町田康さんの講演会in甲府~井伏鱒二の笑いと悲しみ
町田康が井伏鱒二の文学について講演をするというので、聴きにいきました。
何回か東京に行く機会が重なったので長距離移動についての感覚が麻痺して
「とーきょーに比べたらこーふなんて近い近い」
というノリで出かけたのだが、特急あずさで1時間以上かかるので普通に遠い。
交通費もかかる…。
山梨県立文学館。
山梨県ゆかりの文筆家、井伏鱒二や太宰治の原稿や書簡など各種資料が展示されているようだ。
広場がなかなかよさげ。芝生で寝てる人、いいね。
これこれ、講演会のポスターね。私以外にもポスターにスマホのカメラを向けている
人がぽつぽつ居て、あなたも町田康ファンなんですねウフフ。と思って見てました。
聴衆はやはり老若男女さまざまな層の人が来ているな、という印象。
運よく最前列の席に滑り込むことに成功。
隣のご婦人方が町田康の作品や音楽活動などの話に花を咲かせていて
「ぶっちゃけ井伏鱒二の話じゃなくて町田さんご自身の話が聞きたいですよねオホホ」
と言ってて、やれやれと思ったがまあ気持ちは分からないでもない。
ちなみに町田康の講演はたいへん面白く、終演後くだんのご婦人方も
「井伏鱒二の作品読んでみたくなりましたね~」と言い合っていたので
良かったのではないでしょうか。
ちなみに私自身が井伏鱒二に抱いてきた認識というのも
「なんや知らんが私の大好きな太宰治の師匠で、町田康もリスペクトしてるらしいからちょっと作品読んでみるか」ぐらいのものなので、他人の不見識を笑える立場ではない。
井伏鱒二の作品をいくつか読んでみて抱いた感想は、情景描写がうまくて自然とか
人物の対話とか目の前に浮かぶようで非常にこなれた印象を受け、
ひっかかりなく快適に読めるのだが全体としては作者がなにを言いたいのかあまりわからない、主題が掴みにくい…というものである。
なので、今回の講演会を聴きに行ったのは演者の町田康のファンだからというのも
もちろんあるが、井伏鱒二の作品の読み解き方や魅力を知りたいと考えたからでもある。
まず一番最初に講演会のながれについて説明があった。
1.井伏鱒二との出会い
2.どこに惹かれるか
3.井伏鱒二の作品の良さ
4.モヤモヤした雰囲気の背景に何があったのか
5.いまの時代に井伏鱒二を読む意義
…町田氏のことだから喋りすぎて時間配分が予定通りにいかなくて
最後駆け足になるんだろ~な~と思っていたら本当にそうだったので
内心可笑しかったが、そこはご愛嬌。
1.導入部分で井伏鱒二との出会いについて。
10代の音楽活動を始めた頃に友人宅の本棚に並んでいたのを手に取ったのが
最初の出会いだった由。
「まぁ僕もいまや伝説のパンクロッカーと言われていますが」といたずらっぽく言ってたのでニヤニヤしてしまった。
「当時まわりの音楽やってるひとたちって、耳で聞く音優位派がはんぶん、言葉優位な文学派がはんぶんという印象でしたね。仲間の部屋に遊びにいくと本棚には小説が沢山ならんでいる訳です。僕なんかは断然音優位派だったけれども、そういった環境に影響されて自然と文学作品に触れる機会が多くなっていました。そんな流れで井伏鱒二の本も読み始めたのです」
町田氏の発言をうろ覚えで書き出しているので細かい言い回しの違いや齟齬がありますが大体こんなことを言っていたと私は理解しましたってことで、よろしく。
最初に読んだ『珍品堂主人』がガロのつげ義春の漫画に雰囲気が似ているなと感じたそうだが、何のことはない、つげ義春が井伏鱒二の作品に影響を受けていたわけである。
「(音楽を例に出して)たとえば大槻ケンヂが俺に似た歌い方をしてたっていう人がいたけど、他人から大槻ケンヂみたいですねって言われたらイヤイヤ逆じゃ!こっちが先じゃ!みたいなね?
キャプテンビーフハートがオシリペンペンズに似てる!っていう奴がいたら
いやいやキャプテンビーフハートの方が先じゃ!みたいな?…なんかマニアックな話してスミマセン。一応いっとくと僕自身は大槻ケンヂが僕の真似してるとは思ってませんから!」
ここで笑いが起きていた。
あとなんだろう、井伏鱒二は晩年(1980年代後半~1990年代初期?)TVインタビューを受けていたようで、その物真似をしていて面白かった。
「井伏鱒二はもうおじいちゃんで、いかにもこう井伏鱒二ですという佇まいで座っている訳です。で、インタビュアーの若い女性アナウンサーは恐らく井伏鱒二の作品とか読んだこともないし知らない、そんな感じなんです。それで相手がおじいちゃんだからっていうんでアホみたいな、わけわからん人に相対するような、幼児にするような感じでしょうもない質問するんですよ。カラオケってご存知ですかぁ?ってアナウンサーが質問したら、こう(井伏鱒二の真似らしく、顔をぎゅっと顰めて半目になりつつ
上体を傾け掠れ声をつくって)カラオケぇ~?桶をどうにかするのかねぇ~」
会場爆笑。
「それで、最後にアナウンサーが“まだ小説お書きになるんですか?”って訊いたらね、井伏鱒二はこう答えるわけです。(また顔真似をしながら)うん…馬鹿なことばっかりしてぇ~(と、素に戻り)僕はそれを聞いてシビれましたね。ヨボヨボになって死ぬ直前までオレは馬鹿なことばっかりしててねぇって自嘲しながら物を書き続けるなんざ、最高じゃないですか」
また会場爆笑。
2&3.井伏鱒二の作品を「屈託」というキーワードで表現していた。
屈託と言うのは、出口が無い気持ち。自分が世に出られない、自由になれない、自分の中でひたすらうずまくような気持ち。
井伏鱒二の代表作『山椒魚』なんかはまさに狭い穴ぐらから出られなくなった屈託の象徴のような話である。
町田氏が井伏鱒二をよく読んでいた1987年ごろというと世はバブル&バンドブーム。
町田氏が活躍できるような場はなく、やることがなくてひたすら自宅にこもっていた時期だったそうだ。その頃の自身の鬱屈した心情が、『山椒魚』の“土中三年”の気分にシンクロ・共鳴したのだという。
また、「屈託」と同時に「曲げ」も井伏鱒二を知るうえでは欠かせない要素だ。
「屈託っていうのは、滑稽味、ユーモア、味わいのカーブ。曲げにつぐ曲げ。
井伏鱒二の作品って、表現が直接的じゃないんですよ。主題を明言しない。
愛のすばらしさー!とか、平和の重要性ー!とかみたいに、テーマを明確に主張したりはしない。なんちゅうのかなあ、一般的に小説を書くときは設定とか登場人物の性格とか状況とか、そういうのに作者の主張を投影させるもんだけど、鱒二の場合はそうじゃなくて文章全体ににじみ出ているわけです。
表現が屈曲・迂回するんです。
そうだなあ、歌でいうと直球表現が演歌やブルース(哀歌)だとしたら、なんだろう…レゲエとかになるのかな?」
おっ核心にせまってきた。ところどころ音楽に喩えるところが、さすが町田氏。
なぜ曲げるといいのか。
曲げることによって何が生まれるのかというと、ユーモアと飄逸。
屈託とユーモア、滑稽味と物悲しさが渾然一体となっておもしろさが生まれるのだという。
ここで、実際の作品を適宜引用して朗読しながらの解説にうつる。
『ジョゼフと女学生』
ここでいきなり町田氏が、鱒二って勉強できない女の子に男が勉強を教えるシーンを色んな作品で描いているんですよ。鱒二は勉強できない女の子に教えるフェチなんです。
と言ったので笑ってしまった。確かに。
この作品でも屈託や曲げが多用されており、異性交遊の話が急に貧乏の話になったり、
文体がわざと不自然な翻訳調になったりする。ここに可笑しさ・ユーモアが生じるわけである。
4.町田氏の解説によると、当時の時代背景にプロレタリア文学の台頭・文壇の左傾化があったという。文壇の左傾化に与したくない、そういうのに縛られずに自由に表現したい、時代が左傾化しろと圧力をかけてくるけれど左傾化できない・したくないという葛藤がこのような表現方法を生み出したのだと。
『朽助のいる谷間』
では、ダムの底に沈む村に棲み処があった鳥たちが集っているところへ石を投げて残酷にも追い払うシーンを取り上げた。
鳥は元の棲み処を追われるものの、将来的には別のよい棲み処をみつけてけっこううまく生きていけるかもしれない。
話の展開としては、「曲げ」と「直し」が次々と重なりかんたんに決着することなく続いていく。人生も書くことと同じで、曲げと直しが決着せず延々と続いていくのだというメッセージが読み取れるとのこと。
5&質疑応答
・実際に読み手を意識して小説を書いていると「曲げる」のはこわい。直接的に主題を表現し、結論を急ぎたくなってしまう。「曲げる」のはそんな書き手自身の恐怖心との戦いだ。しかし、決着にむかって最短のルートを辿るような小説だけをよしとするのは如何なものか。「曲げ」によって生じる味わいを大事にしていきたいとのこと。
・井伏鱒二の「屈託」と「曲げ」の文学から何を学べるか
→時代の空気に染まらないこと。発散せず吸引する。(現代は発散することをよしとする風潮に傾きがちだが、吸引することもだいじなのではないか)
対象をしずかに観察すること。過剰にせず、引き算をしていくこと。
・井伏鱒二を読んでて、「屈託」「曲げ」ばっかりだと嫌になることはないのか?
もっと明快にして欲しくなったりしないのか。
→ならない。読み手が嫌にならないように絶妙なバランスをとっているのが小説家のすごいところ。文章というのはスローガンではない。
純粋な「いい」も純粋な「いやだ」も実際には存在しないので、そういうのが渾然一体となっているさまを表現しているところがいいと思う。
「たとえば、おいしい牛乳という名前の商品がおいしいとは限らないじゃないですか、ネスカフェゴールドとネスカフェゴールドエクセラがあったらどっちが良いのか、みたいな…」
って、まったくたとえ話がピンとこなくて笑った。
・町田氏が井伏鱒二の文学から受けている影響はあるか
→影響受けてるとかいうのも畏れ多いレベルでリスペクトしている。井伏鱒二は仰ぎ見る山脈、山の尾根のような存在。しいて言えば、自分は大阪の人間やから過剰に足していく方向に走りそうになるので、「抑制」を心掛けるようにしている。
・町田氏と井伏鱒二の文学の共通項は?
→哀愁とユーモアが渾然一体となったところ。その境地に近付きたい。
レポート以上です。
講演できいた内容をより深めるために文学館内の展示も閲覧できたらよかったのですが、体調的に余力がなかったのでそのまま帰宅。
「人んちの本棚が見たい」その⑥
人んちの本棚を見せていただきわたくしが満足する企画、第6回目です。
今回紹介するのは
はよしさん(@hayo_C )です。
よろしくお願いします!
はよしさんのコメントはカギカッコ、
わたしの感想は地の文です。
おお!小説、時事問題、世界史、サイエンス、戦争学、実用書、資格など色んなジャンルの本が揃っています!
珈琲の本にちょっと和みました。
世界を俯瞰的に観察し、あらゆることに関心を持ち冷静に学びを深めている方なのだなという印象を受けます。
個人的に気になる本ばっかりで、
一冊一冊手に取りたい衝動に駆られます。
文学作品のラインナップだけみてもサロメ、オーウェルの動物農場、中島敦の山月記、伊藤計劃、中島らも、孫子、高村光太郎詩集、村上春樹…古典・SF・詩・現代小説とバラエティに富んでいます。
しかし、本棚を見せてもらっている方々の村上春樹作品の所持率高いな…。
むかしノルウェイの森を読んでキェェェェエーー!!!となって以来(反発をおぼえつつも定期的に読み返したくなる、不思議な本です)村上春樹の作品は読んでないのですが、私も新たに何か読んでみようかしら。
変わりまして、ここは机の上かな。
聞く力、日本語の使い方、電話応対、投資信託、秘書検定参考書、物理学、宇宙、数学などさまざまな分野の学術書、実用書、啓発書、辞書類が並んでいます。
知的活動の活発さがうかがえます。
圧倒されます。
めっちゃ頭使ってそうです。
熱いコーヒーと甘いお菓子を差し入れたくなります。
そしてちょこんと座っているぬいぐるみ、フィギュアに和みます。
「実家に出戻りしたので、既存の本棚を間借りしています。
入りきらないので机上台にも本を並べています。実はこれ以外にも山積みになっている本があります。
改めて俯瞰すると、面白そうな本ばかりでさすがわたしの本棚です。」
ですね〜
写真に写っていない山積みの本も気になるぞ!
私もちゃんと世界のことを勉強しよう…という気持ちになりました。
はよしさん、どうもありがとうございました。
「人んちの本棚が見たい」その⑤
ひとの本棚を見て楽しくなる企画、第5回目です。
今回紹介させていただくのは
りかさん(@Rika__ )です。
よろしくお願いします。
カギカッコがりかさんのコメント、
地の文は私の感想とさせて頂きます。
写真でーす
!?
どういう状況だ?
「本棚というか押入れにコストコの靴箱をぶち込んだものです。右側に見えるプラスチックのケースには、映画のパンフレットやコミックが収納されています」
押入れを本棚として活用しているのですね。斬新!!
(一瞬めちゃくちゃ天井が低い部屋なのかと思いました)
コミックってひとつの作品につき何巻もあったりするからかさばりますよね。
プラスチックのケースに重ねて入れて保管するというのはポピュラーな方法のようだ。
映画のパンフレットをとっておくのは良いですね。私はせっかく映画館で観たものをドンドン忘れてしまうので、紙のパンフレットという形で思い出を保存しておくのは浪漫を感じる。
「几帳面な人が見たら泡吹いて倒れるだろうなといつも思います。」
小説、コミックが豊富ですね。
小説は筒井康隆、中島らも、内田春菊、村上龍、村上春樹、安部公房、群ようこ、江國香織など。
コミックは藤子・F・不二雄、手塚治虫、楳図かずお、つげ義春、東海林さだおなど。
鋭敏な感性を持った方、新しいものと古いものの良いところを取り入れて共存させるのに長けた方という感じがします。
ミノタウロスの皿とか、笑ゥせぇるすまんとか、漂流教室とか、アドルフに告ぐとか、ナニワ金融道とか、けっこう読んでる漫画が共通していて嬉しかったり…。
あくまでも私がパッとみた印象ですが、生きることの本質や不条理にせまるビターな味わいの作品が多めのような。
「本棚には後列もあり、本を探す時はヘッドライトを装備します(暗いので)。
そのままここで本を読むこともあります。暗くて狭いので意外と落ち着きます。 」
すごい!隠れ家みたいでドキドキする!
この妖しい仄暗さ、なんとなく江戸川乱歩の世界っぽい。
もはや『本棚』という家具ではなく、ひとつの居場所、世界として完成されている感があって引き込まれます。
今回はナイショの秘密基地をこっそり見せてもらうような雰囲気でドキドキワクワクさせて頂きました。
りかさん、ありがとうございました。
「人んちの本棚が見たい」その④
人んちの本棚を見せてもらって私が個人的に楽しくなる企画、第4回目です。
今回ご紹介するのはルルイエさん
(@Rlyea )です。
以下ルルイエさんのコメントはカギカッコ、地の文が私の感想です。
よろしくお願いします。
ルルイエさんですが、ルルイエという単語はクトゥルフ神話
(邪神が跳梁跋扈し人間を翻弄しまくるという架空の暗黒神話で、ラヴクラフトやダーレスをはじめとするパルプ・マガジンの作家仲間達が中心になって創作を行い、その神話体系をつくりあげた)
に出てくる架空の地名なので
クトゥルフ神話をはじめとする妖しげな物語群・芸術・文化などに詳しい方なのでは!?と期待してフォローしたという経緯があります。おまじない研究家でもいらっしゃるし。
写真いきます
馬やメロンなどの置きものが飾ってあってファンシーですね☆本取り出しにくくないすかコレ。ガサツな私が真似したらなぎ倒してめちゃくちゃにしそうです。
ルルイエさんの本棚ということで、ラヴクラフト全集や魔導書がないか、つい拡大して探してしまいますね。
「フフフ、どっちもありますね笑」
パッと目についたのがおまじないの本、タロットの本、ヘンリー・ダーガーの本、ナボコフ(有名な『ロリータ』の作者です!)の短編集と、それらに混じった料理の本たち。妖しげかつポップな雰囲気を醸し出しています。
「写真集、画集などの大型本が多いので大きめの本棚を使っています。 」
金子國義さんの画が特にお好きなんですね。
「中身は90年代トレヴィル系、ガーリーカルチャーを中心に、好きな作家を執拗に集めるスタイルです。
小説は読み返さないので、本当に好きなものだけ残してます。」
私はけっこう色んな小説を繰り返し読むたちで、めっちゃ好き・まあ好き・普通・たまになら読みたいかも・合わなくてムカつくけどたまに無性に読みたくなる…という各ランクの本を網羅しておきたいタイプなので、持つ本は厳選してます!ってスタイルには興味と憧れがあります。
「本棚は頭の中とほぼイコールだと考えているんですが、数年前と比較して、実用書の割合が増えました。大人になったってことでしょうか…。」
そうですねえ。しみじみ。
これから本棚の中身がどのように変化していくのかも、また楽しみですね。
ルルイエさんありがとうございました。
今回は以上です。
「人んちの本棚が見たい」その③
人んちの本棚を見せていただく企画、
第3回目です。
今回紹介するのはふて寝さん(@yokonisitekure )です。
よろしくお願いします。
カギカッコはふて寝さんのコメント、
地の文は私の感想です。
では写真いきましょう
どーん
おお!?なんか整然としていてカッコいいぞ!!
本棚に入りきらない本たちはボックスに入れて、ネームプレートに内容物が書いてあるんですかね。すごくシステマティック…
「書店員としてアルバイトをしていたときに印象に残っている言葉が二つある。
『書棚の隙間は書店員の恥』
『乱れた書棚は著者への侮辱』
とてもかっこよかったので、自宅の本棚でも守るようにしている。
このワンルームに引っ越しを決めた理由は壁に備え付けられた棚だった。絶対本棚にしよう、これでモテを獲得していこう、と画策していたが、そもそも女子をこの部屋に呼ぶことがないということに気づくまで半年かかった。
引っ越しの際に死ぬほど本が多くて、もうブックオフに全部引き取ってもらってそのあと死のうかと思ったのを辛うじて耐えて作り上げたこの本棚は、誰に褒められるわけでもなくただ俺の欲望を一手に背負ってくれている。
高校時代からバイトをするようになって、本への物欲を抑えきれなくなった。個人で管理できる許容範囲を超えてきているので本棚には
“人に薦められるお気に入り”
だけを入れるようにした。
二段目は特に大好きなものを集めているので、最近は酔うともっぱらこの棚を観てニヤニヤしている。悩みは本棚の上のホコリを上手に取れないこと。何かいいアイディアお持ちの方、教えてください。」
すごいぜ!熱いぜ!ふて寝さん!!!
思わず聴き入ってしまいました。
書店員の経験がおありとのこと。
本への情熱や思い入れは相当なものがありますね。
この本棚を眺めながらお酒のんだりくつろいだりするの、相当愉しいでしょうね。
乱れた書棚は著者への侮辱か…
いや〜耳が痛いですね。
今確認したところ私の本棚では太宰治が逆立ちし、ドストエフスキーが横倒しになっていました。
私の本棚もそのうちブログに載せようと思うので見てやってください。
備えつけの棚を見て本棚にしよう!と引越し先の部屋を決めたエピソードも惹かれます。
みんなが直面するスペースの問題に関しては、人に薦められるぐらいお気に入りの本を厳選して並べることで対処しているのですね。ますます本のラインナップに興味が湧いてきます。本談義に花を咲かせたいです。ホコリ問題は、どうしましょうね…踏み台や脚立に上ってハンディモップでスーッてやるぐらいしか思いつきませんでした。すみません。
「本棚はわかりやすく趣味を反映できるから人間の中身をみるために最適なツールだと思う。
今回のこの企画で少しでも愉快な人に写っていれば良いなと思いながら。
あとモテたい。身に余るほどモテたい。」
……ふて寝さん、モテたい気持ちはすごく分かりましたが、なにぶんこのブログは知名度が低いのでブライトなプリティーリトルガールの目にとまる確率は低いと思われます!残念!でも協力してくれてありがとね!!!
あなたの本への情熱しかと受け止めました!!!!
ふて寝さんありがとうございました。ではまた次回。
「人んちの本棚が見たい」その②
わたくしの単純な好奇心から人んちの本棚を見せていただく企画、第二弾です。
二人目の方は、らんちゃんさんです。
その①に同じく、らんちゃんさんのコメントはカギカッコ、私の感想は地の文です。よろしくお願いします。
第一弾で紹介した方がまさかの本棚がない、という衝撃の幕開けでしたが
今回はなんと棚があります。
廃墟の雑誌、伊豆の特集誌、顔だし看板大全、地球の歩き方、終末観光、中国の遊園地図鑑など、気になる雑誌が色々ありますね。
お出かけ好きとお見受けしました。
それも、ライトな観光地をそつなくおさえる感じの旅行じゃなくて、自分のお気に入りの場所やテーマを追求するディープな旅行が得意とみた。
普段どんなお出かけをするのか気になりますね。
ほうほう。この接写してくれたのが特にお気に入りなのかな?星新一は私も好きです。自分が持ってるのと同じ作者の本を人が持ってるとなんかテンション上がります。
「ちょっと前に、断捨離する!!と大胆に本棚の整理をして、それでも残った本たち。
改めて客観的に見て、つくづく私はモテない女やなと思った次第です…」
モテという概念なんてクソ食らえですよ!気の合う人と充実した人間関係を築けたらオールオッケーです。
断捨離を生き残った精鋭たちが本棚に並んでいるのだと思うと、改めてそのラインナップに興味がわきます。
私は読んだことないのですが、女性心理の洞察と表現に長けた作家たちというイメージがありますね。
「星新一さんの本、実は過去全て断捨離したのですが、プレミアムカバー版が出たのでまた買い直したんです…笑」
処分した本を買い直すの、メッチャわかります!
本をしまうスペースの問題と、どの本を手元に残すかという葛藤。本への愛着と整理せねばという義務感のせめぎ合い。読書家にとって永遠のテーマですね…。
らんちゃんさん、ありがとうございました。
「人んちの本棚が見たい」その①
「人んちの本棚が見てみたい」というごく個人的な欲求により、ツイッターで有志者をつのり本棚を見せていただく、という企画をすることにしました。
一人目の方は、こまんたれ部さんです。
こまんたれ部さんのコメントはカギカッコ、僭越ながら私の感想を地の文で合いの手として入れさせていただきます。
よろしくお願いします。
では、早速写真を…
わぁ!いきなりワイルド!
「いま本棚がなくてこんな感じなのですが」
まさかの、本棚が無いという展開です
しかしながらまぁ私の意図としては
本棚っつうか人の蔵書、どんな本を集めてどんなふうに保管して読んでるのかを知りたいって感じなので本棚がなくても本があれば全然OKです。
心配ご無用です。
町田康ファンの私の目には『ホサナ』が最初に飛び込んできましたよ。
こだまさんの『塩で揉む』もありますね。最近評判の本にぬかりなくアンテナをはっている様がうかがえます。
「引っ越す前は机の両側に本棚があったんですが、ハの字型に傾いてしまって
なんだか面倒になって…。
引っ越し先では段ボールに詰めたままになってた本を、取り出しては読んで売るスタイルで新しく買った本も気に入ったのや読んでないの以外はすぐ売るようにしました。
そしたら本にあまり愛着がわかなくなってしまって、積ん読も大事なんだなぁと思いました。
背表紙見るだけで、少しは内容のことを思い出しますし。」
紙の本は買ったぶんだけどんどん嵩張っていきますから、限られた居住空間においていかに本を置くスペースを捻出するかが読書家にとっては課題となるわけですが、こま部さんは読んだらどんどん処分していくスタイルをとっているわけですね。
積ん読の効用と本への愛着については共感します。読書する上でけっこう重要な要素ですよね。でも本を捨てずにいると居住スペースが圧迫されるし…この辺の兼ね合いは難しい問題です。
井上陽水の音楽CDが…音楽CDも本と一緒に保管するスタイルですね。
「この、枕もとに積んでいる一群が一番よく読むやつです。」
よく読む本を枕元に置くやつ、私もよくやります。手が届くところに置いておきたくなるんですよね。
今回は以上です。
程よい乱雑さが(失礼)個人的に親近感湧きました。
こまんたれ部さんありがとうございました。
あと4〜5回ほどこの企画やります。
併せて、「わたしの本棚も見せていいよ」って奇特な方がいましたら声かけてください。いつでも待ってます。
人に会えたので良かった
ずっと会いたかった友達2人に会ってきた。
いつ死ぬかわからないので、会いたい人にはどんどん会っていこうと思う。
思い出深い日になりそうだから後で自分で読み返して楽しめるように上手に文章にまとめたいと思ったけど、なんか気持ちが上滑りする感じでうまくいかなかった。仕方ない。
ドキドキしながら新宿駅の構内で待ち合わせをして、写真では知っていたけど綺麗で涼しい風みたいな女性(Pちゃんと呼ぶ)が笑顔で目の前にいてどぎまぎしてしまった。ロッカーがほぼ埋まっているので空いているロッカーを探して、
最近のロッカーは埋まり状況とかが電光案内板で見れるし、Suicaを使えるしハイテクですごいなぁと思った。
都会の電車はめちゃくちゃ混んでいてぎゅうぎゅうで、私が住む田舎ではこんな事ないから面白くてテンション上がってしまった。私なんかは非日常のアトラクション気分で済むけど、毎日通勤通学でこんな電車に乗る人はほんとに大変だな。
田舎住まいだから都会の駅の名前見るだけでいちいちテンション上がるー、なんて言って笑った。Pちゃんは私も地方暮らしだったからその感覚わかります、と同意してくれた。
歩きながら色々話した。
インドカレーたべて、庭園を見て(ドクダミの花がいっぱい咲いていた、Pちゃんは落ちていたツツジの花を拾って彼氏に見せるのだと言ってカバンにしまった。緑のもみじが日差しに透ける感じが綺麗で好きだと言っていた)、
寄生虫館に行った。
Pちゃんは今までの経歴上寄生虫のことをよく知っていて、横で解説をしてもらいながら観たので興味深く見学することができた。結構衝撃だった。
生肉は絶対食べるまいと心に誓った。
疲れたのでスタバにいって、店内は満席だったから外の植え込みのへりに腰掛けてよもやま話をした。
学生時代の研究のこととか、カバンに普段何いれてるかとか。
すごく心安らぐ時間だった。
都庁の展望室から見た景色が綺麗だった。夕日がまぶしいねといって笑った。
夜はKくんと合流して3人でビールを飲んだ。
花をもらった。ふたりが付き合うきっかけを作ってくれたから、仲人してくれたお礼だという。なんかおもしろかった。そして、ありがたい。
今回は特急列車のきっぷに都区内有効と書かれていたら一度改札を出なくても都区内の駅になら行っていいということ、
新宿駅は南口とか東口とかいっぱい出口があるけど田舎の小さい駅と違って
目的地によっては出口を間違えたら方向を修正するのが大変だということ、
改札の中のロッカーに預けた荷物をとって出たい場合は駅員さんにいって入場券をもらえばいいことなどを学んだ。
なんか駅のことばっかり言ってるな。
人生2回目のシーシャに行ったら久々すぎて吸い方を忘れていて、知ったかぶりで半端に吸ってたら、肺いっぱい吸い込んで吐き出さないとどんどん内部に煙がたまってきて苦しくなる状態になりますよと店の人に教えられた。道理で頭がボーッとするわけだ。危ないところだった。
迷いながらたどり着いたホテル。狭いが寝るだけなので充分だ。
居心地わりと良かったのでまた利用するかもしれない。
でも一度はカプセルホテルにも泊まってみたい。
Pちゃんからもらったお土産。
今回行ったところと全く関係ない駅弁。
東京に行くと絶対買ってしまうお土産。
私は一度気にいると何度でもそれを選んでしまう、保守的なところがある。
花をありがたく飾らせていただく。
都会とのギャップよ
マリさんの「ばかげた夢」に寄せて
5月6日の文学フリマ(文芸作品の展示即売会)で
僕の天使マリさんが出した本を戴いた。
タイトルは「ばかげた夢」。
マリさんと私は、お互いのTwitterやブログの投稿をいいなあ、と思っていたことがきっかけで交流がある。
今回マリさんが本を出すと聞いて、
遠方なので頼み込んで一冊送ってもらった。
自宅のポストに投函される音を聞くやいなや玄関に駆けつけ、封筒をあけるのももどかしくページをめくり一気に読んでしまった。
それぐらい繊細で惹きつけられる文章だった。
文章がひとの情緒にもたらす効果について考えずにはいられない。
恋とコーヒーとネオン…夜更けの喫茶店を舞台にした、男性客とウェイトレスをめぐる出来事を双方の視点から鮮烈に描いている。
五感を通じて感情が揺さぶられるような、活き活きとした文体だ。
(番外編 たまらなくなるもの)
「自分にとっての◯◯なもの」をガーッと列挙していくのは、やる方もみる方もある種のカタルシスが得られる行為だと思う。
自分にとってのたまらなくなるものはなんじゃろな、と空想して愉しかったですよ。
ドリーマー・ドリーマー…ライターの女性である書き手が、姪とテーマパークで遊ぶという出来事を通して
自身の大切な思い出や文章というものへの想いを述懐する。
生活上のなんてことのない出来事にも、自身の言葉や感情を触発するものどもは其処彼処にひそんでいる。
日々のしんどい雑事をやり過ごすべく意図的に死んだ状態にさせていた心の中の柔らかい部分に血が通い、自分にもこういう思い出がある、文章にしたい…という文章欲?が触発されるような一篇だった。
読み終わったじぶんは滂沱たる涙を流し、おのれもまた言葉に絆されて、
言葉にまみれて生きていくのだなあ死んでいくのだなあ、と思いましたよ。
積み上げてきたものをこわす
phaという人の本を読んでいて印象的だったエピソード。
羽生善治さんの将棋の何がすごいかというと、初めからひとつひとつ積み重ねてきた作戦を「あ、これはダメかもな」と思った時点ですべて切り捨て、
全く新しい一手を打つことが出来るところだと。
将棋のなかの話だけではない。
普通の人間の心理として、
過去に自分がコツコツ積み重ねてきたことは容易に否定できないものらしい。
なので、大抵の人は「これまでやってきた事はダメなんじゃないか、もっと新規なやり方のほうが活路を見出せるのでは…」という考えが頭をよぎっても、
今までやってきたことを無駄だと認めたくない心理が働き、
今までのやり方を惰性で続けがちである。
そんな中で、自分が今まで積み上げてきたものをバッサリ切り捨てて新しい道へと踏み出せる人は強い。
そういう話だった。
そうありたいものだ。
人間関係について考えていた。
周りの人間すべて好き嫌いのどちらかにハッキリ分けられて、それで付き合う・付き合わないってふるいわけられたら楽なのかもしれないけど、
人間への好悪の情ってもっと曖昧でグレーな感じじゃないですか。深遠ですね。