buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

服のこと

最近は派手な柄物の服が好きになってきた。自らの着る服の変遷を振り返ると、感慨深いものがある。

服にこだわったところで…と思ってテキトーに作業服とか好きでもない変な形のジーパン着てたころに比べると、自分なりに好きな服を選んで過ごしてる今は段違いに精神状態が良い。どんな服を選んで着るかって重要なんだな。今まで長いこと漫然と服を着て過ごしてきたのだが、惜しいことをした。

きょう生まれて初めてアロハシャツを着たら、思いがけず気分が高揚して楽しかった。ツイッターで似合うと褒めてもらったり、思いがけず他の人と服談義に花が咲いたりした。

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きょうこんなに服について考えるのは、昨日読んだ藤崎彩織さんのエッセイに触発された部分も大きい。彼女は自分の容姿と付き合う上での葛藤を語るにあたって太宰治の『皮膚と心』に触れていたが、私は太宰の『おしゃれ童子』『服装に就いて』という短編も推したい。

いずれも自らの容姿や服装と向き合い試行錯誤し奮闘するさまを軽妙に描いていて、ちょっとユーモラスな味わいのある話である。中学生の頃読んだときは太宰ってオシャレなんだな〜という他人事みたいな感想だったが、いま改めて読むと人々が普遍的に抱く容姿、服装への葛藤や悩みに通じていて興味深い。

 

私は今まで服装なんてどうでもいいやと投げやりになったり、何とかマトモに見えそうな服を選ぼうと躍起になって疲弊したりした時期を経て「好きな服、突拍子もない派手な服を着よう。あとは機能性と快適さ重視」というスタンスに今のところ落ち着いている。

随筆の日々

毎朝インスタグラムに自分の髪についた寝癖を載せている人がいて、私はその人の投稿を愉しみにしている。髪が嵐に揉まれたみたいに逆立っている日もあれば、「よくもまあこんな形に」と感心してしまうほどの造形美を呈する日もあれば、ほぼ癖がついていない日もある。

時々髪の色が変わるが、長さはずっと顎が隠れるぐらいのボブみたいだ。

その人が今日載せていた動画と写真は特によかった。コインランドリーで布団の洗濯を待っている間、シャツの背中にドライヤーの刺繍をしていたのだという。「着た時に下から髪にドライヤーを当ててるみたいに見せたくて」とのことだったが、なんかもう全てが穏やかで微笑ましくて、まさに随筆だなぁ、と思った。

 

 

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ベストエッセイ2018を少しずつ読んでいる。今日心惹かれた文章について書き留めておく。

 

・『皮膚と心』藤崎彩織…女性は美しくなければならない、という世間の圧力に反発し続けていた書き手が、心の中では自分なりの美しさを求めていたことに気づき自らの“女”性に向き合うに至る過程を、太宰治の短編『皮膚と心』に出てくる女性の心情に重ねて細やかに書き綴っている。この話を途中まで読み進めたところで、書き手の藤崎彩織さんが人気バンド  セカイノオワリの女性メンバーだということに気づいてびっくりした。なんとなく、この本におさめられている文章はぜんぶ作家が本業の人たちが書いたものだろうと思い込んでいたからだ。職業作家に限らず、いろんな人たちの書くいろんな文章が読めるというのはとても豊かで愉しいことだと思う。

 

・『栞の救出』恩田陸…本を読む、という行為の魅力について書かれている。この話を読んでいて、ひとの読書姿ばかりを集めた写真集の存在を知って俄然見たくなったので早速注文した。本を読んで著者と対峙するのはとても個人的で能動的な行為なのだ、という一文が特に気に入った。本当にそうだと思う。

わたしんちの本棚

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私の本棚はかなり乱雑である。

上下逆さま、横倒し平積み上等。

作者ごとに蔵書をまとめると言うこともなく、ひとりの作家の本があちこちの本棚に散り散りになっている。

几帳面な読書家の人に見せたら首を絞められそうである。


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学生時代の英語と国語の教科書は読み直して楽しむためにとっておいてある。

自動車の運転が下手なのでペーパードライバー向けの教本や参考書もある。

あとは漫画。岩明均ヒストリエが好き。ロック音楽のバンドスコア、画集もある。絵画はファン・エイクやホッパーが特に好きである。


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聖書に興味があるので聖書関連の参考書がある。微生物学を専攻していた名残で、微生物関連の書籍がある。


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私がリスペクトしてやまない町田康のコーナーだけは頑張って作ろうとしたのですが挫折しました。


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漫画、イスラーム関連、流行本、動物関連のスペース。この辺は夫の持ち物が多い。一番上の段には今勉強している英日翻訳の教材、人からもらった手紙、レターセットが押し込まれている。


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さいご。面白そうだと思って手を出した本が雑多に詰め込まれています。

 

乱雑すぎてコメントに困りますね

 

敢えて言うと、私は取りとめのないことは敢えて取りとめのないまま泳がせておこうとする傾向を持っています。その方が面白い気がするからです。

あと、蔵書を厳選したいとは特に思っていなくて

・めちゃくちゃ面白く読める心のよりどころ

・まあまあ面白く読める

・鼻持ちならないがたまに無性に読みたくなる

・体調によってはまあまあ読める

・たまに気になる

・必要だから持ってる

…くらいの各段階の思い入れのある本をフワッと所有するスタンスです。

 

とはいえ、スペースに限界があるのでしばしば嗜好性の低い書籍から処分せざるを得なくなるのですが。夢が叶うならば自分専用のデカい図書館を持ちたい。

意を決していちど処分した本をまた手元に置きたくなって買い直すという無駄なことを何回もするので、年中カネがありません。

これからも無駄ととりとめのなさを愛しながら生きていこうと思います。

夏、死んでいく。新でいく。真でいく

※今回は数枚虫の画像がある。

 

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これは潜む犬。

 

夜の公園にカブトムシを探しに出かけた。結局カブトムシは見つからなかったが、セミの幼虫を2匹見かけた。

抜け殻にはよくお目にかかるが、生きて動いているやつは初めて見た。

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そう連れに言うと、脱皮の観察する?ときかれたので、羽化したら外に放すことにして1匹の幼虫を木の枝につかまらせて連れ帰った。

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翅が青白くて美しい。

朝になったら、夜には白く柔らかで頼りなかった体はすっかり茶色くかたく光沢を帯び、力強い生命力を感じた。外に放した。元気に飛び去った。腹の形状を見るとオスらしかったが、家にいるときは一度も鳴き声を発しなかった。もう外の世界で鳴き方を覚えただろうか。

他にも、アリの大群が女王アリを囲んで大移動しているところとか、カミキリムシの交尾とか見れて面白かった。

 

暑さに弱くて夏になると鬱っぽくなる傾向にあったが、最近はなんとなくあっけらかんと過ごせるようになっている。服薬のおかげもあるのかもしれない。お気に入りの夏服を買って着たり本を読んだり冷房や季節の果物を楽しみにしたりして過ごすうちに夏への憎しみは年々薄らいでいく。

夏にしか読まない本、夏にしか聴かない音楽、夏にしか見ない絵、夏にしか着ない服、夏にしか食べない果物。

民家の軒先に張られたビーチパラソル、ゴムプールで遊ぶ幼児、日射しの只中でひるがえる洗濯物。昼下がりの室内で酒を飲みながら書く趣味の随筆。窓越しに物憂げに外を眺める犬。1時間に2本だけ、家のすぐそばを駆け抜ける電車。

今年は記録的な猛暑だ。灼熱でたくさんの人が死ぬ。私もまた微睡みながら死んでいく。

特集 ともだちがいない!を読んだ

露骨に性的な描写を含むので、潔癖な方は読まないことをオススメ。

 

きょう1日の休みのためだけに右手の爪を血豆色に塗った。派手な色なので、あした仕事へ行く前に落とさなければならない。いつもはベージュ色のマニキュアを塗って1週間もたせたりするので、これは極めて珍しいことと言える。

この三連休で英文翻訳の通信講座課題をやっつけて、答案をポストに投函することができた。

 

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ブコウスキーの文章目当てに、柴田元幸編集の文芸誌『MONKEY』を買った。ともだちがいない、という特集なのも興味をそそる。

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他にも色んな人の文章が読めるぞ

 

 

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『アダルト・ブックストア店員の一日』というブコウスキーの短編。

ブコウスキーの作品は案外スラングが少ない。なぜか。スラングは仲間内の通り言葉である。ブコウスキーには仲間、友だちがいない。ゆえに彼の(自伝的)作品にはスラングが少ないーこの思考の連鎖から特集「ともだちがいない!」が生まれました。

と説明書きにはあった。本当にブコウスキーに友達や仲間がいなかったのかどうか事実は知らないが、この考察は面白く感じた。

タイトルの通り、アダルト・ブックストアに勤めるマーティの1日の仕事の様子が淡々と描かれている。

あらゆる性的嗜好の客が入れ替わり立ち替わりやってきたり、騒動が起きたりする。

あそこに毛のない女のポルノビデオを所望する若者、剃刀で雑誌から写真を切り取る男、店中のディルドを物色して「黒いのを置いとかなきゃダメよ」と説教する女の子、ダッチワイフにはかせる黒いパンツを買う男、手の形をしたオナホールを20ばかしも購入する男。映像機械の前ではマスをかく男の姿が丸見え、アーケードルーム(25セントで短篇エロ映画が見られる小部屋のこと)ではコインの投入口が誰かがぶっかけた精液でベトベトだの、アーケードルームには怪しげなカップルが棲みついてフェラし合ってると苦情が入るだの、クソマニアが大量のクソを残して行っただの、ハプニングに事欠かない。

マーティは動じることなく、客の応対をしてあれこれ人形や下着やカツラを客に勧めたり、コインの投入口を雑巾で拭いたり、クソを新聞紙で包んでトイレに捨てたりする。とんでもない内容に違いないが、淡々とした冷静な筆致で、過度に扇情的になることもなく文章を組み立てる様は舌を巻くほかはない。

こんなに放埓で性的なことをあけっぴろげに描いてなお「ふん、こいつ突っ張ってやがる」的な鼻持ちのならない印象を与えず、スッと読ませる作家はほかにあまり知らない。こんな変なやつらがいてさぁ、びっくりするだろー?ゲーッて感じだろー?俺なんかはそんなことしないけどね、勘弁してよー。みたいな気取りや突き放しが一切無いからだと思う。ブコウスキーは高邁ぶった態度や虚飾的な態度はひどく嫌うが、メインストリームから外れた社会的立場で素直かつ誠実に生きている人たちに向ける眼差しは、非常に優しい。

 

話の終わりの方で夜番のハリーと勤務交代するときに、仕事は気に入ったかという話になり「悪くないよ」「まずいとこもあるけどさ、全体としてはいいよな」と言葉を交わすところが良い。勤務を終えたマーティは夕食にステーキを食べるべく街へ繰り出すところで話は終わる。

酔いどれ

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金曜は久し振りに飲み会に行きました。

私がどうしても酒を飲みたくてたまらなくなったので職場の人数名を誘って宴会をセッティングしたものの、元々人付き合いに長けている訳でもない私はなんだか緊張してきたので『ブコウスキーの酔いどれ紀行』を読んでイメトレ。

原題はシェイクスピア・ネヴァー・ディド・ジス。変わったタイトルだなと思ってたら、ブコウスキーシェイクスピアが嫌いだったそうで「鼻持ちならない上流階級野郎のたわごと」と貶すのが常だったということだ。権威あるものだろうと嫌いなものは嫌いだとハッキリ言うところがブコウスキーらしくて面白い。原題にはそんな彼の矜持の念が表れているとあとがきには書いてあった。

ブコウスキーがTV出演や詩の朗読するために祖国ドイツを旅するんですけど、ワインを瓶でラッパ飲みしながら司会者に絡んで番組を引っかき回したり、詩の朗読も酒をあおりながらでかなり型破りで痛快なんですよ。
それを俺すごいだろ?って感じじゃなくて淡々と描くので味わいがあります。
常に二日酔いで、観光スポットでも「お城?モスク?くそくらえ!」って毒づいててかなり面白いです。

放埓さがありつつも、他人を見る目にはある種の温かさがあるのもブコウスキーの魅力。鼻持ちならない皮肉っぽさが無いから、スッと心に入ってくるのかもしれない。色んなものに火をつけるのにハマっている少年マイキーや、旅の途中で色々語りあった青年たちへの眼差しが温かだったことが特に印象に残っている。
規律に縛られていやになった人にぜひ読んで欲しいです。

 

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開会前に一人で行ったバーで飲んだ桃のフローズンカクテル。

バーテンが目の前でシェイカーをシャカシャカ高速で振るのを見るとなんか面白くてわろてしまうので困る。

グラスのふちに塩をつけるカクテルがあるが、あれはどうやってつけてんのかなと思っていたら、半分に切ったレモンの断面でグラスのふちをなぞり果汁で湿らせた上で、トレイに盛った塩の上にグラスを伏せてつけていたのでなるほど〜と思った。

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二次会で飲んだ日本酒。日本酒の飲み比べセットが大好き。

 

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三次会で飲んだ白ワインのサングリア。

この後急速に眠くなり、タクシーで家に帰った。

運転手は気のいい人で、今週は特別暑くなるから水分とって熱中症に気をつけてくださいね〜と言ってた。

 

酒飲むと楽しいね。また飲もう。

自転車に乗るように

精神を保って生活していくというのは自転車のバランスの取り方に似ているなと最近よく思う。

体をかたくしてその場に止まっていたらぶっ倒れてしまう。常に左右に少しずつブレながら動き続ける必要がある。

生活においても例えばひとつのカフェ、ある本、ある音楽、ある感情に触れてしっくりいったからといってそのしっくり感が永続するわけではない。そしたらまた別の場所を探したり、取っ替え引っ替え違う本や音楽に触れたり、感情を変えたり活動を変えながら人生をやり過ごすのだ。それが面倒くさい、もうコレで行く!と決めたらそれだけで大丈夫になれば良いのに。と思ったこともあるが、まぁそれも人生の玄妙・味として受け容れましょう。という気持ちになっています。今。

そんなおれはこの文章を松本駅のスタバで書いているぜ。膝に目を落とすとズボンの膝がやけにラメで光り輝いている。今まで気づかなかっただけで、もともとラメ加工のズボンだったのだろうか。そんなはずはないのだが。

と膝を手で払いながら思っていると、近隣の席に声と態度のでかい外国人グループがきて耳障りだからもう茶は止して大学へ行くぜ。

バイ。

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サリンジャーの本を持ってキャンプへ

早くも梅雨が明けてしまったらしい。

サリンジャーの新訳の本が届いたのでキャンプに持ってきた。

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有名な『ライ麦畑でつかまえて』に登場するホールデン・コールフィールドにまつわる短編、サリンジャーの作品ではお馴染みのグラース一家の兄弟姉妹や、『バナナフィッシュにうってつけの日』で自殺してしまうシーモア・グラースの幼い頃の思い出にまつわる話などが収められている。

若者たちの繊細な心の機微や会話の軽妙さを味わうことができるが、私個人としては野崎孝の翻訳がよりいっそう好きである。ちょっと癖があって、時代がかった文体が病みつきになるのである。これに慣れてしまうと、他の訳者による現代的でアクのない翻訳が物足りなく感じてしまう。

 

そんなわけでテントで寝転びつつ本を流し読みしていたが、外では料理中の夫が犬のいたずらを叱りつける声がのべつ幕なしに聞こえており私は読書を諦めて外に出た。

鮭の切り身が奇妙なオレンジ色の物体に感じられて、じっと見つめているのにもお構いなく夫は手際よく調理を進める。

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あっという間に鮭とアサリのアクアパッツァができた。美味。

 

湖畔で焚き火を見ながら酒を飲んでいると、小雨が降ったり稲光が走ったり蛍が飛んだりと盛りだくさんであった。

夫とはとりとめもない話をした。生きている人間のうちどれほどの人が適材適所にハマって生きていけるのかという疑問や、キャンプグッズや、ボートを漕ぐ話などについて。

 

2018年6月30日、木崎湖の湖畔にあるキャンプ場にてしるす。

 

辻邦生『十二の肖像画による十二の物語』

子供の頃、学校の国語の時間に教科書や模試の文章題、国語便覧を勝手に読み耽るのが好きだった。さまざまな作家のさまざまな作品に邂逅する貴重なひと時であったと思う。

そうして読んだ作品の断片は大人になってからも脳の片隅にそっと仕舞われていて、ふとした時に「そういえば、あの話面白かったな。全部通して読んでみたくなったから本を探して買おうかな」という気持ちを掻き立てる。

そうして出会った作家や作品は心の糧となって層を成している。

たとえば吉本ばななTSUGUMI』、ねじめ正一高円寺純情商店街』、星新一魯迅筒井康隆大岡昇平、ヘッセ、サキなどがパッと思い出されるのだが特に強い印象を受けたのが辻邦生が書いた『十二の肖像画による十二の物語』である。

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タイトルの通り、十二の有名かつ印象的な肖像画に寄せてそれぞれ想像力を存分にふくらませて物語を編み、人間の内面を描出・表現していくという趣向の本なのである。

どうです?これだけでもうだいぶ面白そうでしょう?

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各テーマは上の写真のとおり。

 

で、わたしが子供の頃教科書で読んで覚えていた一編というのがフェデリゴ・モンテフェルトロ公の肖像画に寄せて書かれた第十一の物語『婪り』(むさぼり、と読みます)である。

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著しく鼻梁の突き出た、重厚な男の横顔が印象的である。

あらすじは、冬の寒い夜モンテフェルトロ公の宮殿で夜伽の延臣たちがよもやま話に花を咲かせている場にモンテフェルトロ公自身が現れ、かつて身に起こった不思議な話を2つ聞かせる、というものである。

公が子供の頃助けた野鴨の恩返しを受けて政敵による暗殺を間一髪逃れた話と、戦で兵糧攻めを受けたときに自分にだけ見える不思議なご馳走のおかげで飢えずに済んだ話である。

食いしん坊なわたしはこの2つ目の兵糧攻めのご馳走の話をずっと覚えていたのだ。兵糧攻めにあったとき公は乏しい食糧を兵隊に分けて、自身はパン一切れとて口にしなかったという美談が語り継がれているのだが、イヤイヤ実はこういう訳だったのだ、と公は部下に語る。

私は夜になると、自分の眼の前に、実に妙なものが出現するのに気が付いた。それは焼きたての牛の肩肉だったり、燻製にした豚の腿肉だったりする。時にはゼリーに包まれた鶏のむし焼きのこともある。それに盃になみなみつがれた葡萄酒とか、チーズの塊りとか、露に濡れた果物とかが出てくるのだ。私は唾をのみ、眼をこすり、舌なめずりして、それに摑みかかろうと思った。私は大声をあげて近習たちを呼び立てた。彼らにもこの饗宴にあずからせようと思ったからだ。

このご馳走の描写が実にうまそうなのですね。それに惹きつけられている公の描写も臨場感があっていきいきとしている。

しかし、この不思議なご馳走は公がひとりっきりでいる時に限って現れ、部下が来ると雲散霧消してしまうことに気づいた公は、夜毎現れるご馳走をひとりでむさぼるようになる。二度と他のものは呼ばなかった。呼べば、せっかくの饗宴が消えるのではないかとおそれたからだ。

 

これでお分かりだろう。私はただ一人で肉でも魚でもむさぼり食べていた。むさぼる…それが私の本当の姿だった。しかし誰もそう思わなかった。そう見えなかった。だが、私には分かっていたのだ。自分の本当の姿がどんなものであるかということが

美徳家だと人々から称される公は、このように自分の心にひそむ貪婪さを部下たちに打ち明ける。

人間とは複雑な化けものなのだ。表面は静かでも、本当は荒れ狂った獅子のような男もいる。反対に雄山羊のように怒りっぽくても、内心は気弱な男もいる。人間ほど混沌として始末におえないものはないのだ。

(中略)

私が宮廷でも寡欲を説くので、人々は本来、私が欲のない男だと思っている。だが、そうでないからこそあえてそう説いているのかもしれぬ

この公の述懐に本作品のエッセンスが集約されているように思う。

 

 

2018年6月末の日記

6月に入って好きな酒を飲めなくなるぐらい調子が落ち込んだ時期もあったが、

気力を振り絞ってキャンプや好きな作家の講演会や音楽ライブに行ったりしているうちになんとか持ち直してきた。

やっぱり生活というのは自転車に乗るのと同じようなもので、怖がって止まろうとすればかえってバランスを崩して剣呑になるしなんとか続けていくためには常に小刻みにでも活動・躍動しているべきなのだろう。

 

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ベスト・エッセイ2018を入手。

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目当てはやはり町田康の文だが、他の作家の文もおもしろい。

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帯の文。

 

どの随筆も短めの文章から構成されているし、雑誌や新聞に載せられただけあって漫然とページをめくるであろう不特定多数の読み手を効果的かつ簡潔に惹きつけるための工夫がなされている。

書き手もそれぞれ違うので、色々な感性や文体を楽しめる。

エッセイ記事を目当てに幾多の雑誌や新聞を買い漁るのはなかなか難しいので、こういういろんな作家のエッセイを集めた本というのは嬉しい。存在を知れて良かった。