buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

町田康の音楽ライブ 19.6.6 @得三 (名古屋市)

名古屋市 今池にあるライブハウス『得三』で町田康さん率いるバンド『汝、我が民に非ズ』の2nd アルバム発売記念ライブがあったので、観て聴きに行きました。

松本駅から高速バスに乗ること約3時間、名古屋市の中心部・栄で降車。私は過去に6年ほど名古屋に住んでいたことがあり、懐かしいし折角の機会だからとあえて早めに到着してウロウロしていたのですが、そのことはまた別に記事を書こうと思います。

勝手知ったる東山線今池駅に到着。宿は何ヶ月も前から予約してあったホテルルートイン今池に抜かりなくチェックイン。少し休んでから会場の『得三』に向かう。まだ開場まで40分あるから人影はほぼ無し。お店の人が入り口にスタンバイしていたので予約済みのチケットを引き換えてもらいました。

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お店の人が受付しつつ吸ってたタバコがハイライトだったのがなんとなく印象に残りました。このラフさ、いい感じです。

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入り口の案内書き。

都内でひらかれるライブだと予約時点で早々にチケットが売り切れてることが多い印象ですが、開催が名古屋かつ平日ど真ん中の夜だからなのか、まだ当日券の余裕があるみたいでした。

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整理番号9番と、今までお目にかかったことがない最初の方の数字なので期待が高まります。都内のライブって開場待ちの時に所在ない感じになることが多いのですが、今回は人通りが少ない上にお店の向かい側の壁に縁がでっぱってて座って待つのにちょうどいいあんばいでした。ちらほらと人が集まってくるのをしり目に壁際に腰掛け悠々とKindleを読んでいると、同じくひとりでライブを見にきたらしい女性が横に座り気さくに話しかけてきてくださいました。(以後この方をTさんとします)。Tさんは今回の名古屋に加えて翌日の大阪でのライブも観に行くらしく…なんという情熱&タフネス!

開場して中に通されたら、そこはごく小ぢんまりとした会場。なんと最前列のど真ん中に陣取ることができ、嬉しいやら緊張するやら。ステージが近い!!

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ぜんぶ立ち席かと思いきや、ステージから見て左側の壁際に沿ってテーブルと椅子が並んでいて残りが立ち席というなんだか謎な配置でした。開場から開演まで1時間あったので、物販コーナーで先行発売されていた2ndアルバムを買ったり、隣り合ったTさんと色々話したりしてました。十代の頃地方住まいだった彼女は好きだったとある小説家の講演会に行くことを夢見て進学先の土地を決め、まさに受験会場に向かう途中その小説家の訃報をきくという経験をしたのだそうで、それ以来「好きな作家やアーティストが生きていて会える機会があるうちに積極的に会いに行こう」と思って行動しているのだそうです。なんだかこのお話にはとても感じ入ってしまいました。

 

そうこうしているうちに開演、バンド登場。町田さんは全身黒でキメていて、ドクロのタンクトップ、左右の身頃にギターが描かれたシャツ、サルエルパンツにブーツ、首元にチラリと光るネックレスといういでたちでした。

町田さんはライブの時は紙の歌詞を見て歌うし紙のメモを見て曲の合間のトークをするスタイルなのですが、まず情熱的に2曲ほど歌ってから

「あのー、うっかりトーク用のメモをホテルに忘れてきてしまいました…」とボソッと言ったのが可笑しくてみんな大笑いでした。いつもよりフワフワした感じのトークも面白かったですし、演奏と歌の調和もいつも通り素晴らしかったです。ノリノリでアッパーな感じの曲もあり、変調子でジャズっぽいまったりした感じの曲もあり。幾重にも重なった楽器たちの音色と町田さんのボーカルの奥行きと歌詞の言葉の響きが織りなす妙なる世界はどこまでも広がっていき、お客はみんな夢中で聴き入り、リズムに合わせて躍動していたのでした。町田さんの小説の中で、音楽に合わせて無心に足踏みする様子を「阿呆が麦踏みをしているよう」と表現していたことがあって私はそれを思い出して「今の私も阿呆が麦踏みをしている感じに見えるのかな」なんて愉快に思いながら曲を聴いてました。

 

2ndアルバムの曲目です。

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どの曲も素晴らしいのですが、私はテンポの速い曲がより好きです。

『神様が掘った穴』、『踊り狂う君ダウン花を抱いて儲けなしでターン』、『牛飼童』なんかがノリノリで良いです。

あー、でも『夏服の女』の明るい旋律にのせて「花は滅んでやばいくらい空が青い(中略)破れ傘を吁差してる夏服の女」と展開する叙情的な歌詞世界も捨てがたいし、

『土の記』の静かな導入部から後半にかけてだんだん「わだだっわだだっわだわだわだ」と大きくうねって盛り上がる感じも壮大でしびれるし、

うーんうーん…

全曲おすすめです。ははは。

 

ただ、私が特に好きな『あの日の豚にチャーハンやれよ』っていう曲が収録されてなかったのが残念ですね。あとは『縁(えにし)の芽生え』とか。とにかくこのバンド、曲が多いんですよねー。いつか全曲CD化されるのだろうか。期待してます。

いちばん最後にINU時代の『つるつるの壺』をやってくれたのがサイコーに盛り上がりました。

 

あとなんだろうなー。

トークで面白かったのは旅行中の荷物を持て余す話とか(猿股とか古風な言葉を突如使うのが可笑しい)、昔のインタビューなんざ覚えてないのにインタビュアーは昔自分がやったインタビューの内容をこっちが記憶してる前提で話してくるから困るっていうボヤきとか、宮本むなしの話とか、町田町蔵時代?に名古屋でライブやった話とか、曲のタイトルのあれこれとか、俺は堂々とカンペを見るぞなぜなら誠実だから!みたいな話とか笑。町田さんは基本的にライブの曲目に絡めたトークをするんですけど、今回カンペを忘れてきてるので若干グダグダな喋りになっててそれもまた良かったですね。昔話になって、かなり古くからのファンとおぼしき人が観客席から「町蔵、なんとかかんとか」と昔の町田さんの芸名で呼びかけてた時に苦笑いして

「お互いのためにそういうノリはやめときますか」みたいに返してたのも面白かった。

 

さいごは、長丁場のライブで疲れているでしょうにファンのためにサイン会を開いて下さいました。私は少しでも町田さんと一緒の空間にとどまりたくてわざと後ろの方にゆっくり並んだりして…。

町田さんには過去に何度か読書会・講演会・サイン会で声をかけさせていただいててなんとなーく顔を覚えられているふしがあるので(※過去の町田さん関連のブログ記事参照)私の番が来たら目を見て「あ、こんばんは」と挨拶していただき天にも昇る心地でした。

今回は高速バスで来ましたと言ったら「長野県からだと名古屋に行くのと東京に行くのとどっちが遠いの?同じぐらい?」などと返していただきもう感無量です。こういう他愛もないやり取りをさせていただけることがもうありがたい…。しっかり握手&サイン頂きました。

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外に出たらTさんが待っててくださって、少しお話ししてから別れて宿に引き上げました。

色々と楽しすぎる名古屋の夜でした。

 

パンクロックの楽譜を買いに

10代の頃から周期的に好きな音楽が変わるのだが、今はラモーンズ のことばっかり考えている。

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ラモーンズを初めて聴いたのは15歳ぐらいの時で、ベスト盤"MANIA"の一曲目である"I Wanna be Sedated"を聴いて、メロディーの軽妙さ、そして何よりJoeyのボーカルに衝撃を受けたのを覚えている。甘くて少しとぼけた感じで空を突き抜けるかのような心地よさもあって、これはボーカルをやるしかないっしょ!みたいな声質だ。他にも良い曲がたくさんあったし、メンバーのジャケット写真も雰囲気があってカッコいいのですぐ気に入った。当時は(1990年代半ば〜後半ぐらい?バンドはとっくに解散していた)ネットが発達してなかったし私自身調べものの仕方に疎かったりしたので、メンバーの写真や名前を眺めて「どんな人達なんだろう」と想像を巡らせるのが関の山、あとは歌詞を英和辞典で調べたり口ずさんだりしていた。

 

で、今。自分のなかでまたラモーンズ熱が再燃したので、音楽CDを聴き直したり伝記やドキュメンタリー、ネット記事の類いを視聴しまくっている。好きなバンドの情報がこんなにたやすく集められるなんて、べんりな時代である。

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これは日本のファンクラブ会長が執筆したドキュメンタリー本。著者はギタリストのJohnnyと親交があったとの事で、臨場感あるエピソードやメンバーの人間的温もりや活動当時の雰囲気を感じることができた。

10代のとき私が見た目で想像してた各オリジナル・メンバーのイメージは

ボーカルのJoey→優しくてマイペースそう

ギターのJohnny→コワモテ

ベースのDee Dee→ヤンチャそう

ドラムのTommy→バランス型

みたいな感じだったが、調べた限りそんなに的外れな印象ではなかったようだ。

 

ラモーンズは音楽性もさることながら、活動のスタイルや個々の生き方もかっこよくて惹きつけられる。バンドの成り立ちはドキュメンタリー映画『エンド・オブ・ザ・センチュリー』にくわしいが、

インタビューでJohnnyが

「下手くそだったから他のバンドのコピーは出来なくて、オリジナルの曲をやるしかなかった」

「上手くなくても才能がなくてもとにかくやるんだ、続けるんだ」

「稼いで生きていくのに、俺たちにはこれしかなかったから」

と衒いなく真面目に淡々と喋っていたのがとてもかっこよかった。

生きるのに向いてない、とか嘯いてうじうじくねくねしてる自分を張り倒してやりたくなった。向いてなくても才能がなくてもやるんだよ。ロケンロール。うくく。ギタリストのJohnnyはバンドリーダーでもあり、厳しくて支配的な性格から人当たりがいいとは言えずワルモノ扱いされることもしばしばあったみたいだが、不器用で実直でバンドのことを真剣に考えていたんだろうというのが伝わってきた。

ボーカルのJoeyのことも書きたいけど、私は個人的にJoeyがいちばん好きで今書くとめちゃめちゃ記事が長くなってしまうので機会を改める。

パンクについては人によっていろいろ定義があると思うけど、私はべつに暴れたり派手な格好をしたり非行に走ったりすることがパンクの本質じゃなくて、自分の意を曲げて時代やら権威やらに迎合することをせず信念を貫くことがパンクなのかなと、ラモーンズを見てて思う。(ピストルズが英国でめちゃくちゃをやってパンク音楽は危険だという世論が形成されつつあったとき、ラモーンズはその悪いイメージに抗うため相当苦労したそうだ。)

ラモーンズの誰かが言ったという「演奏が上手くなるまで待ってたらヨボヨボになってステージに立てなくなっちまうよ」という言葉も大変に気に入っている。おれも今日から寝床でパンク。静かに大暴れ。

炎はときに冷たく燃える

QueenのKeep yourself aliveという楽曲があるのだが、思考の接続がちょっと狂った感じになっていてこの曲のことを思うときに一瞬 Kill yourself alive という風に頭の中で呟いてしまう。文法的に正しい英語なのか分からないが、「生きた状態で死ぬ」みたいな意味になるのだろうか。昔の洋楽にはしばしば謎の邦題がついていて、Keep yourself aliveの邦題は『炎のロックン・ロール』というらしい。あんまりだと思う。

仕事をやめる直前の1ヶ月間、かなりナーバスになってしまい神経がむきだしになったような感じがして、通勤で車を運転するのが本当に怖くて苦痛だったので行きも帰りもQueenの音楽だけをカーステレオで繰り返し流して自分を奮い立たせていた。事故らなかったのはQueenのおかげだと思う。冗談抜きで。

わたしって花が好きですか?

花瓶の中で腐った花萎れている

 

なんとなくこういうことをすれば感性豊かな暮らしなんだろうと思って花を買ったり飾ったりしてみた時期もあったけれども、最近、ああ私は花が別段好きじゃないなあ、としみじみ思って止してしまった。どだい興味がないのだ。

花屋さんで見繕ってもらった花束をその場で食べたらウケるだろうか?

ブーケトスで受け取った花束を食べたら喝采されるだろうか?

そうなんだよ。綺麗な景色も美術品も花もほんとうは別にどうだっていいんだよ失敬な。そううそぶいて、ぽーん。無人駅で電車に飛び乗った。

どうせだるいだけなんだろうな。楽しめないんだろうな。すぐ布団が恋しくなるんだろうな。そう思いつつ安曇野の庭園に着いた。

空が青くても緑が深くても、最近は何も思わなくなってしまった。ひとり3時間、呆然とベンチに腰掛けてた。何を思っても思わなくとも、陽は淡々と降りそそぐ。

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不思議なことに、少しだけ楽になった。

椅子の写真を撮りまくった。

わたくしにはいま、椅子が必要だ。長い人生には椅子が必要だ。都会にはもっと無料の椅子が必要だ。

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わたしはほんとうは花が好きなんだろうか嫌いなんだろうか。わたししか知らない花のことなら好きになれるのかもしれない。

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好きだったあずまやの写真。

人がいない風景だったら好きになれるのかもしれない。

Open your eyes

べつに楽しくなければ生きている意味がないなんてことも無いだろう。

Open your eyes.

3月いっぱいで仕事をやめた。17時まで働けないやつはこれ以上置いとけないという話だったので仕方がなかった。朝いやいや起きて9時から働き始める。15時に帰る。往復の車通勤はすごいストレスだ。こんな短い時間の仕事でも疲れ果てて、帰宅するやいなや20時近くまで寝て、寝ぼけた頭に鞭をいれて犬の散歩に行って帰ったらメシ。入浴はサボることも多かった。で、「明日が来るのが嫌だな」と思いながらダラダラスマホをいじって深夜に寝落ち。コンビニで買った簡易食品の無茶食い・盗み食いが唯一の気晴らしで、そんな日々を過ごしていたらブクブク肥えた。本は読めなくなった。いくらかの日銭は稼いでいたかもしれないが、こんな白痴みたいな暮らし全然惜しくないだろ?

Open your eyes.

仕事をやめてから食う寝る以外のことは本当に何もしたくなくて、遊びにも行かずにいた。精神病院の主治医には心を閉ざしているので、月一の診察時は「おかげさまで調子は上々です(はりついた笑み)」しか喋らないことにしている。

休むのが嫌になるまでとことん寝逃げしたほうがいいのか、少し無理してでも外に出て活動したほうが元気が出てくるのか判断がつかないから、きょう安曇野の美術館に行ってみた。

田園風景のただ中をレンタサイクルで走った。自転車走行は危なくて、さわやかな風が体を通り過ぎる感じも本当いやだった。

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風景が綺麗なこともどうでもよかった。美術館の展示が世界中の絵本に登場する猫をとりあげたもので、もう何も感動できなくなっていたけど、とりあえず見た。観たじゃなくて見た。いわさきちひろの夢みるような優しいタッチの水彩画ももうどうでもいい感じだった。しゃれた庭園のテーブル席に腰掛けて、寝室の布団のことばかり考えてた。

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デッキチェアに横たわることもままならなかった。

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小鳥のさえずりを聞きたくなくて、iPodのイヤホンを耳に突っ込んでハードロックをがんがん流した。ゆらゆら帝国を聴いて、RAMONESを聴いて、それからTen Foot Pole を聴いたら少し落ち着いた。食いもんのことと布団のこと。食いもんのことと布団のこと。そればっかりだ。

Open your eyes.

今までは美術館に来たらミュージアムショップで絵葉書を買うのがならいだったが、猫の絵が描かれた絵葉書を手にとって猫好きな知人に便りを出すことを想像しても「どうでもいいぜ」としか思えず本当にいやな気分だったので止してしまった。私はいったい今後人に手紙を書けるのだろうか。手紙書きますね、と言ってそのままになっている人達の顔を、まあ顔を知らない人もいるけど、思い起こして悲しかった。

Open your eyes.

あしたは、はっ、しゃらくせえ。洋風のハーブガーデンをみにいきます。

楽しくなくてもやって行くんだ。生きるのが苦手でもやっていくんだ。

私は花が好きでもなんでもない。

Open your eyes.

町田康さんとの読書会で『前世は兎』を読む②

続きです。

意見交換のとき私も発言したろうかしらんと思いましたが、結構発言者が多くて自分では思いつかない面白い意見が相次いだので自分の感想はあとで町田さんに直接言えばいいか、と思って話をメモって聴くのに集中することにしました。

やはりいちばん言及されていたのは、前世が兎である女主人公の矛盾をはらんだ振る舞いです。愛を人ならではの弱さだと非難しておきながら別の箇所では何かを愛するという発言をしたり、本能的かつ平板な世界を是としているのに本能的とはいえない捩れた言動をしたり、言葉と意味を非難しながらも結局言葉と意味から逃れられていなかったり。この矛盾が何を意味するのかというところで、この物語は全て女主人公の妄想であるが故に破綻しており狂気を表現しているのだという意見、人として生きることそのものが矛盾とともに生きることなのだというメッセージを読み取った意見があがりました。あとはナショナリズムについての描写も取り上げられてて、政治的な視点で読み取る可能性も示唆されていました。ここは完全に私の中からは抜け落ちてた視点だったので興味深かったです。

「この話は人間視点でみるか兎視点でみるかで大分受け取り方が違ってきそうですね。どっちの視点で読んだ方がイメージが膨らむと思いますか。また、前世が犬でも豚でも猫でもなく兎が選ばれた理由も考えてみると面白いかもしれない」という町田さんのコメントがありました。兎は多産→好色→淫乱という連想から、強姦されたことをきっかけに気がふれ多数の男との性行為に耽る狂女が、自己の行状を正当化するために自分の前世は兎だと妄想するようになったのでは、という発言があってそういう捉え方もあるのだな、と思いました。その方は、この物語の構造について性描写・暴力描写・カタストロフ描写をしたいがために逆算されて作られた物語だと思う、なんてなことも言ってて面白かったです。

私は、兎は好色という連想から性描写の話が出しやすくなるし、兎は犬猫よりは人間と距離があるけどめちゃくちゃ人間の暮らしと離れているわけでもない絶妙な距離感があって人間を適度に突き放した視点から語らせるのにちょうどよかったんじゃないかな、と思いました。

 

しかし、町田さんは他の人の意見を拾って話を膨らませたりフォローするのがすごくうまくて流石でした。話し上手な人はやはり聞き上手ですね。

会が終わったあとも、同卓の方と少しお話できました。以前読んでいたという河合隼雄明恵 夢を生きる』という本の中に言葉で世界を切り分ける父性原理・全てを受け入れる母性原理という考え方が出てくるそうで、それと今回の物語を関連付けた意見を述べられていて、すごく面白かったです。

あとは、町田さんに直接今回の読書会の感想を言うことができました。普段自分で選んでは読まないタイプの生々しい描写てんこ盛りの短編集で初めは抵抗を覚えたけど深く読み込んでいくと意外と面白かったことを伝えました。あと、これだけは言わなきゃ!と思い、『宗教』と『沼』という作品が特に印象的だったこと、真の祈りや信仰の対象は崇高で手の届かないところでなく卑近で俗だったり下らなく見えたりするところにこそ宿り、だからこそ人間の切実な思いが表現されていると思いました…という内容のことを拙い言葉で吃りながら喋ったら丁寧に頷きながら「うんうん、そうなんだよ!それがまさに吉村萬壱の凄さなんです」と返してくれてめちゃくちゃ嬉しかったです。いっしょに写真を撮っていただき、握手もしてもらいました。感激です。去り際に、6月に名古屋であるレコ発ライブ観に行きます!新譜も楽しみにしてます!と言ったらニヤリと笑いながらちょっと気取った感じで「どうも。いま鋭意マスタリング中ですので」と答えてくださいました。カッコいいーーー(悶絶)

町田さんと話したい人や写真やサイン待ちの人たちがたくさん行列を作ってて町田さんは一人ずつ丁寧に対応してましたよ。紳士。とにかく浮かれすぎて緊張しすぎて、アンケート用紙書いたのに提出するの忘れてホテルまで持ち帰ってきてしまいました。

 

そうそう、今回来るのかどうか密かに気にしていた中学生の男の子も来てましたね。ちょっと今回の課題本が未成年には刺激的すぎるんじゃないか、神経に堪えるんじゃないかと勝手に心配していたのですが。その子がおずおずと「中学生でもこういう感じの過激な本を読んで良いものでしょうか…」と町田さんに訊いてて(やっぱり多少戸惑ったんでしょうね)、町田さんは年齢なんか関係ねえ!読んだったらええねん。ワイも若い頃からガンガン読んどったわ、みたいに答えてて

あとでNさんと場所変えてお茶しながらイヤイヤ、ダメでしょ

と突っ込んでしまいました。多感な年頃で読むにはけっこうキツい内容だと感じたので…。じぶんが中学生の頃って何読んでたー?私は赤毛のアンとか…みたいな話もしました。

Nさんは今回の本の内容はどうしても受けつけなかったそうで、分かりやすい狂気や汚辱を生々しく表現する手法ってはっきり言ってありふれてるし、一見正常で美しく見えるものの中に垣間見える狂気こそが人を惹きつけると思う。とのことでした。私はなんだかんだ言って今回の本は楽しく読めたのですが、Nさんの意見も分かります。とにかく、万人ウケしない本ではあると思います。

 

雨の大磯を駆け抜けて、平塚でNさんと話しながらお茶しました。

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駅前のコーヒーショップ。キャラメリゼしたチーズケーキと、あとウッカリして冷蔵ケースの電源プラグが抜けてたとかで「ぬるいチーズケーキは美味しくないから」と、アイスをおまけしてくれました。手相占いの案内があったり落花生の殻をコンクリートの床にばら撒いてたりして、独特な雰囲気のカフェでした。美味しかったし店員さんもいい人だったのでまた機会があれば行きたいな〜。湘南なんて年一回来るか来ないかですけどね。

夜はホテル泊で、スーパーでイチゴ買ってきて洗面所で洗って食べました。その日の夜はツイキャスしたけどなんか緊張してうまくいかなかった。

翌朝、だるいなーと思いつつまた4時間かけて松本に戻りました。ピース。

町田康さんとの読書会で『前世は兎』を読む①

注)自分で後で読み返して楽しむ目的も兼ねているので、かなり散漫で冗長な文です。

 

神奈川県大磯にて町田康さんと本を読むという夢のような読書会に参加したので、感想を申し上げます。今回の課題本は吉村萬壱『前世は兎』。

自分なりに読んでまとめた感想文はこちらです。

擾乱の気配 - buried alive (生き埋め日記)

 

因みに、一年前に参加した大磯読書会の模様はこちらです。

町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ① - buried alive (生き埋め日記)

この時の課題本は中原中也の詩集でした。初めての経験で舞い上がっているさまが窺えます…。

 

今回の会場も、海辺がウリの大磯にあるカフェ。海水浴のオフシーズン、春にしては寒く今にも雨が降り出しそうな曇天ということで、どことなく寂れた印象の大磯駅に降りたちます。コインロッカーに大きな荷物を預け、駅前の喫茶店で腹ごしらえ&課題本のおさらいです。

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海辺を散策するには具合の悪い天候なので、ギリギリまでこの喫茶店で過ごしました。

では、会場のカフェへ。

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開場から暫くして町田康さんが黒革のライダースジャケット姿で登場。相変わらずカッコ良かったです。町田さんはどうもどうも、と既に集まり始めた参加者たちに会釈を繰り返しつつ一番前に着席。私は何度か町田康さんのイベントに行っているとはいえ、憧れの人と同じ空間にいるのはやっぱり緊張するな〜、なんて考えながら友人Nさんと話したり課題本のページをめくったり。完全に気がそぞろです。町田さんは開始までの空き時間を使って、ブルボン小林(小説家の長嶋有さんの別名義)が参加する音楽アルバムを流して紹介してました。

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ノリノリのラップ曲が流れる中、参加者たちが背筋をピーンとのばして黙々と課題本を読んでいる光景はなかなかシュールで面白かったです。

 

そうこうしているうちに会が始まりまして、まずは吉村萬壱の作風について触れました。感覚的な、五感に訴えかけるような生々しい表現を特徴とする作家であり、しばしばエゲツない・眉をひそめるような過激さが取り沙汰されるが、もちろん巫山戯てそういう表現をしているわけではなく、彼なりに人間性の本質に迫るための手段が過激な描写である旨説明されました。この時町田さんが

「作家の中にも勘違いしているのがいるが、いかに過激な表現や突飛な表現をするかの競争に血道をあげるのは本末転倒であり、本質を突く手段としてうまくラディカルな表現技法を操ることが肝要」と言ってたのがなんか印象的でした。吉村萬壱の作品はその成功例ということなのでしょう。

今回は合計90分という時間の中で、表題作『前世は兎』を町田さんが60分ちかく解説して、残り時間で他の参加者たちの意見をきくという構成でした。内容の読解に加えて小説的技法についても細かく触れており、非常に興味深かったです。ほんとは他の作品についてもいろいろ掘り下げて話したいことがあったらしいのですが、いかんせん時間が足りず。他作品についてはササッとコメントするにとどまりました。

 

物語は 全体的な兎(平板な世界)⇔個別的な人間(意味と言葉に分断された世界)という対比のもとに進行します。このように、対立する要素を取り入れて話を進めることが物語の骨組みを堅牢なものにするらしい。

以下、ページ数と引用文“  ”を適宜入れて書いていこうと思います。

p.10…“全体から個物を断ち切るのが、言葉というものの機能だからです”

町田康さんの著書『浄土』に収録されている『一言主の神』という短編とリンクするものを感じたそう。確か言葉と具現についてとりあげた話だったと記憶しています。今度読み比べてみよう。

 

p.12…レイプ犯が被害者にはめられて出世をふいにする描写があるのですが、これは人情を回収して読み手に愉悦を感じさせ話を読み続けてもらうテクニックとのこと。悪者が仕返しをされることで読み手の溜飲が下がり好感度の上昇が見込める。正直、自分で読んだときはそこまで意識せず流していたので改めて言われると成る程と思いました。

 

p.14…情愛にほだされた人間の弱さについて。ここで町田さんはパゾリーニの映画を引き合いに出しました。タイトルはちょっと聞き逃したのですが、少年がセックスによって裕福な名家を破滅に導くストーリーの映画があって、そこが主人公の女とかぶる気がするとのこと。なんかその映画の主人公はある意味キリスト的な存在とも言えるみたいに述懐してましたが、ちょっとここは個人的に理解が追いついてないです。もっとじっくり読んでみます。

 

p.17…表現の雑さと緻密さの巧みな配合。雑で突拍子も無い設定や展開と緻密な描写が入り混じっているがために文章に魅力や軽みを生み出している由。

 

p.19…“愛の奇妙さは個人レベルにとどまりません。”

→個人レベルの話から社会レベルの話に。ナショナリズムの片鱗が見え、この作品の危うさとなりうるとのこと。

 

p.21…落ちぶれた人の行く末を書き表す、読者の下世話な好奇心を満たすテクニック。業界用語で言うとNT=ネガティブ+たたみかけ (?)。これで小説に厚みが出る。

 

p.27…爆撃の情景描写の力量を感じ取る。小説のバックグラウンドであり、こういう雑にしちゃダメなところはちゃんとおさえて緻密に書き込むところがさすが。とのこと。一見雑な設定(前世が兎の女)と緻密な場面描写(小学校の描写や爆撃の描写)が互いを引き立てている、その効果をよく味わうべし。

 

町田さんの前半の解説はこんなところでしょうか。私は自分で読んだときは作者が主張したいと思われる話のテーマを専ら考えていて、細かな描写や設定の意義とかは適当に流していた(っていうか考えもしなかった)ので、こんな緻密な技法によって話が成り立ってるんだなーと感じ入りました。

ここまで書いてきていささか疲れたので、後半は後で書きます。

 

 

おれを導くな。教化すな

ZINEを買ったり新しく人と会ったりするのはしばらくもういいかなという感じだ。(あなたもそうでしょう?)ツイッターは最早他愛もないポエムや言葉遊びをする場ではなくて、説教くさい独善的な持論や人生訓が蔓延る場に成り果てているらしい。

近所の河原に散歩に行くのだが、ここ最近雨が降らないこともあり川の流れが変わって水が干上がり、かつて川の流れの一部だったところが小さな水たまりとなって沢山の小魚がひっそりと取り残されていた。私はそれを見て、畢竟自分もこの小魚と同じ運命を辿るのだと思わずにはいられない。魚として生まれたからには広々とした河川や大海原を颯爽と泳ぐ自分を思い描くのが筋だろうに、俺は稚魚の段階でこの分断された小さくてきったねえ水溜りでじわじわと干上がって死ぬる。地味に。惨めに。誰が好んで自分のことをモブだと思いたいだろうか。

痛切に死にたいと願いながら夕飯にピザの出前を取る。とりあえずそんな感じで生きていけば良いのではないか。

 

先月スタジオで装着してもらった口元のピアスのラブレットスタッドを外そうとしてみたが、思っていたよりきつく螺子が締められていてだいぶ難儀をした。滑り止めに手術用のゴム手袋をはめて両手で捻ったり、スタッドを前歯で固定してボールキャッチを捻ったり、押し花用に買った先の平たいピンセットでスタッドを固定したり(本当は先細のペンチがあればよかったのだが手元になかったので)、小一時間格闘してなんとか外すことに成功した。ピアスを外してもらうためだけに原宿のスタジオまで足を延ばすのは絶対嫌だったのでホッとした。ピアスホールに力が加わったため粘膜に若干ジンジンとした痛みが出てしまったが、今後注意してケアしていこう。

 

狭っ苦しい都市の狭っ苦しい部屋に住んで食いもんとか美術個展の写真をあげて俺はイケてるんだ何故ならばイケているとされている生活様式に則って生活しているから、とそう信じ込んで自分に言い聞かせて生きていけば良いんじゃないだろうか。塵芥にまみれて。

擾乱の気配

 

前世は兎 (単行本)

前世は兎 (単行本)

 

吉村萬壱『前世は兎』を読んでいる。3月に参加予定の読書会の課題本ということで手に取ったのだが、その物語世界は全編を通じて不穏さと擾乱の気配に満ちており、読んでいくうちに心がどんどん侵食されていくような思いがする。ざっと目を通すと生々しく無残なセックス描写、暴力、異常さにまず圧倒されるが、巧みな言葉選びと抑制的な筆致のおかげで意外とストレスなく読み通すことができた。とはいえ、不快感や嫌悪感を引き起こすタイプの作品ではあるので万人に忌憚なくオススメできるわけではない。

しかし、人は平和と安寧だけに生きるものに非ず。時には人間性の暗部に思いを致すのも重要なことかもしれない。

 

『前世は兎』

表題作。雌兎として生きた前世を持ち、常に性交に明け暮れる女が目の当たりにする世界の滅亡が描かれる。人間の世界は言葉と意味によって無惨に分断され破滅に至り、全ての名前が失われた均一で平穏な世界が顕現したかと思いきやそこにはすでに新たな言葉による新たな擾乱の萌芽が見てとれ、恐れをなした女は人里離れた場所に逃げていく、といったあらすじ。人間は言葉と意味によって分断され苦しみ狂うが、そこから逃れるすべはない、人間として生きるのはなかなか大変だ、といった感慨を抱いた。主人公の女も兎目線であれこれ人間の業を批判して持論を展開するけど、彼女自身が意味と言葉から逃れられてないし。兎的平板な世界と本能最優先な生き方をよしとするのならば、妊娠するたびに掻爬したり、男を性的魅力によって破滅させるほどの影響力を自覚して愉悦に浸る行為は不自然で矛盾しているのではないか。主人公の女もまた、人間の業と矛盾から逃れられず生きていくだろうことが暗示されているように感じた。

 

『夢をクウバク』

現実と妄想の境界が曖昧な世界で悪意と攻撃に怯え孤立していく家族が神経症的な筆致で描かれている。親子のやりとりは脈絡がなく不気味に噛み合わず、物語の鍵を握るらしい憂(一人娘)の言動も非常に散漫で内面を窺い知るすべはない。母娘のやりとりの噛み合わなさはサリンジャーの『コネティカットのひょこひょこおじさん』のエロイーズとラモーナのやりとりをなんとなく想起させ、ラストの憂が寝たまま口を動かし続けてやめないシーンは『フラニーとゾーイー』を想起させた。絶えず不安に晒されながらも、せいぜい750円の他愛もない貘の置物に一家の安寧を託さざるを得ない一家の矮小さと悲哀が感じとれた。

 

『宗教』

授業中に全裸になるという狂態を晒した末に休職中の女教師は、「スティレス(=ストレス)」を解消するために日々ヌッセン(大衆的な衣料品販売業者であるニッ◯ンのもじりでしょう)のカタログを書き写している。そこに復職or退職を迫る同僚や上司たちが訪ねてくるのだが…。

ストレスと気持ち良さは表裏一体であり、生きるための祈りという行為や祈りの対象は人それぞれで、他人が容喙することではないという主人公の持論を面白く感じた。

 

『沼』

腐敗した汚い沼にわざわざ浸かりにいく男女の様子が描かれる。収録作品の中でもとりわけ生理的嫌悪感に訴える描写満載で、拒否感を通り越して感心してしまうほどである。登場人物たちは、汚い沼に浸かることを洗礼と称して、吐き気と不快感を催しながらも醜悪なセックスをし、まだ見ぬ向こう側の世界に思いを致している。主人公は、不潔極まる沼を蠱惑的で悪そのもののようだと表現する。沼に浸かる行為が人間の暗部を探究する行為のメタファーなのかなと思った。清潔、理性、道徳、善、快だけに目を向けていても真理には辿り着けないよ、といった作者の信念を感じたのだが、どうだろうか。

 

『梅核』

喉の異物感に悩まされる小説家の独白という形式をとった短編。虚構と現実の狭間で狂った世界に従属して生きる狂った人々の様子が描かれている。人々は迫り来るテロリズムから目をそらしてちっぽけな桜の写真をSNSにアップしてはいいね!を貰って充足しきっている、あるいは充足したフリをしているのかもしれない。周りから狂人呼ばわりされて疎んじられた末に「みんな殺される、今年は桜が一本も咲いてない」と言って焼身自殺した北尾律子がほんとうは一番マトモなのかもしれず、淡々とした筆致もあいまって底知れぬおぞましさを感じさせる話だった。

 

『真空土練機』

ある日腰痛で立てなくなった女性会社員をとりまく人々の群像劇。なんていうか、人間ってみんなそれぞれ変てこで無様だよね、みたいな感想。小説に登場しがちな、思弁的でかっこいい端正な人が一切出てこないところがミソなのかも知れない。

 

『ランナー』

終末的で陰惨な世界で、国が開催するマラソン大会の選手に選ばれた姉(もちろん普通のマラソン大会ではない。私の考えでは軍の特攻要員の招集令状を突きつけられる感じなのだろう)。労働力として認められない者が手にできる唯一の栄誉とされていたが、出発前夜に姉は家を抜け出し…。

狂った世界のシステムに反乱して死に至る存在がはみ出し者・狂人として片付けられるという筋書きの中で、本当に狂っているのははみ出し者の方なのか?マジョリティ側ではないのか?と問うスタイルは本作を通して一貫しているように思う。今後リアルの世界が狂気と欺瞞に満ちていく過程で、私はおかしいと声をあげ続けることができるのだろうか。それとも、じわじわと水温をあげつつ茹でられた蛙は逃げ出すタイミングを掴めずに茹で殺されてしまうという逸話のとおり、狂気の渦に飲み込まれて流されてしまうのだろうか。そんなことを考えさせられた。

 

というわけで、全編を通して人間のグロテスクさと悲哀とをまざまざと見せつけられ、オナカイッパイである。面白い本ではあるが、積極的にオススメはしない(2回目)。それにしても、尻のでかい女の描写がやたら出てくるのは作者の性的嗜好ですかね?

人生が終わり、神になってしまう

温泉宿に泊まって一切入浴せずにチェックアウトしたり、売店で顔を覚えられて「いつも大福を買ってくれてありがとう」と言われるなどして生きてる。

昨日は雪が降り、職場の入り口に雪だるまが作られていた。

薬を飲むと元気がでるかわりに異様に食欲が亢進しブクブク太ってしまう。

薬をやめたら鬱になるかわりに食欲は減って痩せやすくなる。飲むのも止めるのもぢごくだ。懊悩&憂悶。

パソコンのOSのアップグレードに失敗して、過去に書き溜めた文章、ネット文芸誌に寄稿した文章のファイルが全部消えてしまった。でも別にいい、新しい文章がこれから幾らでも書ける。最近はあまり写真を撮らない。回転寿司に行っても、変なオブジェを見つけても。

そろそろ春だ。