ブコウスキーと南の島
単行本はすでに持っていたのだが、やはり持ち運びに便利な文庫本も手元に置きたいということで、買った。
ダメ人間の旅行記は魅力的だ。
非の打ち所がない著名人がそつなく観光し、地元民と交流し、特産品を味わう旅行記に用はない。
ブコウスキーは旅行中ほぼ飲んだくれていて二日酔いで、悪態をついている。有名なモスクで、感嘆の声をあげる観光客を尻目に「モスクなんかクソくらえ」と毒づいていたのは良かった。
今日読んだ一節で目に留まったのが、
「多くの人が関心を持つような
出世、レジャー、映画、音楽、恋愛、財産、議論、文化、大人の遊び、子供の遊びなどにまるで興味を感じないがそれでもわたしは文を書いている。
多くの人が黙殺するような卑俗的なものにわたしは目を向ける」といった文と、
「今日会って話した若者たちはいい目をしていた。いい目をした若者たちは家へ帰って何をするのだろうか。部屋の模様替えか、音楽を聴くのか、ソーセージを焼くのか、映画を撮るのか。あの若者たちはいつまでいい目をしていられるのだろうか」という述懐である。
ブコウスキーは平易でぶっきらぼうな言葉しか使わないのに、なぜこんなに含蓄のある・奥行きのある表現ができるのだろうかといつも舌を巻いてしまう。
描写する対象への視線は冷笑的に突き放しているわけではなく、かといってベタベタ寄り添っているわけでもなく、絶妙な客観性とある種の優しさを感じる。
あとは2月に南の島に行く予定を立てたので、南の島のガイドブックを買った。
本来レジャーなどほぼ無縁なのだが、
なにか普段やりつけないようなことをやれば精神への賦活作用がのぞめるのではないかと思ったのだ。それぐらい参っているということでもある。
きょうは実験用マウスの入荷を手伝った。免疫不全のぬるっとしたヌードマウスだ。
私はべつに動物実験に全面的に反対するものではないが、実験に供されるために生まれてきて、しばらく飲食をして生きて、やがて屠られるマウスの一生を考えるとなんともいえない気持ちになる。
私も人間としてじぶんの一生をなにか上等なものとして思いたい気持ちはあるが、何のことはない、ヌードマウスの一生と変わるところはないのだろうとも思う。
甘い甘いアイスレモンティーが数少ない癒やし。