花札みたいな月を見た
月そのものが綺麗な訳ではなく、月を見たら「綺麗だ」と感じるように人間の方が知らず知らずのうちに訓練されているのだ。
しかしこれは悪いことではない。
生きていくのは無為でつらいことであるが、感性の訓練によって「綺麗だ」と思える対象物を増やしておけばだいぶ気がまぎれるし、生きていく上での時間つぶしになる。
花鳥風月を愛でている間に死期が来てしまった、というのは理想的な生き方のように思う。
何かを楽しく感じたり綺麗に感じたりする精神性って、ある程度じぶんで努力して鍛えたり習慣化しないとダメなのかも。
楽しんだり愛でたりするという営みは生きる苦痛から気をそらすのに大変役立つ。感受性は生きるための重要な道具だ。
脳にプログラミングされた通り「ああ綺麗な満月だ」と言い写真を撮ったが、私は果たして心から月を愛でていただろうか。正直、月とかどうでもいいなとも思った。修行が足りないようだ。