契約は終了ね」と告げられて無職になった

のはやっぱり辛かった。このへんの説明はめんどいので省略しますが、どうしても聞きたいという奇特な方がもしいたら個別に聞いてきてください。

 

続きます。

精神疾患(鬱優位の双極性障害Ⅱ型)が良くなった経緯 2/2 2020.02時点 - buried alive (生き埋め日記)

 

町田康の音楽ライブ@アピア40 学芸大学駅 2019.08.02

町田康率いるバンド『汝、我が民に非ズ』のライブを観に、学芸大学駅近くにあるアピア40 というライブハウスへ行った。

 

町田康を敬愛してやまない私は、ライブに行きはじめた最初の頃こそ緊張でぶっ倒れそうになりながら「演奏も町田さんのトークも全て漏らさず記憶に焼きつけるんや!!」という意気込みであったが、さすがに何回かライブに行くにつれ慣れてしまい大分リラックスした状態で臨めるようになった。つってもやはり少しは緊張しますが。

わりと小さなハコで客席には椅子がたくさん並べてあったが、私は踊りながら立ち見するのが好きなので(座っていると楽だけど踊りにくい)、後ろのバーカウンターのあたりに居た。

1stアルバム、2ndアルバムの曲、新曲と色々演ってた。MCで「狂人と正気の人との境界ってなんでしょうね。けっきょく多数派か少数派かによって決められるものに過ぎないんですかね」と語った後に、INU時代の『気い狂て』を演った流れには興奮した。中島らもの本『バンド・オブ・ザ・ナイト』の朗読が聴けたのも意外な喜びだった。町田さんは先日大阪で中島らもの追悼ライブに出演したそうなので、それに関連しているのだろう。町田さんの朗読とメンバーの抑制された演奏の音色が絶妙に絡み合っていて、すごく高揚感を覚えた。あと、中島らもの物真似してた。私が特別気に入っている『あの日の豚にチャーハンやれよ』も久々に聴けて嬉しかった。歌詞が好きなんですよね。ふざけたツケがどんどんくる〜、っていうフレーズ。人生のふざけたツケが今になってどんどん来ている我が身に突き刺さります。はい。

MCでどんな話してたかなぁ。「ぼくは狂人だから自分の意志の力だけで禁酒を達成できた」みたいな話はしてました。いま文芸誌に連載してる、禁酒をテーマにした小説の単行本が近い将来に刊行されるそうです。楽しみです。そのほか、「夏の暑い時期にはだらしのない薄着姿になってゴミ出しぐらいならそのまま外に出ちゃう。そういや昔マンションに住んでた頃、油断して乳がスケスケのだらしない部屋着でゴミ出しにでてきた近所の奥さんと出くわして、めっちゃキャーとか言われて被害者面された。俺はあえて厳粛な顔をつくってスルーしようとしてたのに」という笑い話をしてた。その他、俺は火か水かで言ったら水派(これは以前のライブでもちょっと聞いたことある)、とか。そうそう、町田さんが楽曲の中でトライアングルの演奏を披露してたのも特記しておくべきでしょう。町田さんがトーク中にちょっと戯れに歌謡曲を口ずさむと即座にメンバーが楽器で演奏をつけるところとか、細かい空気感や言葉のやりとりとか、終始息の合った様子が微笑ましかった。

 

終演後にCDなどグッズ類の販売会&サイン会がひらかれたので、CD買ってサインもらった。折角なので、きょうもかっこよかったです!と伝えた。どーもどーも、と応じながら私の顔をみて「あ」と気づいたみたいで「どうも、長野から。きょうは友達は?」と気さくに声をかけてくれた。握手にも応じてくれて「気をつけて帰って」と微笑みながら言われたのでめっちゃ嬉しかった。町田康のイベントに参加する人は東京都内の人が多そうだから、都内だけじゃなく田舎にも遍くあなたの影響は及んでいますよ!!としらせたい気持ちがあって、それでサインをもらうたびに「長野から来ました」とアピールしていたので覚えられたんだと思う。なんかちょっと我ながらアホみたいだけど、嬉しいのでよしとする。

9月、10月もあちこちでライブするらしい。精力的なことである。

 

余談

f:id:osenpe:20190804004159j:image

初台にあるフヅクエというカフェに行った。蔵書のラインナップがよくて、興奮してしまった。読書に没頭したい人はぜひ行ってみてほしい。

 

f:id:osenpe:20190804004257j:image

いつか読破したい本

 

f:id:osenpe:20190804004321j:image

中目黒のピーナッツカフェ

 

f:id:osenpe:20190804004344j:image

殺伐とした新宿駅のオアシス、カフェ・アマティ

 

 

薄夜夢

夢の中だけの友達。夢の中だけにある行きつけの喫茶店。夢の中にしかない感情。夢の中の私は容姿端麗な妙齢の娘で、こわいものは何もなかった。私は群衆の中で誰かに激昂し、怒鳴っていた。怒りながらも、とても開放的な良いきぶんだった。とにかくこれだけは大声で言っておかないと死んでしまう。とても切実だった。

目がさめる。現実世界の私は太った中年女で、臆病で、感情をむき出しにして声を荒げたことなど一度もない。友達もいない。私があまりにもパッとしないから、みんな離れていってしまった。めちゃくちゃ田舎なので、行きつけにしたいような気の利いた喫茶店など一つもない。しらこいチェーン店だけである。絶望しながらも、もう10時間以上眠りほうけてしまったからしばらく眠れない。頭がいたい。仕方なく起きて現実世界の事をする。だるい。起きていたくない。全てが無駄だ。お腹にくだらない食い物を詰め込んで、頭痛薬を飲んで布団にもぐりこんだ。満腹感と副作用の眠気で、また暫く寝ることができるだろう。願わくば、さっきの夢の続きを。さいあく同じ夢じゃなくてもいいから、できるだけ突拍子もないでたらめな夢を。

おやすみ。

思い出せない小説

実験の待ち時間に上司と話をしていて、先日町田康のライブに行ったという話から、どんな音楽を好んで聴いてきたかという話題になったのでラモーンズ、ハロウィン、ブラインドガーディアン…と好きなバンドの名前を列挙したら全部通じたのでちょっと感動してしまった。今まで「ごめん、知らないや」と言われることしかなかったので。

10代の頃はソニックユースが大好きだったと付け加えたところ上司は大喜びで、「いやあ。斜に構えてるねえ。捻くれてるねえ。修学旅行の夜にひとりでドストエフスキー読んでたんでしょ?それで周りがGLAYとか安室奈美恵とか聴いてるなか、ソニックユースのファンかあ。いやあ、それじゃダメだねえ。浮くだろうねえ」と、前話した高校の修学旅行で友達の輪に入れず孤独にドストエフスキーの本を読んでいたエピソードまで持ち出して(よっぽど気に入ったらしい)頻りに感心していた。上司はピストルズとかクラッシュとかボンジョビとか聴いてたらしい。「僕が坊主頭なのは実はPANTERAのボーカルの真似なんだよ」と上司が打ち明けてきて、最近はメタル界の高齢化と衰退が著しいみたいなことを話した。

 

 

それはまあ良いとして、昔読んだ本でタイトルと著者が思い出せなくて気になっているものがある。

収録されていた物語の内容は、ひとつは元モデルで驕り高ぶった子持ちの美人をとりまくママ友同士の確執を描いたもの。驕慢な美人ママが実は昔水商売をしていたという過去を暴かれて鼻を折られた…と思いきや美人ママはへこたれておらず、高級なシャブリワインを手土産にライバルママの夫に取り入ってやる!という場面で話は終わる。

もうひとつの話が、年配の主婦が応募した暮らしの知恵的な小説(米の研ぎ汁がどうのこうの言ってた)がややウケして編集者までついて、作家デビューよ!もう冴えない夫とは離婚よ!次回作もがんがんいくわよ!と大いに舞い上がるのだが一発屋で終わって飽きられてしまい、返本の山を見ながら編集者たちが「まいったね、あのおばさん張り切っちゃってるけど、そろそろハッキリ言わないとね」という場面で終わる。

 

いずれも後味が悪い話で、なんとなく印象に残っている。後世にまで語り継がれるわけではない、一過性の娯楽小説という感じはするけどそういう作品はそういう作品で味があるな、と最近は思う。もしこの本の内容に心当たりのある方がいたら、タイトルと著者名を教えてください。自分でもネットで検索してみたのですが、うまくいきませんでした。お願いします。