buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

名前の読めない友達

 何年か気にかけている女性がいる。なぜか気になる。人と交流する動機なんてそれで十分だ。Twitterで互いの投稿を見て、たまにコメントをやりとりする。私が彼女の存在を知った時、彼女は関西に住んでいた。働いたり、人間関係に倦んだり、親の無理解に悩んだり、生に楽しみを見つけられなくて懊悩したり、たまに海を見に出かけたり、好きなミュージシャンのことを考えたり、憧れの女優の話をしたり、病気をしたりしていたと思う。同様に彼女も私が愚痴を垂れながら働いたり、人を嫌ったり好いたり、健康だったり病気だったり、出かけたり引き籠ったりするさまを見続けてきたはずだ。彼女は「孤独だ。誰とも分かり合えないし、友達ができる気がしない」と言うが、私は勝手に彼女を友達だと思っている。仮に分かり合えないとして、一緒にサイクリングして、肩を並べて海を見つめたまま黙っているような友人関係があってもいいと思う。

 

 彼女は名前を頻繁に変える。その名前も単語ですらなく、ただの記号になっていることも多いのでなんと呼びかけるか迷う。まぁ、べつに呼びかけなくてもいいか。たかが名前だし。最近都会でのしんどい仕事と親に別れを告げ、田舎に引っ越したらしい。色とりどりの料理を作ったり、サイクリングをして森を眺めたり、車の運転を習ったりして過ごしているようだ。

いつか彼女と会えたらそれは素晴らしいことだし、たとえ会うことが叶わず各々の道がさらに遠く分岐していったとしてもそれはそれで素晴らしいことであろう。