buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

こんにちはムルソーさん

 カミュが書いた『異邦人』の主人公ムルソーが好きだ。『異邦人』は、高校生の頃教室の空きロッカーに放置されていたのを拾って何気無く読んだのだがあっという間に魅了され、持ち主不明のその本を自分のものにしてしまった。ムルソーは訳の分からない行動をする難解で不条理な男だという評価には全く賛同できない。

f:id:osenpe:20200501001221j:image

この本もそうだけど、一般的な価値観を超越した表現がされている内容を紹介する時「不条理」という単語はあまり使わないほうがいいのではないだろうか。難しくてすぐには理解できないような事柄を不条理、シュールと称して何かを分析した気になってそこで探究をストップしてしまう人がしばしば見受けられるので、もっと深く作品を評価するためには不条理という言葉を封じた方がいい気が個人的にはしている。

 個人的に 『異邦人』で印象的なシーンを挙げる。ムルソーが職場の上司にトイレ洗面台の手拭きタオルがいつも湿っていて気になると訴えてそんなのは些事に過ぎないと軽くあしらわれるシーン。ちょうど繁忙期に母親が死んで葬儀休暇を申し出る際、やや不満顔の上司に「母親がこのタイミングで死んだのは別に自分のせいではないですから」と言った後でこんな事言うべきじゃなかったかもなと反省するシーン。葬儀直後に部屋に閉じこもって気怠い日曜日をやり過ごす際、往来の人を眺めたり、古新聞を読んでクリュシエンの塩の広告を切り抜いてスクラップ帳に貼り付けたりするシーン。その他にも相手の話に退屈したら退屈している事を隠さないし、悲しい通夜の最中だろうがミルクコーヒーを飲んで番人と楽しく談笑したり、葬儀の直後に魅力的な女と会ったら性交したり、結婚したいと言ってきたマリイに対してお前のことはわりと好きだけど結婚する気はないとハッキリ言ったり、何というか全てに対して嘘や誤魔化しがないし「今」を生きている感じがする。重要なのは、彼は確かに母親を深く愛していて彼なりに母の死について喪失感を持っているということだ。だから、第二部でムルソーが殺人を犯して裁判にかけられた際、通夜の最中に談笑してたとか、葬儀中涙をみせなかったとか、葬儀直後に女とデートしたとか傍目にみてあまり悲しんでいるふうに見えなかったという事柄をもとに「ムルソーは冷酷非情で母親のことも大事にしてなかったに違いない、そのうえに殺人を犯す奴なんか死刑でいい」と周囲の人々に断定されてしまったことに私は憤りを感じた。殺人をしたこと自体は責められても仕方ないが、一般的な人の物差しで見てあまり悲しそうじゃないから人でなし、だから重い刑を課してもいい、という論法がひどいと思ったのだ。

 

そんなふうにしていったん死刑が決まったあと、特赦請願をする権利がありますよと言われたムルソーは少し迷うのだが「人生が生きるに値しないことは誰でも知っている。誰しも自分の死ぬタイミングで死ぬだけのことだ」と考えて特赦請願を却下する。

 

「人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?」

 

死刑確定後にムルソーが司祭に言った言葉である。

 

f:id:osenpe:20200501010258j:image

文庫本の解説に、カミュ本人が英語版『異邦人』に寄せた自序の一部が載っていたがこれは何度でも繰り返し読みたいと思った。ムルソーは、嘘のない筋の通った人間なのである。こんなふうに生きることができたら最高だ。