逃げ場がない
どこで何をしていても完全に心が休まるときがない。疲れる。
金のために仕事には行くけど、もう後の事は興味がないし、どうでもいいと思っている。
■
人生において安住の地も終の住処も存在しない
近況
貴重な祝日、昼寝してお菓子を食べまくっていたら終わった
これは最近お気にのお菓子。
ちなみに禁断のラムネもあるよ
気が向いてフェースブック再開したり、
久々にスカイプのアプリ立ち上げて
タイにいる後輩とチャットしたりした
最近ネットで「自立の対義語は依存ではない。生きるうえでなににも依存しないことは不可能なんだ、依存先をたくさん確保しておいてうまく立ち回るのが自立ということだ」という論を聞いてなるほどと思ったから、逆にネットとかSNSとか使いまくろうと思った次第。
今やってるのは、ツイッター、インスタ、フェースブック、ブログ、スカイプ。こうすると、関心が分散して特定のものにのめり込まなくて済む。タンブラーはアカウントはあるけど、活用法がよくわかんなくて放置している。
本はいまあまり種類を読めない時期で、積ん読がヤバイ。そうなると町田康に戻ってくるようになってる。なんだかんだ、町田康が一番好きなのかな。
読んでて一番神経を使わなくて済む。
町田康の犬のエッセイを毎日カバンに入れて持ち歩いてる。
またソニック・ユース聴いてる
私は高校生のときにソニック・ユースの音楽にはまっていた。
どちらかというと実験的で変わった作風のバンドだと思う。
世界的には有名なバンドだけど、当時私の周りでは聴いてる人はいなかった。
高校生のときの私ははっきりいってイタかった。斜にかまえていた。
こんな風変わりな音楽きいちゃう私かっこいい、というような自意識もあった。
年を取ると、ひねくれた思春期の自分を恥じる気持ちが生じ
思春期を無かった事にしたくなった。
そして、ソニックユースを「自己の恥ずかしい思春期の思い出」に投影した私は
高校時代にコツコツ集めたソニックユースの音楽CDを全部処分した。
しかし、多感な時期に聴いた音楽と言うのは大人になってからの感性にもおおいに影響を及ぼすもので、久しぶりに聴くとやっぱメッチャええわ。ソニックユース。
すごく気分が落ち着く。くやしいけど。
というわけで、せっかく集めたCDを全部すてるなんてバカなことをしたもんだ。
結局30代になったいま、昔聴いていたソニックユースのアルバムを
またぞろ集め始めているのであって
思春期に聴いた音楽を一生引きずりながら私は老いて死んでいくのだなあ
と思って。夏。