buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

葬式

なんとなく、葬式ときくと夏を連想する。夏の日差しと黒い喪服に身を包んだ人々の群れは不思議と調和する気がする。

自分の葬式に流してもらう音楽を今のうちに選んでおこうかな、とふと思った。

父の葬式のときは、ブラザーズ・フォアというフォークグループの音楽がずっと流れていた。父はブラザーズ・フォアが好きだったし、私も好きだ。

私は友人が少ないし今のところ子供がいないし親戚づきあいもあまりしてないし、将来死んだ時に葬式を出してもらえるかどうか定かではない。燃えるゴミに出されておしまいかもしれない。でもそれはそれとして、葬式に流してもらう音楽を選ぼうと思ったのだ。夏の暑い日に。

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3年間同じタバコの箱からタバコを吸い続けている。

やっと物心がついてきた

齢35にしてやっと身の回りのことをいろいろ考えたり工夫したりできるようになったというのは、まことに慶賀すべきことである。

生活していて「なんかよくわかんないけど快適じゃない、楽しくない、ダサい…」ぐらいの知覚しかできなかったのが、こうすると快適だ、こう工夫すると生きやすくなる、見た目も良いみたいなことがだんだんわかってきた。

なんといっても大事だなと実感しているのが身繕い。辛口コメンテーターのファッションチェックをクリアする必要はまったくないが、衣服については自分なりの心地よさ・格好良さを追求するのが重要だと思う。去年の夏はかなり精神状態が悪かったのだが、今思い起こせばかなりテキトーな服を着ていた。好きでもない野暮ったい形のジーンズ、ヨレヨレのシャツ、作業服など。最近恥ずかしながらオシャレに目覚めて、気に入った服を少しずつ買い揃えているのだがこれが精神衛生上大変良い。

朝布団でウダウダしていても「きょうはあのカッコいい柄シャツに白いガウチョパンツを合わせよう」と思うと、不思議とすんなり身支度を済ませて会社に向かうことができるのだ。

 

あと、髪型。私は長年顔の輪郭にコンプレックスがあって、顔の輪郭が隠れるような髪型ばかりしてきた。でも今日そんな拘りが吹っ切れて、「自分の顔の輪郭が残念だったところで、それは畢竟どうでもいいことだ」と思い顔の両サイドの髪を三つ編みにしてねじり上げピンで止め、顔の輪郭と額を全部露出した。そのまま1日過ごしたらメチャ快適だった。顔の皮膚が妙に敏感で、垂れてきた髪の毛が頬に触れるたび異様なむず痒さに煩わされていたのが一切なかったし、俯いても髪の毛が気にならない。

いままで自らの顔面に拘って、髪の毛の垂れを我慢していたのがあほらしいぐらい快適だった。これからはピンを活用して髪を適当にまとめあげて暮らし、髪を肩以上の長さに伸ばしていこうと思う。

今までずっと髪の毛の手入れが下手で、短くしても少し伸ばしてもどこか野暮ったいし鬱陶しかった。めんどくさいのは嫌だ、でもなんとか容貌のまずさを誤魔化したいという後ろ向きな願望であれこれ髪型に悩んできたけど、いまは長く伸ばして楽しくアレンジできるようになりたいという前向きな感情を大事にして髪の手入れをしようかなと思っている。

 

そして表情。私の顔は写真写りが良くない。カメラに向かうと「顔がまずい自分なんて、どうせ」みたいな自意識が働いて表情が強張るからだと分析している。表情筋を動かすことに羞恥心が働き、中途半端な表情しか作れない。なので、最近自撮りをして良い感じの表情をつくる練習をしている。これもまた自己肯定感を培うための活動の一環である。

 

容姿や装いに関しては、拘泥は捨てつつ愛着を持って大事に扱うと格段に生きやすくなるなー、と今実感している。

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今年の夏買った、お気に入りの古着。

日々是冒険だぜ。

テレビ番組の懸賞に応募することなんてほぼ無いのだが、「陸海空 こんな時間に地球征服するなんて」という番組の企画の懸賞には衝動的に応募した。

くだんの企画は、ナスDという愛称のTVディレクターが未開地の部族との接触を求めて体当たりで異国を旅するという趣向のもので、大変人気が高かった。

このナスDという人物が非常に特異なキャラクターとモチベーションの持ち主で、とにかく未開の地の文化や人のなかに躊躇せずガンガン飛び込んでいく。得体の知れない食べ物、虫もガンガン食べる。入れ墨に使われる染料のもとである実の汁を全身に塗りたくり紫色の皮膚になる。現地人に交じって不眠不休で働いた末に疲労で転倒昏睡するなどのムチャクチャなアクティブさは異彩を放っており、完全にほかの芸能人たちの旅企画をくってしまっていた。懸賞品というのは、このディレクターがボラ族というこすっからい商業部族にたかられて大量に購入させられた民芸品。この購入量が尋常じゃなくて、アクセサリーとかお守りとかの細々した小物類を数百〜数千個単位、日本円にして10万円はゆうに超えるぐらい買わされていた。懸賞に応募した人全員当選するんじゃないか?と言われていたほどの量である。

私は当選した。嬉しい。

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これが私が貰った民芸品。ブレスレットである。

この冒険企画のいいところは、「言葉が通じなくたって人は分かり合える!みんな仲間!ラブアンドピース」みたいな表層的な綺麗事に終始するのではなく、異国の人々との友情交流のみならず土着の部族の排他性、よそ者への敵意、金儲けのためにムリに物を売りつけてやろうみたいなこすっからさも包み隠さず映して伝えているところである。

そんなディレクターの心意気に感じ入って、私は今回の懸賞に応募したわけなのである。

あの冒険番組の企画を通じて、「とにかく行動を尽くして考えろ、上っ面を撫ぜて満足するな、気になるところはとことん調べてありのままを見届けろ」というアツいメッセージがぎゅんぎゅんに心に突き刺さったので、この懸賞品はかの類稀なるディレクターの活躍と心意気を想起するよすがとして、宝物にするつもりなのである。

服のこと

最近は派手な柄物の服が好きになってきた。自らの着る服の変遷を振り返ると、感慨深いものがある。

服にこだわったところで…と思ってテキトーに作業服とか好きでもない変な形のジーパン着てたころに比べると、自分なりに好きな服を選んで過ごしてる今は段違いに精神状態が良い。どんな服を選んで着るかって重要なんだな。今まで長いこと漫然と服を着て過ごしてきたのだが、惜しいことをした。

きょう生まれて初めてアロハシャツを着たら、思いがけず気分が高揚して楽しかった。ツイッターで似合うと褒めてもらったり、思いがけず他の人と服談義に花が咲いたりした。

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きょうこんなに服について考えるのは、昨日読んだ藤崎彩織さんのエッセイに触発された部分も大きい。彼女は自分の容姿と付き合う上での葛藤を語るにあたって太宰治の『皮膚と心』に触れていたが、私は太宰の『おしゃれ童子』『服装に就いて』という短編も推したい。

いずれも自らの容姿や服装と向き合い試行錯誤し奮闘するさまを軽妙に描いていて、ちょっとユーモラスな味わいのある話である。中学生の頃読んだときは太宰ってオシャレなんだな〜という他人事みたいな感想だったが、いま改めて読むと人々が普遍的に抱く容姿、服装への葛藤や悩みに通じていて興味深い。

 

私は今まで服装なんてどうでもいいやと投げやりになったり、何とかマトモに見えそうな服を選ぼうと躍起になって疲弊したりした時期を経て「好きな服、突拍子もない派手な服を着よう。あとは機能性と快適さ重視」というスタンスに今のところ落ち着いている。

随筆の日々

毎朝インスタグラムに自分の髪についた寝癖を載せている人がいて、私はその人の投稿を愉しみにしている。髪が嵐に揉まれたみたいに逆立っている日もあれば、「よくもまあこんな形に」と感心してしまうほどの造形美を呈する日もあれば、ほぼ癖がついていない日もある。

時々髪の色が変わるが、長さはずっと顎が隠れるぐらいのボブみたいだ。

その人が今日載せていた動画と写真は特によかった。コインランドリーで布団の洗濯を待っている間、シャツの背中にドライヤーの刺繍をしていたのだという。「着た時に下から髪にドライヤーを当ててるみたいに見せたくて」とのことだったが、なんかもう全てが穏やかで微笑ましくて、まさに随筆だなぁ、と思った。

 

 

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ベストエッセイ2018を少しずつ読んでいる。今日心惹かれた文章について書き留めておく。

 

・『皮膚と心』藤崎彩織…女性は美しくなければならない、という世間の圧力に反発し続けていた書き手が、心の中では自分なりの美しさを求めていたことに気づき自らの“女”性に向き合うに至る過程を、太宰治の短編『皮膚と心』に出てくる女性の心情に重ねて細やかに書き綴っている。この話を途中まで読み進めたところで、書き手の藤崎彩織さんが人気バンド  セカイノオワリの女性メンバーだということに気づいてびっくりした。なんとなく、この本におさめられている文章はぜんぶ作家が本業の人たちが書いたものだろうと思い込んでいたからだ。職業作家に限らず、いろんな人たちの書くいろんな文章が読めるというのはとても豊かで愉しいことだと思う。

 

・『栞の救出』恩田陸…本を読む、という行為の魅力について書かれている。この話を読んでいて、ひとの読書姿ばかりを集めた写真集の存在を知って俄然見たくなったので早速注文した。本を読んで著者と対峙するのはとても個人的で能動的な行為なのだ、という一文が特に気に入った。本当にそうだと思う。

わたしんちの本棚

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私の本棚はかなり乱雑である。

上下逆さま、横倒し平積み上等。

作者ごとに蔵書をまとめると言うこともなく、ひとりの作家の本があちこちの本棚に散り散りになっている。

几帳面な読書家の人に見せたら首を絞められそうである。


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学生時代の英語と国語の教科書は読み直して楽しむためにとっておいてある。

自動車の運転が下手なのでペーパードライバー向けの教本や参考書もある。

あとは漫画。岩明均ヒストリエが好き。ロック音楽のバンドスコア、画集もある。絵画はファン・エイクやホッパーが特に好きである。


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聖書に興味があるので聖書関連の参考書がある。微生物学を専攻していた名残で、微生物関連の書籍がある。


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私がリスペクトしてやまない町田康のコーナーだけは頑張って作ろうとしたのですが挫折しました。


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漫画、イスラーム関連、流行本、動物関連のスペース。この辺は夫の持ち物が多い。一番上の段には今勉強している英日翻訳の教材、人からもらった手紙、レターセットが押し込まれている。


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さいご。面白そうだと思って手を出した本が雑多に詰め込まれています。

 

乱雑すぎてコメントに困りますね

 

敢えて言うと、私は取りとめのないことは敢えて取りとめのないまま泳がせておこうとする傾向を持っています。その方が面白い気がするからです。

あと、蔵書を厳選したいとは特に思っていなくて

・めちゃくちゃ面白く読める心のよりどころ

・まあまあ面白く読める

・鼻持ちならないがたまに無性に読みたくなる

・体調によってはまあまあ読める

・たまに気になる

・必要だから持ってる

…くらいの各段階の思い入れのある本をフワッと所有するスタンスです。

 

とはいえ、スペースに限界があるのでしばしば嗜好性の低い書籍から処分せざるを得なくなるのですが。夢が叶うならば自分専用のデカい図書館を持ちたい。

意を決していちど処分した本をまた手元に置きたくなって買い直すという無駄なことを何回もするので、年中カネがありません。

これからも無駄ととりとめのなさを愛しながら生きていこうと思います。

夏、死んでいく。新でいく。真でいく

※今回は数枚虫の画像がある。

 

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これは潜む犬。

 

夜の公園にカブトムシを探しに出かけた。結局カブトムシは見つからなかったが、セミの幼虫を2匹見かけた。

抜け殻にはよくお目にかかるが、生きて動いているやつは初めて見た。

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そう連れに言うと、脱皮の観察する?ときかれたので、羽化したら外に放すことにして1匹の幼虫を木の枝につかまらせて連れ帰った。

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翅が青白くて美しい。

朝になったら、夜には白く柔らかで頼りなかった体はすっかり茶色くかたく光沢を帯び、力強い生命力を感じた。外に放した。元気に飛び去った。腹の形状を見るとオスらしかったが、家にいるときは一度も鳴き声を発しなかった。もう外の世界で鳴き方を覚えただろうか。

他にも、アリの大群が女王アリを囲んで大移動しているところとか、カミキリムシの交尾とか見れて面白かった。

 

暑さに弱くて夏になると鬱っぽくなる傾向にあったが、最近はなんとなくあっけらかんと過ごせるようになっている。服薬のおかげもあるのかもしれない。お気に入りの夏服を買って着たり本を読んだり冷房や季節の果物を楽しみにしたりして過ごすうちに夏への憎しみは年々薄らいでいく。

夏にしか読まない本、夏にしか聴かない音楽、夏にしか見ない絵、夏にしか着ない服、夏にしか食べない果物。

民家の軒先に張られたビーチパラソル、ゴムプールで遊ぶ幼児、日射しの只中でひるがえる洗濯物。昼下がりの室内で酒を飲みながら書く趣味の随筆。窓越しに物憂げに外を眺める犬。1時間に2本だけ、家のすぐそばを駆け抜ける電車。

今年は記録的な猛暑だ。灼熱でたくさんの人が死ぬ。私もまた微睡みながら死んでいく。

特集 ともだちがいない!を読んだ

露骨に性的な描写を含むので、潔癖な方は読まないことをオススメ。

 

きょう1日の休みのためだけに右手の爪を血豆色に塗った。派手な色なので、あした仕事へ行く前に落とさなければならない。いつもはベージュ色のマニキュアを塗って1週間もたせたりするので、これは極めて珍しいことと言える。

この三連休で英文翻訳の通信講座課題をやっつけて、答案をポストに投函することができた。

 

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ブコウスキーの文章目当てに、柴田元幸編集の文芸誌『MONKEY』を買った。ともだちがいない、という特集なのも興味をそそる。

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他にも色んな人の文章が読めるぞ

 

 

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『アダルト・ブックストア店員の一日』というブコウスキーの短編。

ブコウスキーの作品は案外スラングが少ない。なぜか。スラングは仲間内の通り言葉である。ブコウスキーには仲間、友だちがいない。ゆえに彼の(自伝的)作品にはスラングが少ないーこの思考の連鎖から特集「ともだちがいない!」が生まれました。

と説明書きにはあった。本当にブコウスキーに友達や仲間がいなかったのかどうか事実は知らないが、この考察は面白く感じた。

タイトルの通り、アダルト・ブックストアに勤めるマーティの1日の仕事の様子が淡々と描かれている。

あらゆる性的嗜好の客が入れ替わり立ち替わりやってきたり、騒動が起きたりする。

あそこに毛のない女のポルノビデオを所望する若者、剃刀で雑誌から写真を切り取る男、店中のディルドを物色して「黒いのを置いとかなきゃダメよ」と説教する女の子、ダッチワイフにはかせる黒いパンツを買う男、手の形をしたオナホールを20ばかしも購入する男。映像機械の前ではマスをかく男の姿が丸見え、アーケードルーム(25セントで短篇エロ映画が見られる小部屋のこと)ではコインの投入口が誰かがぶっかけた精液でベトベトだの、アーケードルームには怪しげなカップルが棲みついてフェラし合ってると苦情が入るだの、クソマニアが大量のクソを残して行っただの、ハプニングに事欠かない。

マーティは動じることなく、客の応対をしてあれこれ人形や下着やカツラを客に勧めたり、コインの投入口を雑巾で拭いたり、クソを新聞紙で包んでトイレに捨てたりする。とんでもない内容に違いないが、淡々とした冷静な筆致で、過度に扇情的になることもなく文章を組み立てる様は舌を巻くほかはない。

こんなに放埓で性的なことをあけっぴろげに描いてなお「ふん、こいつ突っ張ってやがる」的な鼻持ちのならない印象を与えず、スッと読ませる作家はほかにあまり知らない。こんな変なやつらがいてさぁ、びっくりするだろー?ゲーッて感じだろー?俺なんかはそんなことしないけどね、勘弁してよー。みたいな気取りや突き放しが一切無いからだと思う。ブコウスキーは高邁ぶった態度や虚飾的な態度はひどく嫌うが、メインストリームから外れた社会的立場で素直かつ誠実に生きている人たちに向ける眼差しは、非常に優しい。

 

話の終わりの方で夜番のハリーと勤務交代するときに、仕事は気に入ったかという話になり「悪くないよ」「まずいとこもあるけどさ、全体としてはいいよな」と言葉を交わすところが良い。勤務を終えたマーティは夕食にステーキを食べるべく街へ繰り出すところで話は終わる。

酔いどれ

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金曜は久し振りに飲み会に行きました。

私がどうしても酒を飲みたくてたまらなくなったので職場の人数名を誘って宴会をセッティングしたものの、元々人付き合いに長けている訳でもない私はなんだか緊張してきたので『ブコウスキーの酔いどれ紀行』を読んでイメトレ。

原題はシェイクスピア・ネヴァー・ディド・ジス。変わったタイトルだなと思ってたら、ブコウスキーシェイクスピアが嫌いだったそうで「鼻持ちならない上流階級野郎のたわごと」と貶すのが常だったということだ。権威あるものだろうと嫌いなものは嫌いだとハッキリ言うところがブコウスキーらしくて面白い。原題にはそんな彼の矜持の念が表れているとあとがきには書いてあった。

ブコウスキーがTV出演や詩の朗読するために祖国ドイツを旅するんですけど、ワインを瓶でラッパ飲みしながら司会者に絡んで番組を引っかき回したり、詩の朗読も酒をあおりながらでかなり型破りで痛快なんですよ。
それを俺すごいだろ?って感じじゃなくて淡々と描くので味わいがあります。
常に二日酔いで、観光スポットでも「お城?モスク?くそくらえ!」って毒づいててかなり面白いです。

放埓さがありつつも、他人を見る目にはある種の温かさがあるのもブコウスキーの魅力。鼻持ちならない皮肉っぽさが無いから、スッと心に入ってくるのかもしれない。色んなものに火をつけるのにハマっている少年マイキーや、旅の途中で色々語りあった青年たちへの眼差しが温かだったことが特に印象に残っている。
規律に縛られていやになった人にぜひ読んで欲しいです。

 

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開会前に一人で行ったバーで飲んだ桃のフローズンカクテル。

バーテンが目の前でシェイカーをシャカシャカ高速で振るのを見るとなんか面白くてわろてしまうので困る。

グラスのふちに塩をつけるカクテルがあるが、あれはどうやってつけてんのかなと思っていたら、半分に切ったレモンの断面でグラスのふちをなぞり果汁で湿らせた上で、トレイに盛った塩の上にグラスを伏せてつけていたのでなるほど〜と思った。

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二次会で飲んだ日本酒。日本酒の飲み比べセットが大好き。

 

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三次会で飲んだ白ワインのサングリア。

この後急速に眠くなり、タクシーで家に帰った。

運転手は気のいい人で、今週は特別暑くなるから水分とって熱中症に気をつけてくださいね〜と言ってた。

 

酒飲むと楽しいね。また飲もう。

自転車に乗るように

精神を保って生活していくというのは自転車のバランスの取り方に似ているなと最近よく思う。

体をかたくしてその場に止まっていたらぶっ倒れてしまう。常に左右に少しずつブレながら動き続ける必要がある。

生活においても例えばひとつのカフェ、ある本、ある音楽、ある感情に触れてしっくりいったからといってそのしっくり感が永続するわけではない。そしたらまた別の場所を探したり、取っ替え引っ替え違う本や音楽に触れたり、感情を変えたり活動を変えながら人生をやり過ごすのだ。それが面倒くさい、もうコレで行く!と決めたらそれだけで大丈夫になれば良いのに。と思ったこともあるが、まぁそれも人生の玄妙・味として受け容れましょう。という気持ちになっています。今。

そんなおれはこの文章を松本駅のスタバで書いているぜ。膝に目を落とすとズボンの膝がやけにラメで光り輝いている。今まで気づかなかっただけで、もともとラメ加工のズボンだったのだろうか。そんなはずはないのだが。

と膝を手で払いながら思っていると、近隣の席に声と態度のでかい外国人グループがきて耳障りだからもう茶は止して大学へ行くぜ。

バイ。

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