随筆の日々
毎朝インスタグラムに自分の髪についた寝癖を載せている人がいて、私はその人の投稿を愉しみにしている。髪が嵐に揉まれたみたいに逆立っている日もあれば、「よくもまあこんな形に」と感心してしまうほどの造形美を呈する日もあれば、ほぼ癖がついていない日もある。
時々髪の色が変わるが、長さはずっと顎が隠れるぐらいのボブみたいだ。
その人が今日載せていた動画と写真は特によかった。コインランドリーで布団の洗濯を待っている間、シャツの背中にドライヤーの刺繍をしていたのだという。「着た時に下から髪にドライヤーを当ててるみたいに見せたくて」とのことだったが、なんかもう全てが穏やかで微笑ましくて、まさに随筆だなぁ、と思った。
ベストエッセイ2018を少しずつ読んでいる。今日心惹かれた文章について書き留めておく。
・『皮膚と心』藤崎彩織…女性は美しくなければならない、という世間の圧力に反発し続けていた書き手が、心の中では自分なりの美しさを求めていたことに気づき自らの“女”性に向き合うに至る過程を、太宰治の短編『皮膚と心』に出てくる女性の心情に重ねて細やかに書き綴っている。この話を途中まで読み進めたところで、書き手の藤崎彩織さんが人気バンド セカイノオワリの女性メンバーだということに気づいてびっくりした。なんとなく、この本におさめられている文章はぜんぶ作家が本業の人たちが書いたものだろうと思い込んでいたからだ。職業作家に限らず、いろんな人たちの書くいろんな文章が読めるというのはとても豊かで愉しいことだと思う。
・『栞の救出』恩田陸…本を読む、という行為の魅力について書かれている。この話を読んでいて、ひとの読書姿ばかりを集めた写真集の存在を知って俄然見たくなったので早速注文した。本を読んで著者と対峙するのはとても個人的で能動的な行為なのだ、という一文が特に気に入った。本当にそうだと思う。
わたしんちの本棚
私の本棚はかなり乱雑である。
上下逆さま、横倒し平積み上等。
作者ごとに蔵書をまとめると言うこともなく、ひとりの作家の本があちこちの本棚に散り散りになっている。
几帳面な読書家の人に見せたら首を絞められそうである。
学生時代の英語と国語の教科書は読み直して楽しむためにとっておいてある。
自動車の運転が下手なのでペーパードライバー向けの教本や参考書もある。
あとは漫画。岩明均のヒストリエが好き。ロック音楽のバンドスコア、画集もある。絵画はファン・エイクやホッパーが特に好きである。
聖書に興味があるので聖書関連の参考書がある。微生物学を専攻していた名残で、微生物関連の書籍がある。
私がリスペクトしてやまない町田康のコーナーだけは頑張って作ろうとしたのですが挫折しました。
漫画、イスラーム関連、流行本、動物関連のスペース。この辺は夫の持ち物が多い。一番上の段には今勉強している英日翻訳の教材、人からもらった手紙、レターセットが押し込まれている。
さいご。面白そうだと思って手を出した本が雑多に詰め込まれています。
乱雑すぎてコメントに困りますね
敢えて言うと、私は取りとめのないことは敢えて取りとめのないまま泳がせておこうとする傾向を持っています。その方が面白い気がするからです。
あと、蔵書を厳選したいとは特に思っていなくて
・めちゃくちゃ面白く読める心のよりどころ
・まあまあ面白く読める
・鼻持ちならないがたまに無性に読みたくなる
・体調によってはまあまあ読める
・たまに気になる
・必要だから持ってる
…くらいの各段階の思い入れのある本をフワッと所有するスタンスです。
とはいえ、スペースに限界があるのでしばしば嗜好性の低い書籍から処分せざるを得なくなるのですが。夢が叶うならば自分専用のデカい図書館を持ちたい。
意を決していちど処分した本をまた手元に置きたくなって買い直すという無駄なことを何回もするので、年中カネがありません。
これからも無駄ととりとめのなさを愛しながら生きていこうと思います。
夏、死んでいく。新でいく。真でいく
※今回は数枚虫の画像がある。
これは潜む犬。
夜の公園にカブトムシを探しに出かけた。結局カブトムシは見つからなかったが、セミの幼虫を2匹見かけた。
抜け殻にはよくお目にかかるが、生きて動いているやつは初めて見た。
そう連れに言うと、脱皮の観察する?ときかれたので、羽化したら外に放すことにして1匹の幼虫を木の枝につかまらせて連れ帰った。
翅が青白くて美しい。
朝になったら、夜には白く柔らかで頼りなかった体はすっかり茶色くかたく光沢を帯び、力強い生命力を感じた。外に放した。元気に飛び去った。腹の形状を見るとオスらしかったが、家にいるときは一度も鳴き声を発しなかった。もう外の世界で鳴き方を覚えただろうか。
他にも、アリの大群が女王アリを囲んで大移動しているところとか、カミキリムシの交尾とか見れて面白かった。
暑さに弱くて夏になると鬱っぽくなる傾向にあったが、最近はなんとなくあっけらかんと過ごせるようになっている。服薬のおかげもあるのかもしれない。お気に入りの夏服を買って着たり本を読んだり冷房や季節の果物を楽しみにしたりして過ごすうちに夏への憎しみは年々薄らいでいく。
夏にしか読まない本、夏にしか聴かない音楽、夏にしか見ない絵、夏にしか着ない服、夏にしか食べない果物。
民家の軒先に張られたビーチパラソル、ゴムプールで遊ぶ幼児、日射しの只中でひるがえる洗濯物。昼下がりの室内で酒を飲みながら書く趣味の随筆。窓越しに物憂げに外を眺める犬。1時間に2本だけ、家のすぐそばを駆け抜ける電車。
今年は記録的な猛暑だ。灼熱でたくさんの人が死ぬ。私もまた微睡みながら死んでいく。
特集 ともだちがいない!を読んだ
露骨に性的な描写を含むので、潔癖な方は読まないことをオススメ。
きょう1日の休みのためだけに右手の爪を血豆色に塗った。派手な色なので、あした仕事へ行く前に落とさなければならない。いつもはベージュ色のマニキュアを塗って1週間もたせたりするので、これは極めて珍しいことと言える。
この三連休で英文翻訳の通信講座課題をやっつけて、答案をポストに投函することができた。
ブコウスキーの文章目当てに、柴田元幸編集の文芸誌『MONKEY』を買った。ともだちがいない、という特集なのも興味をそそる。
他にも色んな人の文章が読めるぞ
『アダルト・ブックストア店員の一日』というブコウスキーの短編。
ブコウスキーの作品は案外スラングが少ない。なぜか。スラングは仲間内の通り言葉である。ブコウスキーには仲間、友だちがいない。ゆえに彼の(自伝的)作品にはスラングが少ないーこの思考の連鎖から特集「ともだちがいない!」が生まれました。
と説明書きにはあった。本当にブコウスキーに友達や仲間がいなかったのかどうか事実は知らないが、この考察は面白く感じた。
タイトルの通り、アダルト・ブックストアに勤めるマーティの1日の仕事の様子が淡々と描かれている。
あらゆる性的嗜好の客が入れ替わり立ち替わりやってきたり、騒動が起きたりする。
あそこに毛のない女のポルノビデオを所望する若者、剃刀で雑誌から写真を切り取る男、店中のディルドを物色して「黒いのを置いとかなきゃダメよ」と説教する女の子、ダッチワイフにはかせる黒いパンツを買う男、手の形をしたオナホールを20ばかしも購入する男。映像機械の前ではマスをかく男の姿が丸見え、アーケードルーム(25セントで短篇エロ映画が見られる小部屋のこと)ではコインの投入口が誰かがぶっかけた精液でベトベトだの、アーケードルームには怪しげなカップルが棲みついてフェラし合ってると苦情が入るだの、クソマニアが大量のクソを残して行っただの、ハプニングに事欠かない。
マーティは動じることなく、客の応対をしてあれこれ人形や下着やカツラを客に勧めたり、コインの投入口を雑巾で拭いたり、クソを新聞紙で包んでトイレに捨てたりする。とんでもない内容に違いないが、淡々とした冷静な筆致で、過度に扇情的になることもなく文章を組み立てる様は舌を巻くほかはない。
こんなに放埓で性的なことをあけっぴろげに描いてなお「ふん、こいつ突っ張ってやがる」的な鼻持ちのならない印象を与えず、スッと読ませる作家はほかにあまり知らない。こんな変なやつらがいてさぁ、びっくりするだろー?ゲーッて感じだろー?俺なんかはそんなことしないけどね、勘弁してよー。みたいな気取りや突き放しが一切無いからだと思う。ブコウスキーは高邁ぶった態度や虚飾的な態度はひどく嫌うが、メインストリームから外れた社会的立場で素直かつ誠実に生きている人たちに向ける眼差しは、非常に優しい。
話の終わりの方で夜番のハリーと勤務交代するときに、仕事は気に入ったかという話になり「悪くないよ」「まずいとこもあるけどさ、全体としてはいいよな」と言葉を交わすところが良い。勤務を終えたマーティは夕食にステーキを食べるべく街へ繰り出すところで話は終わる。
酔いどれ
金曜は久し振りに飲み会に行きました。
私がどうしても酒を飲みたくてたまらなくなったので職場の人数名を誘って宴会をセッティングしたものの、元々人付き合いに長けている訳でもない私はなんだか緊張してきたので『ブコウスキーの酔いどれ紀行』を読んでイメトレ。
原題はシェイクスピア・ネヴァー・ディド・ジス。変わったタイトルだなと思ってたら、ブコウスキーはシェイクスピアが嫌いだったそうで「鼻持ちならない上流階級野郎のたわごと」と貶すのが常だったということだ。権威あるものだろうと嫌いなものは嫌いだとハッキリ言うところがブコウスキーらしくて面白い。原題にはそんな彼の矜持の念が表れているとあとがきには書いてあった。
ブコウスキーがTV出演や詩の朗読するために祖国ドイツを旅するんですけど、ワインを瓶でラッパ飲みしながら司会者に絡んで番組を引っかき回したり、詩の朗読も酒をあおりながらでかなり型破りで痛快なんですよ。
それを俺すごいだろ?って感じじゃなくて淡々と描くので味わいがあります。
常に二日酔いで、観光スポットでも「お城?モスク?くそくらえ!」って毒づいててかなり面白いです。
放埓さがありつつも、他人を見る目にはある種の温かさがあるのもブコウスキーの魅力。鼻持ちならない皮肉っぽさが無いから、スッと心に入ってくるのかもしれない。色んなものに火をつけるのにハマっている少年マイキーや、旅の途中で色々語りあった青年たちへの眼差しが温かだったことが特に印象に残っている。
規律に縛られていやになった人にぜひ読んで欲しいです。
開会前に一人で行ったバーで飲んだ桃のフローズンカクテル。
バーテンが目の前でシェイカーをシャカシャカ高速で振るのを見るとなんか面白くてわろてしまうので困る。
グラスのふちに塩をつけるカクテルがあるが、あれはどうやってつけてんのかなと思っていたら、半分に切ったレモンの断面でグラスのふちをなぞり果汁で湿らせた上で、トレイに盛った塩の上にグラスを伏せてつけていたのでなるほど〜と思った。
二次会で飲んだ日本酒。日本酒の飲み比べセットが大好き。
三次会で飲んだ白ワインのサングリア。
この後急速に眠くなり、タクシーで家に帰った。
運転手は気のいい人で、今週は特別暑くなるから水分とって熱中症に気をつけてくださいね〜と言ってた。
酒飲むと楽しいね。また飲もう。
自転車に乗るように
精神を保って生活していくというのは自転車のバランスの取り方に似ているなと最近よく思う。
体をかたくしてその場に止まっていたらぶっ倒れてしまう。常に左右に少しずつブレながら動き続ける必要がある。
生活においても例えばひとつのカフェ、ある本、ある音楽、ある感情に触れてしっくりいったからといってそのしっくり感が永続するわけではない。そしたらまた別の場所を探したり、取っ替え引っ替え違う本や音楽に触れたり、感情を変えたり活動を変えながら人生をやり過ごすのだ。それが面倒くさい、もうコレで行く!と決めたらそれだけで大丈夫になれば良いのに。と思ったこともあるが、まぁそれも人生の玄妙・味として受け容れましょう。という気持ちになっています。今。
そんなおれはこの文章を松本駅のスタバで書いているぜ。膝に目を落とすとズボンの膝がやけにラメで光り輝いている。今まで気づかなかっただけで、もともとラメ加工のズボンだったのだろうか。そんなはずはないのだが。
と膝を手で払いながら思っていると、近隣の席に声と態度のでかい外国人グループがきて耳障りだからもう茶は止して大学へ行くぜ。
バイ。
サリンジャーの本を持ってキャンプへ
早くも梅雨が明けてしまったらしい。
サリンジャーの新訳の本が届いたのでキャンプに持ってきた。
有名な『ライ麦畑でつかまえて』に登場するホールデン・コールフィールドにまつわる短編、サリンジャーの作品ではお馴染みのグラース一家の兄弟姉妹や、『バナナフィッシュにうってつけの日』で自殺してしまうシーモア・グラースの幼い頃の思い出にまつわる話などが収められている。
若者たちの繊細な心の機微や会話の軽妙さを味わうことができるが、私個人としては野崎孝の翻訳がよりいっそう好きである。ちょっと癖があって、時代がかった文体が病みつきになるのである。これに慣れてしまうと、他の訳者による現代的でアクのない翻訳が物足りなく感じてしまう。
そんなわけでテントで寝転びつつ本を流し読みしていたが、外では料理中の夫が犬のいたずらを叱りつける声がのべつ幕なしに聞こえており私は読書を諦めて外に出た。
鮭の切り身が奇妙なオレンジ色の物体に感じられて、じっと見つめているのにもお構いなく夫は手際よく調理を進める。
あっという間に鮭とアサリのアクアパッツァができた。美味。
湖畔で焚き火を見ながら酒を飲んでいると、小雨が降ったり稲光が走ったり蛍が飛んだりと盛りだくさんであった。
夫とはとりとめもない話をした。生きている人間のうちどれほどの人が適材適所にハマって生きていけるのかという疑問や、キャンプグッズや、ボートを漕ぐ話などについて。
2018年6月30日、木崎湖の湖畔にあるキャンプ場にてしるす。
辻邦生『十二の肖像画による十二の物語』
子供の頃、学校の国語の時間に教科書や模試の文章題、国語便覧を勝手に読み耽るのが好きだった。さまざまな作家のさまざまな作品に邂逅する貴重なひと時であったと思う。
そうして読んだ作品の断片は大人になってからも脳の片隅にそっと仕舞われていて、ふとした時に「そういえば、あの話面白かったな。全部通して読んでみたくなったから本を探して買おうかな」という気持ちを掻き立てる。
そうして出会った作家や作品は心の糧となって層を成している。
たとえば吉本ばなな『TSUGUMI』、ねじめ正一『高円寺純情商店街』、星新一、魯迅、筒井康隆、大岡昇平、ヘッセ、サキなどがパッと思い出されるのだが特に強い印象を受けたのが辻邦生が書いた『十二の肖像画による十二の物語』である。
タイトルの通り、十二の有名かつ印象的な肖像画に寄せてそれぞれ想像力を存分にふくらませて物語を編み、人間の内面を描出・表現していくという趣向の本なのである。
どうです?これだけでもうだいぶ面白そうでしょう?
各テーマは上の写真のとおり。
で、わたしが子供の頃教科書で読んで覚えていた一編というのがフェデリゴ・モンテフェルトロ公の肖像画に寄せて書かれた第十一の物語『婪り』(むさぼり、と読みます)である。
著しく鼻梁の突き出た、重厚な男の横顔が印象的である。
あらすじは、冬の寒い夜モンテフェルトロ公の宮殿で夜伽の延臣たちがよもやま話に花を咲かせている場にモンテフェルトロ公自身が現れ、かつて身に起こった不思議な話を2つ聞かせる、というものである。
公が子供の頃助けた野鴨の恩返しを受けて政敵による暗殺を間一髪逃れた話と、戦で兵糧攻めを受けたときに自分にだけ見える不思議なご馳走のおかげで飢えずに済んだ話である。
食いしん坊なわたしはこの2つ目の兵糧攻めのご馳走の話をずっと覚えていたのだ。兵糧攻めにあったとき公は乏しい食糧を兵隊に分けて、自身はパン一切れとて口にしなかったという美談が語り継がれているのだが、イヤイヤ実はこういう訳だったのだ、と公は部下に語る。
私は夜になると、自分の眼の前に、実に妙なものが出現するのに気が付いた。それは焼きたての牛の肩肉だったり、燻製にした豚の腿肉だったりする。時にはゼリーに包まれた鶏のむし焼きのこともある。それに盃になみなみつがれた葡萄酒とか、チーズの塊りとか、露に濡れた果物とかが出てくるのだ。私は唾をのみ、眼をこすり、舌なめずりして、それに摑みかかろうと思った。私は大声をあげて近習たちを呼び立てた。彼らにもこの饗宴にあずからせようと思ったからだ。
このご馳走の描写が実にうまそうなのですね。それに惹きつけられている公の描写も臨場感があっていきいきとしている。
しかし、この不思議なご馳走は公がひとりっきりでいる時に限って現れ、部下が来ると雲散霧消してしまうことに気づいた公は、夜毎現れるご馳走をひとりでむさぼるようになる。二度と他のものは呼ばなかった。呼べば、せっかくの饗宴が消えるのではないかとおそれたからだ。
これでお分かりだろう。私はただ一人で肉でも魚でもむさぼり食べていた。むさぼる…それが私の本当の姿だった。しかし誰もそう思わなかった。そう見えなかった。だが、私には分かっていたのだ。自分の本当の姿がどんなものであるかということが
美徳家だと人々から称される公は、このように自分の心にひそむ貪婪さを部下たちに打ち明ける。
人間とは複雑な化けものなのだ。表面は静かでも、本当は荒れ狂った獅子のような男もいる。反対に雄山羊のように怒りっぽくても、内心は気弱な男もいる。人間ほど混沌として始末におえないものはないのだ。
(中略)
私が宮廷でも寡欲を説くので、人々は本来、私が欲のない男だと思っている。だが、そうでないからこそあえてそう説いているのかもしれぬ
この公の述懐に本作品のエッセンスが集約されているように思う。
2018年6月末の日記
6月に入って好きな酒を飲めなくなるぐらい調子が落ち込んだ時期もあったが、
気力を振り絞ってキャンプや好きな作家の講演会や音楽ライブに行ったりしているうちになんとか持ち直してきた。
やっぱり生活というのは自転車に乗るのと同じようなもので、怖がって止まろうとすればかえってバランスを崩して剣呑になるしなんとか続けていくためには常に小刻みにでも活動・躍動しているべきなのだろう。
ベスト・エッセイ2018を入手。
目当てはやはり町田康の文だが、他の作家の文もおもしろい。
帯の文。
どの随筆も短めの文章から構成されているし、雑誌や新聞に載せられただけあって漫然とページをめくるであろう不特定多数の読み手を効果的かつ簡潔に惹きつけるための工夫がなされている。
書き手もそれぞれ違うので、色々な感性や文体を楽しめる。
エッセイ記事を目当てに幾多の雑誌や新聞を買い漁るのはなかなか難しいので、こういういろんな作家のエッセイを集めた本というのは嬉しい。存在を知れて良かった。
町田康さんの音楽ライブ@吉祥寺スターパインズカフェ
2018年6月22日金曜に町田康さんの音楽プロジェクト『汝、我が民に非ズ』のライブを聴くために吉祥寺まで行ってきたので、その時のことを申し上げる。
ずっと田舎住まいの私は都会の音楽ライブというものに出かけるのが初めてなので不安でたまらず、友人に
「いったい吉祥寺という街は安全なのか。パンクスにカツアゲされたり身ぐるみをはがされたりしないだろうか」
「町田康といえばパンクロッカー。そのライブというと、やはりステージ上でギターをへし折ったり星条旗を燃やしたりするのだろうか」
と大真面目に訊いて笑われるなどした。
特急あずさに乗り道中iPodで音楽を聴きながら町田康の『東京飄然』を読んでいると、甲府で隣の席に乗り込んできた50、60代と思しきマダムが急にお菓子のビスコを目の前に差し出してきた。食べろということらしい。慌ててイヤホンを外し、礼を言いながらビスコを口の中に入れる。
もさもさする。口の中の水分が奪われる。目を白黒させながらビスコを嚥下し、改めてマダムに礼を述べると
「ビスコ懐かしいでしょ。あたしよく食べるのよ、素朴な味がするから」
と笑った。
それからなんとなくそのマダムと雑談する雰囲気になり、甲府から立川までの約1時間とりとめのない話をして過ごした。どこの出身かとか、仕事はなにかとか、今まで住んだことのある土地とか、なにをしに東京へ行くのかとか。
あとはお互いが読んでる本を見せっこした。マダムは畠中恵の『つくもがみ貸します』を読んでいた。なんとなく暇つぶしに選んだ本で、好きな作家は塩野七生や司馬遼太郎だという。塩野七生は実物はカンジワルイんだけど文章は面白いのよ〜、などという話が聞けておもしろかった。町田康のことは知らないと言っていたので、
「面白い作家です。こないだ甲府の山梨県立文学館で井伏鱒二について講演をしていたので、聴きに行きました。きょうはその人が吉祥寺で音楽ライブをするので聴きに行くのです」
と説明した。
「あらいいわね。音楽ライブってことは、こう(こぶしを頭の横で振り上げるそぶりをしながら)ノリノリな感じでしょ?張り切っちゃうわね」
とマダムは応じた。
その後も本のことなどいろいろ話しているうちに降りるべき立川に着き、マダムは新宿まで乗っていくとのことだったのでお互いに話せてよかったですね、と挨拶し名前を教えあった。
「あたしはオオキって言います。ちょくちょくあずさに乗るから、また行きあう事もあるかもしれないわね」
「私はオサナイといいます」
「小さいに山と書いて、内かしら?」
「よくわかりますね」
という会話を別れぎわにかわした。
駅のホームに降りて歩きながら今降りた車両の窓の方を見たらオオキさんがこちらを見ていたので、手を振ってみせたら向こうも笑顔で手を振り返してくれた。
さて、なんだかんだで16時には吉祥寺に着いたが友人のNさんとの待ち合わせ時間である18時まであと2時間ある。
事前にネットで調べたり人に聞いたりして、待ち合わせまでは水タバコ屋やカフェをハシゴして過ごそうと決めていた。
まず水タバコ屋さんの「はちグラム 吉祥寺店」へ。
パイナップルとキウイのフレーバーを頼んだ。水タバコ代プラスチャージ代を払えば、缶入りの飲料は飲み放題というシステム。いつか飲んでみたいと思っていた飴湯があったので飲んでみた。
あったかくてとろみがある甘い生姜味の液体である。気に入った。
水タバコ屋さんってなんとなく頽廃的な雰囲気あってドキドキしませんか。私だけ?店員のお兄さんは民族調のゆったりした服装がよく似合っていて、接客もフランクでこなれていて興味深かった。
説明とかも立て板に水って感じで流暢だし丁寧だった。
「いらっしゃーい。今日はどうする〜?◯◯のフレーバーね。りょうかーい。味が薄いとか濃いとかあったら言ってね〜。」みたいな口調が面白かった。
スーパーやコンビニとかの接客もこれぐらいのノリでいいと思うんですよね…。
で、はちグラムには漫画も置いてあってその中に大好きな『ヒストリエ』があったのでおお、と思って読み耽っていたらあっという間に2時間経っていて、
残念ながらカフェに行く時間はとれなかった。
うちにヒストリエ全巻あるのに…
それぐらいヒストリエは面白いです。
みなさん読みましょう。
ライブハウス・スターパインズカフェに着いて、ほうほう。これが話に聞くライブハウスか。と思って写真を撮ったりしてぼんやりしていたらNさんがやってきた。妙に笑い転げている。
私の佇まいとか風体がなんとなく滑稽だったらしい(首にスポーツタオルを巻いて、小さいサコッシュをぶら下げていた。ネットでライブに行く時の作法を自分なりに調査して身なりを整えたのである。泊まりの荷物を入れたリュックサックはあらかじめ駅構内のコインロッカーに預けてある。気合十分である。)
整理番号順に並び、会場に通されてビックリした。会場にイスがぎっしり並べられているのである。
音楽ライブというものは観衆はみんな立った状態で行われるものだと思っていた。色んな音楽ライブに行き慣れているNさんの見解によると、町田康のファンは年齢層が幅広く、高齢の人もいるので疲れないように配慮しているのかも。とのことである。確かに客層は若そうな人から年配の人まで幅広かったように思う。
Nさんによると、高円寺ジロキチで以前行われたライブの際はスタンディングの席もあり、ノリのいい金髪?のパンクっぽい兄ちゃんが激しくノリながら演奏を聴いており町田康も「オオッ」という感じで喜んでいたそうだ。ちょっと見てみたかった。
そんな話を聞きながらカツサンド(美味かった)を食べハイネケンの瓶入りを飲んで開演前のひと時を過ごした。お店のスタッフの接客は行き届いており、まめに巡回して注文をきいたり客を席に導いたりしていた。
そうこうしているうちにライブの幕があがる。町田康は白のティーシャツに濃い色のジャケットを着て、ジーンズを穿いてたと思う。カッコよかった。
アンコールも含めて21曲ぐらい演奏してた。
どの演奏も良かったが、特に最初の3曲がノリノリな感じで私は気に入った。
2〜3曲連続で演奏して町田康の喋りがあってまた演奏にうつる、という流れであった。
町田康は歌詞を暗記しているわけではないのか、堂々とカンペを10枚以上(たぶん)めくって見まくりながらもノリノリで踊りながら歌うスタイルで、かなり面白かった。
歌詞は口語や古語が炸裂しており、声も叫んだり震わせたり囁いたり低音から高音まで自由自在で圧倒された。
歌いながら顔をくしゃくしゃにしたり笑ったりしてくるくる変化する表情にも惹きつけられた。
楽器の演奏陣の音も迫力があって、自然に体が動くような感じだった。Nさんが言っていたように、確かに座ってるよりは立って踊りながら聴いた方がより楽しそうである。
町田康は一曲おわるごとに
「ドーモアリガト」とボソッと言っていた。あと、歌唱中の情熱的な感じとトーク中のボソボソ話すかんじの落差が面白かった。
曲の合間のトークもボヤきあり告知あり日々の出来事の述懐ありで、町田節全開という感じで面白かったです。
あとで自分で読み返してニヤニヤしたいのでトークの内容も記録しときます。
「(氏が原作を手がける『パンク侍、斬られて候』の映画化を受けて) インタビュアーってほんとアホなことばっかり訊きよるんですよ、一言で映画を言い表してくださいとか。ほんで、雑誌にインタビューが載ったのをみると答えてるこっちがアホみたいに見えるんですよ。うまいこと編集されてるから。例えばシシャモについて語ってくださいみたいなくだらない質問をされて、文書でのやりとりだと特に語ることはありませんで切り上げられるけど、人間相手に対面してるとなんとか話をひねり出さなきゃいけないみたいな妙な気遣いが生じて頑張って喋ってしまう。結果として完成された記事を読むと、俺がひとりでシシャモについて熱心に語ってる変人みたいに見えてしまう」
「返信ハガキの宛名とか、やりとりするうちに“御”や“様”をなんべんも付け足したり消したりしてアホらしくてめんどくさいですよね。礼儀にがんじがらめにされてる感じが」
「ネット見てたら広告で “夏でもかぶれるニット帽” っていうフレーズがあって気になった。それを応用すると、暑くても飲めるコーヒー…それはアイスコーヒーか。いや、ぬるいホットコーヒーかな…」
「極厚インソールっていう商品を見かけたんですけど、インソールごときに極っていう字を使うの仰山すぎひん?極道の極ですよ?」
「創作レストランという看板を見て閃いたんですが、頭に創作とつけるとなんでも格好がつく気がする。だから僕らのバンドは創作パンクを名乗ります」
「新譜がもうすぐできます。本当です。ここにいる人の8割は信じてないと思うけど、いや、本当に出るんです。出ようとしている。神の国は近づいたみたいな感じで、もうすぐでるんです」
などなど、冗談なのか真面目なのか判りかねるどうでも良すぎるところに拘りまくったトークがとびだすところは『テースト・オブ・苦虫』シリーズに代表されるエッセイ群でおなじみの町田節で、お客はみな腹を抱えて笑っていた。
そんな中で特に心に残ったのが文学についての話。
「どうしたら小説家になれますか?とよく訊かれるが、はっきり言って僕にはわかりません。だけど、僕が自分の身を振り返ってこれだけはやってきたと自信を持って言えるのは、気に入った同じ本を百ぺんも千ぺんも繰り返し読んできたということ。読書ってね、本の数を競ったり速読にこだわったりする必要はないんです。好きな本が一冊あれば、それをなんべんもなんべんも読み返すことで拓けてくる新しい境地がある。」
私自身は数をこなす読書スタイルではなく愛読書を繰り返し読み込む読書スタイルなのをちょっと体裁悪く感じているきらいがあったのだが、この言葉を聞いてパッと目の前がひらけた気がした。
「僕は何もすることがなくて家に引きこもってた時期に、『神々のたそがれ』っていう地獄のような映画を1日に4回ぐらいみたことがあって(注:めっちゃ長くて白黒で、気がどうにかなっちゃいそうな映画らしいですね…)その時はもうほんとに気がおかしくなっちゃってね、ってそれはまあいいんですけどそういう風に同じものを何度も味わうことで見えてくる景色もあるわけですよ。
今日われわれのライブを観に来たみなさんも一回観たらもういいやなんて思わずに、何度でもライブを観に来てくださいということです!」
客席爆笑。
一番最後にはINU時代の名曲『つるつるの壺』を演ったのでみんな立ち上がって大喜びでした。さすがにこの曲はカンペ見てなかったですね。たぶん…
しかし、こういうライブの一度舞台からはけてアンコール×2回の流れっちゅうか様式美はなんなんですかね。一回で全曲やってスパッと終わってもいいのにね。とNさんと話したのは余談。
楽しかったー。
ライブ後べつの友達と会って飲んだのだが、やはり首にタオルを巻いた身軽すぎる風体と佇まいを笑われた。なんなんだ私は珍獣か?
好物のフライドポテトとピザを食べられて満足した。犬の話などで盛り上がった。
大好きなビジネスホテル泊もできたのでよかった
武蔵境駅の雰囲気、かなり好きな感じでした。ロータリーの公園っぽいとこにベンチがたくさんあって仕事帰りのサラリーマンがポツポツ座ってスマホいじったりしてるとことか、謎っぽい建物の図書館とか。