buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

ソローキン『ロマン』を読んだ感想

 ウラジーミル・ソローキンの長編小説『ロマン』の感想を記す。以下ネタバレあり。

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 とにかく小説についての既成概念を覆すようなどえらい作品である。そもそも、ソローキンの作品を手に取ろうと思う人はソローキンの作風がラディカルかつ逸脱的であることをある程度理解した上で読む人が大半だと思うが、この作品はヤバいらしいぞという覚悟をもって臨んだ者をなお心胆寒からしめるほどの魔力と破壊力に満ちている。
 本作は上巻約420ページ、下巻約360ページから構成される。弁護士として首都で暮らしていた好青年ロマンが、都会暮らしに厭気がさし、画家として新たな人生に踏み出すべく故郷のクルトイ・ヤール村に戻るところから物語は始まる(正確にいうとロマンの墓碑が鬱蒼とした森の中で驟雨に打たれるシーンがプロローグとして描かれるが、その絵画的で緻密な情景描写に圧倒させられると同時に、この物語の帰結が不穏で危ういものであることが推察される)。故郷の田舎村で親類や旧知の友に囲まれた愉快な日々。都会では忘れていた豊かな人情と自然に包まれ、ロマンは大きな喜びを感じる。かつて愛した恋人の内面的な変貌と別離に落胆したロマンだったが、やがて運命の女性タチヤーナと巡り会い紆余曲折の末結ばれる。村人総出で二人の結婚を祝う宴の夜、祝いの品である斧を手にしたロマンは新妻を従えて村人たちの殺戮を開始する。歓びと笑いに満ちていた小村は一転、阿鼻叫喚の地獄絵図と化する……というのが大まかなストーリーである。上巻全部と下巻の途中まで、19世紀ロシア文学を精密に戯画化・模写した流麗な文体と物語世界が構成されるが、下巻の終盤は酸鼻極まりない残虐な描写、極限まで分解された素っ気ないテクストの反復・羅列となり唐突に話が終わる。翻訳者であり解説者である望月哲男氏の言葉を借りると、“いわば人格の破壊、人体や聖物の破壊、文章の解体という作業がパラレルに進行するわけだが、このパラレル関係はきわめて徹底している”ということになる。
 なぜ終盤でロマンが凶行に至ったのか?という観点で心情的に推測を巡らすことはあまり意味が無いように思う。物語の大半を費やして緻密に積み上げられた世界が、終盤で極限まで分解されていく過程を味わい、“文学の虚構性を明示するこの構築・解体作業が、まさしく文学にしかできぬ形で行われている”“文学の破壊とは、文学の可能性の誇示でもある”(巻末の解説文より引用)と感じることに意義があるのではないだろうか。


 読んでいる途中で特に印象に残ったシーンを記録しておく。

・上巻p.62 ルカヴィーティノフの「きみは生への意志こそが人間の主たる意志衝動だと確信しているのかね?」「浮浪者や飲んだくれは意志が弱いのでは無く、生への意志とは逆方向の意志が強いということに過ぎない」というせりふ。

・上巻p.112 「森は自足した個として存在し、己の独自な生を営んでいる。人はその生に介入することができるだけで、森とひとつになることはできない。森は人間を一顧だにしない。森のなんという自由なことか」というロマンの述懐。

・上巻p.132 人間は心変わりするものだ、人が愛と呼ぶものはただの習慣や肉親の情に過ぎないのではないかという懐疑。

って、なんか疲れてきたからちょっとぞんざいな感じで続けるが、ロマンとかつて恋仲にあったゾーヤ嬢が田舎の風景や人間関係の単調さに倦んで外の世界への飛翔を渇望するさま、ロマンがあんなに魅了されていた田舎の豊かな自然風景や狭く密な人間模様が先進的なゾーヤ嬢にとっては退屈極まりないものであること、のちにタチヤーナ嬢に恋したロマンが一転して自然や絵画に全く興味を持てなくなってしまい、あれだけ愛着を持っていた親類たちの人情をわずらわしく感じるようになる様子の変遷がリアルだった。
 あと特筆すべきは、厭世的で皮肉屋な医師クリューギンの存在だろう。愛や生を否定し、キリストは精神分裂症だという一風変わった持論を展開する彼は、純朴な田舎の人々のなかにあって異彩を放っている。ロマンをして「あの人は変わっているけど、僕は大好きさ。この村でいちばん好きな人物かもしれない」と言わしめ、終盤で村人たちが手も無くロマンの斧に斃れるなか、唯一反撃を試みたクリューギン(まあ、結局は殺されて他の村人同様切り刻まれるんだけれど)。この物語にあって何か重要な意味を担っているんじゃないかと思ってしまうが、特定の登場人物の思想や持論が作者の主張を投影しているのでは?という読者の勘ぐりさえもソローキンは見透かして拒絶しているような気がする。
 そのほか、信仰、自由、意志、世界についての言及や議論など、つい引用して吟味したくなるような文章がたくさんある。食べ物、服装、風俗、娯楽、地口や冗談などはドストエフスキートルストイなどの古典的ロシア文学に触れたことのある私にとっては「こういうの、あるある!」的な感じで楽しめた。物語の展開も、タチヤーナの父がかつて娘を火事の中から救ったこととロマンが火事で焼け出された民家から大事なイコンを回収する場面を対比させたりしていてなかなか技巧的である。こんな風に読ませる要素がふんだんにありつつも、「でも、最後はぜんぶぶち壊しになるんだよね・・・」という緊張感をもちつつ読み進めることになる。なぜなら裏表紙にネタバレが書いてあるからである。

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下巻225ページ以降は圧倒的な暴力と解体作業に打ちのめされることになる。読みながらもうやめて!勘弁して!という気持ちになる。読んでいて気分が悪くなり横になることを余儀なくされた本は本作『ロマン』が初めてである(これ、誉めています。グロさにやられたというより、文章が複雑さを失い淡々と解体されていく過程を目の当たりにして感情をひどく揺さぶられたという感じ)。

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↑このくだりをロマン体操と称している人がいて面白かった。

 

アントン叔父が婚礼の晩でめでたいから皆施錠をせずに寝ようね!と言ったのに何件かしっかり鍵をかけてたお宅があったのとか、タチヤーナがずっと鈴を振っている描写はちょっと笑った。


 ということで個人的にはめちゃくちゃ気に入った『ロマン』ですが、特殊すぎて万人にはおすすめできません……。とにかくそのへんの小説に飽きちゃった、どえらい読書体験をしてみたいという人は手を出してもいいかもしれません。事前にアマゾンやブックメーター等で色んな読者の感想をチェックしてから読むことをおすすめします。あと、定価は上下巻ともに2,500円前後なのですが、あまり刷られていないのか2019年6月時点でアマゾンの古本で5,000円以上するものしか見つけられませんでした。私はそれだけのお金を出してでも買って良かったと思っていますが、ちょっと内容的にも値段的にも気軽に試しにくい現状ではあります。図書館にあれば借りて読むのも良いですね。今後増刷する予定あるのかな。