町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ③
で、いよいよ中原中也の詩を読んでいく訳だが
課題本が二冊もあるし、数をガンガンこなしていくのかなと思いきや
ひとつ、ふたつの詩をかなりじっくり読み解いていく感じだった。
読書会の設定時間はだいたい90分だったが、一時間で4行しか読み進まないというのでみんな大笑いだった。
参加者からも面白い意見や質問が相次いだし、内容の濃い90分だったと思う。
しかし、もっと話が聞きたかったな。
他の詩の話も聞きたかった。
まず取り上げられたのが「朝の歌」(詩集『山羊の歌』より)。
私が事前に自分で読んだ時はふーんぐらいに思ってスルーした作品だ。
町田さんによるとこの詩は、中也が初めて小林秀雄に見せた詩であり詩人としてやっていけるぞと確信するに至った詩であるらしい。ここには載せないが、興味がある人は読んでね。
って、私は誰に言ってるんだ。
この詩は四行・四行・三行・三行より成るいわゆるソネット形式である。
(はは、ソネットとか洒落たこと言われると鼻で笑ってしまいますけどね。と町田さんは言っていた)
詩を書く上ではその意味に加え字面、目にパッと入ってきた時の印象も重要になってくるため、
一行書いたらその次の行は二文字下げて続けるとか、行間をあけるとか、
どの漢字を使うとか(赤い or 朱い)
随所に作者の意識が行き届いていることを認識した。
意味を読み解いていくと、
朝起きて天井が明るい→ああ、戸の隙間から日光が入ってきているのだな
という通常とは逆の順番で描写することにより
臨場感が出ている。
「鄙びたる軍楽の憶ひ」は、昔聴いた軍楽の記憶を指し
「鄙びたる」は時間・距離両方の隔たりを意味しており、テクニカルな使い方らしい。
詩人はなんとなく書いてるんじゃなくて、細かいところに色々工夫してるんですよ、と町田さんはニヤッとした。
軍楽は、甘いノスタルジアではなく勇ましさ・士気の象徴だと町田さんは解釈しているようだ。
「倦んじてし 人のこころを 諌めする なにものもなし」
のところでは、中也自身の話を急に「人」と普遍化、一般化する尊大さ傲慢さのおかしさ(別に悪い意味ではなく、興味深いねというニュアンス)に言及していた。
この詩については他の参加者からこういう点に気づいた、これは何故こうなのかというコメントが結構あって議論が活発になされ
町田さんは「こういうふうに話がしたかったんですよ」としてやったりな感じだった。
語尾を揃えてテンポを整えている点、
視覚→聴覚→嗅覚→ふわっとした感覚
という感覚の推移、句読点の有無などがもたらす効果についての指摘が面白かった。
私はさまざまのゆめ、というフレーズが1回目はひらがな、2回目は漢字なのはどういう意図があるのだろうかという旨の発言をした(緊張して手がプルプル震えた。がんばった!)
あなたはどう思われますか、と訊かれたのでひらがなの夢は夜見る夢で、漢字の夢は人が持つ希望という意味での夢かなと思った、と答えたら
町田さんはなるほどねー、と言っていた。他の方は、字面や字数を整えるために使い分けたのではないかと言っていて
それもなるほどと思った。
ここで、町田さんは詩を読む際にぜったいに作者の意図に沿って読まなきゃいけないなんてことはなく、自分で新しい読み方をしてもいいんやで、という持論を話されていた。
で、ひとつの詩をしつこく読み込むといろんな面に気づきクリエイティブな読み方ができますよ、てなこともおっしゃっていた。
あと1回で終わります。