buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。twitter→@khufuou2

めちゃくちゃ美味しいもの以外でも人は飲み食いする

きのうルイボスティーのことを書いたので、お茶について人が話していたことを思い出した。


以前の職場で、AさんとBさんがお茶について話していた。
Aさんの家では妻がルイボスティーを煮出して作り置きをする習慣があり、
Aさんも家ではルイボスティーを飲むし、たまに水筒に詰めて会社にも持ってくるのだという話を聞いて、Bさんが
「ふーん。あんまり飲んだことないなあ。ルイボスティーってさあ、美味しいの?」
と問うた。
それに答えてAさんが
「まぁ、飲みやすいよ…って言うかさ、お茶って美味いとか美味くないとかあんまりなくない?
普通、お茶飲んで『うぉー!メッチャうめー!』とはならないじゃん。皆なんとなく飲んでる感じで」
と言っていたのが印象に残っている。
確かにそうだなぁと思ったので。



お茶に限らず、人は選りすぐりのメッチャ素晴らしいものだけに囲まれてなきゃいけない訳ではなく、
すごく良いと思ってるわけじゃないけど何となくそこにあるものを身のまわりにおいて適宜使いこなすといったことが重要なんじゃないかと思ったのだ。
逆に、選りすぐりの素晴らしいものしか飲み食いしたくないし使いたくない!
という頑なな姿勢は良くない結果をもたらしそうな気がする。
生活してて常にウワー!メッチャええわぁ!上質ゥ!と感動しっぱなしだと精神が疲れそうというか。
最初のうちは良いけどそのうち感覚が鈍磨して何も感じなくなってしまうんじゃないだろうか。


Aさんは私に肩こり体操を教えてくれたり、枕元に加湿器を置くと喉の調子良いですよとアドバイスをくれたり、
私が退職する時プレゼントとして陸亀用のエサを贈ってくれたりと(私は陸亀を飼っているので)
気さくな人柄だった。
気心の知れた同期とはぞんざいでくだけた調子で話すのに
目上の人や派遣社員である私とかパートさんに対しては妙にかしこまった言葉遣いで話すのが面白かった。
「さようでございますか」「承知致しました」が口癖だったことを覚えている。

古切手を整理しました

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文通でもらった古切手をずっと封筒に入れっぱなしだったので、見やすいよう整理しました。

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切手専用のストックホルダーまでは要らないかなと思い、無印のカードホルダーに仕舞うことにしました。

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画用紙をホルダーの大きさにだいたい合わせて切り、台紙として入れていきます。

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こんな感じになりました。
切手用のピンセットを持っていないので、指や金属製のスパーテルを使ってホルダーに押し込みました。


今日はまあまあでした。

良い呟きを見つけたので、てっきりなにかの小説の一節を口ずさんでいるのだと思って、呟いた人に
「それ良いですね。何という小説ですか?」と訊いたら
「ありがとうございます、自分で考えました」との返答だったので思わずニコニコした。


今日は職業斡旋所の面談に行くことができたし、
来年の手帳と卓上カレンダーを買ったしひとりで喫茶店に入ることもできたのでまずまずだと思う。


簡単なパソコンのテストをしたのだけれども(制限時間がくるまで日本語の例文を見たまま打ち込むテストと、いろんな桁数の数字を順番にテンキーで打ち込むテスト)、
文章の入力はそこそこ出来るけど数字をひたすら入力するのが苦手だなあと改めて実感した。
数字を延々打ち込んでいると、胸が苦しくなってアー!と叫びたくなるし、間違って入力しているような気がして無駄に何度も見直してしまうのだ。
あと、単純にテンキーのタッチミスが多い。
数字は昔から苦手だな。
余談だけど、電卓を使った単純な計算でも答えが合っているか不安になって無駄に何度も何度も検算してしまうのですごく時間がかかる。
とりあえず数字をひたすら入力する系の仕事は自分には務まりそうにない。
どんな仕事なら務まるんだ…

今後は美術館に出かけたり、図書館に行ったりといった活動を少しずつやっていこうと思う。

無数の世界

ツイッターを見ながら、
自分が観測している世界とは全く違う世界を他の人は見ているのかもしれないということを考えていた。
ひとつの世界をみんなで分かち合っているのではなく、生き物の数だけ世界が存在するのかもしれない。


世界というのは単純に場所、時刻だけでは切り取れない。
だから同じ時刻に同じ場所にいたからといって、同じ世界を共有したとは限らない。

例えばひとつの絵を同時に2人の人間がみても、それぞれ全く違うことを考えたりする。ひとりが「この絵が描かれた時代は大飢饉で大変だったらしいな、餓死ってどんなに辛いんだろう」と思っている横で、
もう一人の方は「作風が自分の知ってるあの画家と似てるな、もしかして師弟関係なのかな」と思っているかもしれない。
世界はひとつではなく、無数の世界が干渉しあって今現在があるんだと解釈した方が気が遠くなってフワフワした気分になるのでサイコーだ。

花札みたいな月を見た

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月そのものが綺麗な訳ではなく、月を見たら「綺麗だ」と感じるように人間の方が知らず知らずのうちに訓練されているのだ。


しかしこれは悪いことではない。
生きていくのは無為でつらいことであるが、感性の訓練によって「綺麗だ」と思える対象物を増やしておけばだいぶ気がまぎれるし、生きていく上での時間つぶしになる。
花鳥風月を愛でている間に死期が来てしまった、というのは理想的な生き方のように思う。


何かを楽しく感じたり綺麗に感じたりする精神性って、ある程度じぶんで努力して鍛えたり習慣化しないとダメなのかも。
楽しんだり愛でたりするという営みは生きる苦痛から気をそらすのに大変役立つ。感受性は生きるための重要な道具だ。

脳にプログラミングされた通り「ああ綺麗な満月だ」と言い写真を撮ったが、私は果たして心から月を愛でていただろうか。正直、月とかどうでもいいなとも思った。修行が足りないようだ。

昭和っぽさを味わいたくて

志賀直哉の短編集を読んだ。
小僧の神様とか城の崎にて等が収録されている。
昔から自分の中で「こういう気分の時はこの蔵書を読む」という決まりのようなものがあって、
いまは「昭和っぽい古風な情緒を味わいたいけれども、疲れているからメッセージ性が強くなくてストーリーにあまり起伏がない本を読みたい」気分だったのでこの本を読んだ。

この時代は女中さんが居たんだなとか、着飾ってお芝居を観るのが大衆娯楽だったんだなとか、人が着ているものや調度品の描写とかに気が向くので頭を使わなくて良いのが個人的に助かる。


余談だけど、太宰治が自身の短編のなかで「小僧の神様」について文句を言っていたことを覚えている(なんという短編だったかは思い出せない)。
裕福な紳士の気まぐれで寿司をおごられた丁稚奉公の小僧がそれを有難がって神様扱いするなんて如何にも下卑た厭らしい話じゃないか、ということを言っていたのだ。
その短編はたしか太宰治が「自分の小説が思うように文壇や世に受け入れられない、なんで俺に芥川賞をくれないんだ」という鬱憤をぶつけた感じの内容で
とにかく志賀直哉だけでなく他の作家の作品についても色々文句を言いまくっていたのだけれども、
その文章からにじみ出る不機嫌な感じが人間臭くておもしろいなーと思って記憶に残っている。


なんだか志賀直哉の本が好きなのか嫌いなのか、志賀直哉の話がしたいんだか太宰治の話がしたいんだかわからない文になってしまったけど、たまに本棚から引っ張り出して読みたくなる程度には愛着のある本です。


小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)





公園

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公園に行ったら、曇天のなか紙ヒコーキ大会をしている人たちがいました。
この写真だとよくわからないけど、細長いピラピラのビニールだかフィルムだかを付けた支柱を囲んで(たぶん風力と風向を推しはかるための構造物です)、
参加者が順番に紙ヒコーキを飛ばして滞空時間を競っているようでした。

ちょっとまぜてもらいたいな、なんて思いました。よく飛ぶ紙ヒコーキの作り方が気になります。

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遊具広場。楽しそう。
私は、バネ仕掛けの動物の形をした乗り物が好き。滑り台も好き。
ブランコは頭がクラクラするので苦手です。


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犬用の運動広場。
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噴水の跳び石の上を歩いていたら犬には怖かったようで、脚が震えてあぶあぶになっていました。そして、終わりの方で石を踏み外して水にはまっていました。

1週間でやめた仕事のこと(前回の続き)

前回からの続き。

・仕事の全工程終えるまで残業は普通にしてくださいと言われた。今までの職場は、定時を過ぎた時点で正社員が「じゃあ後はこちらで引継ぎますね」と言って帰してくれるのが普通だったので正直ダルいなと思った。

・休みがとりにくい。

……

他にも挨拶をかえしてくれない無愛想な人が居るとか細かい違和感を全部あげるとキリが無いけど、大まかにいうとこれらの点が気に食わなかった。
そんなに色んな仕事を負担させたいなら最初から非正規じゃなくて正社員を雇えよと思ったし、
とりわけ人間関係が難儀そうなのが一番ダメだった。仕事がキツくても腹を割って話せる人とか仲良くなれそうな人が周りにいたら励みになるが、
今回はそういう人が一切いなかったので「がんばって慣れよう」という気にすらならなかった。


出社できた最後の日、朝からガンガン詰められて午前中で心折れたので
派遣先にも派遣元にも迷惑だとは思うけどもう限界だ、今後仕事を回されなくなっても構わない、辞めさせてもらおう…と決心して昼休みに派遣会社に電話した。
定石どおり派遣営業は最初引きとめようとしたが、私の様子が電話越しでも分かるぐらいヤバかったようで
明日から休んでいいですよと言って気遣ってくれた。嫌味の一つも言われるかと思ったが、こちらがもっとマッチングに気を遣うべきでしたと謝られた。
今まで他の職場では長期間働けていたので信用があったのだと思う。
ちなみにこの時点で派遣先には何も言ってない。


最終日の午後も畳み掛けられるように足りないところを指摘されて、今は暇な時期で繁忙期はもっと業務量が増えるだの、単独で社員1人分の業務をこなせないとダメだの色々言われてもうマジで無理だと思い「はい!頑張ります!」と口では返事をしておいて
もう二度と配属部署に足を踏み入れなくて済むよう、何食わぬ顔で居室・ロッカーの私物を全て回収して帰ったのは我ながら用意周到でウケるな。
翌日から、派遣会社と派遣先の両方に連絡を入れて休ませてもらった。
派遣先の責任者には、派遣営業から事情を説明してもらった。


後日、派遣営業といっしょに派遣先に行って責任者の人に無理でしたごめんなさいと謝って、それで終わった。
派遣先の責任者からもなじられることはなく、配慮が足りずつらい思いをさせて悪かったと言われた。かなり気まずかったけど、円満に辞められたと思う。


教訓。
1.食品メーカーは基本的に多忙だと認識する。
同じ技術職でも従事するのが「研究」と「分析」では求められる業務量・スピードがだいぶ異なる。

2.年間休日数は遠慮せずはっきり確認する(企業カレンダー有りの場合は要注意)

3.募集要項に「コミュニケーション力がある人」とわざわざ書かれている場合、人間関係が厄介なのだと察した方がいい。


1週間でやめた仕事のこと(※まだ書きかけ)

今年の3月で退職し

7月に新しく派遣の仕事を見つけたが、ここでやっていくのは絶対に無理だ!と思って1週間で辞めた。

我ながら英断だったと思う。

今までの職歴は3年正社員→1年派遣→1年派遣で、

いずれも病気・結婚・引越し等の理由による円満退職だったので

今回みたいに職場が嫌でやめるケースは初めてだ。

 ひどい会社だったというわけではなく、とにかく雰囲気とか

業務体制が全然合わなかった。

 

 

わたしは正社員として働いた会社をやめるとき、もう今後は正社員ではなくて

派遣かパートで働こうと決めていた。

結婚相手が不定期に全国各地に転勤する仕事だったこと、

体力的精神的な問題があって正社員のような複雑で負担の大きい勤務に耐えられそうにないことが大きな理由だ。

だから、正社員をやめた後は派遣社員としての仕事を探した。

顧客対応や内勤者同士の人間関係がわずらわしそうだから事務職は避けて

(正社員時代にこの手のいざこざにさんざん悩まされて、もう事務職は嫌だった)

もくもくと作業できる技術職を中心に探した。

わたしは理系の勉強をしていたので、化学研究補助の仕事に2年間就くことができた。

異なる2つの会社で研究補助の仕事に従事したが、どちらも働きやすかった。

ずっと実験室で実験作業をしたりデータ解析をしているだけだったので

人間関係に気を遣うことも、電話や来客の応対にビクビクすることもなかった。

複数の業務に追われてパニックになることも無かった。

職場の人たちも、穏やかで親切な人が多かった。かなり快適だった。

 

 

で、問題の1週間で辞めた仕事というのは食品メーカーの検査室の仕事だった。

製品を検査して品質報告書をつくるというのが大雑把な仕事内容。

研究補助として働くのに比べ、食品メーカーの検査員として働くのは求められる業務量・スピード共にかなり厳しい事を痛感した。

食品メーカーにも色々あるとは思うが、基本的に一日にこれだけ生産してこの量出荷するという目標が厳密に決められているので製造現場の社員が皆時間に追われてピリピリしている。

検査員が「これこれの検査をした結果、製品は安全ですよ」と保証しない限り

製品は出荷できないので、検査室の社員も当然時間に追われている。

まあ検査項目をいっぱい覚えなきゃいけなくて忙しいというのは仕事柄仕方ない

が、他にもキツイ点が沢山ありすぎてわたしの心はポッキリ折れた。

書いてて疲れてきたので時系列に箇条書きにする。

 

・就業初日に年間休日が100日しかないと判明。派遣会社経由の求人案内には「休日:土、日、祝日。ただし企業カレンダーあり」と表記されていたので完全に油断した。

派遣会社め、ぼかしやがって・・・と思ったが、問いたださなかった私も悪い。

 

・周りが勤続5年~10年以上の年配の正社員ばかりで、同じ派遣の立場の人がいなくて

心細い。仕事以外の雑談などで気軽に話せる人がいない。

 

・昼食は食堂で皆いっせいに食べないといけない。

社員はみんな付き合いが長いからよくわからん別部署の人の噂話とか

内輪の話で盛り上がっていて、ぺーぺーの私が話に入れる雰囲気じゃない。

内輪話、まじで興味ねー。

昼食はひとりきりで食べられるか、話が合う人と食べられる環境じゃないと

こんなに味がしないのかと思った。同じことを誰かネットで言っていた気がする。

 

 

・指導役の社員のあたりがキツい。ふつうに仕事は教えてくれるんだけど、

ダメ出しの仕方がこわい。こうやって貰わないと困るのよ!

後の工程がつかえてるのよ!考え込んでないで早くして!みたいな。

っていうか、面接前の派遣営業との打ち合わせで「配属部署は女性の方が多くて、

忙しいのもあって…こう…皆さんピリッとした雰囲気ですけど…コミュニケーションとか大丈夫そうですかね?」と言われた時点で不穏な空気を察するべきだった。

私はビシバシせかされると萎縮して下らないミスを連発するタイプなので、完全に相性が悪い。向こうも私にイラついていたんじゃないかな。

今までの派遣先では不慣れなときにこんなにきつく詰められた事無いし、わたしは叱られるのが本当に無理なんだよ。

 

(まだ書きかけ。続く 

 

 

 

 

秋の憂鬱

リンドウと桔梗の模様が入ったレターセット、何年も使い切れないまま残っておりモヤモヤしている。
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そもそもリンドウと桔梗はどの季節の花なのかはっきり確認しないまま来てしまった。
このレターセットは何月に使うのがベストなんだろうと思ったところ
「秋ですよ。日本の暦を考えると8〜9月に使うと丁度いいかも知れません」
と教えてくれた人がいた。

よくよく考えると、8〜9月は私が苦手な季節だ。いつもの状態に輪をかけて消極的で不活発になってしまう。
毎年8〜9月は夏のダメージでへばっていて手紙を書く気力が無いから、他の季節物のレターセットは順調に消費できるのに
リンドウと桔梗柄のレターセットだけが何年も残っているんだなとやっと気がついた。
今後、秋物に手を出すのはやめよう。
ユーウツな気分がずっと続いている。
早く寒くなってほしい。