buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

名古屋へ

私はむかし数年間名古屋市名東区に住んでいた。

しばらく会っていない友人を訪ねて名古屋に行ってきた。

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ショッピングモール、星が丘テラス。

 

栄とか名古屋駅周辺は人が多すぎて萎縮してしまうので、

程よく都会的で閑散としている星が丘テラスは私の憩いの場だった。

三越に入っているアフタヌーンティーリビングで紅茶を飲んで、

雑貨店、ユニクロ無印良品あたりを冷やかして歩くのが定番コースだった。

 

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藤が丘駅は桜が咲き誇っていた。

 

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フレッシュネスバーガーでレモネードを飲む。

 

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お気に入りのラーメン屋、貴楽で鶏白湯ラーメンを食べる。

 

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泊めてくれた友人にはかなりお世話になった。

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猫との微妙な距離感。

 

伏見の科学館には大きくて有名なプラネタリウムがあって、それを見に行った。

係員の説明の声が穏やかで、椅子はとても座り心地がいいので開始後3分で寝落ちしてしまったが、途中で目が覚めた。

古代人が宇宙の成り立ちをどう考えていたのか、現代の科学によって宇宙の謎はどの程度まで解明されてきたのか

神話から最近の宇宙理論まで簡潔に紐解きながら説明していてなかなか良かった

(半分寝てたくせに)

 

人とは、展示コーナーで宇宙ステーションの実験施設の模型を眺めながら

宇宙の話は壮大でワクワクするといった内容のことを話した。

友人はSFのテレビゲームをするのだが

そこには太陽が二つある星や、衛星がすごく近くを通る星などが出てくることを話し、

私は宇宙空間で微生物や動物を生かすと

地上で生かした時と比較してどんな違いが出るのか気になりますと話した。

 

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本郷の憩いのカフェ、ムジコ。

名東区に住んでいた時は毎週のように通いつめていた。

生ハムとアボカドのサンドウィッチ。

紅茶。懐かしい味。

名古屋にきたらまた絶対ここに寄ろうと思ってたので来れて嬉しいです、また来ますと店主に言ったら喜んでくれた。

 

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友人宅では本の話をした。

また色々面白そうな本の情報を教えてもらって嬉しい。

最近本を読むスピードが落ちてきているので、読みたい本がどんどん溜まってきてエラいことです。

神話の力、という対談式の本が特に面白そうだったので取り寄せたい。

英和辞典は電子辞書より紙ベースの方が断然俯瞰で見やすい、という話をした。

 

松本に帰ってきたら、風邪をひいた。

 

 

町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ④

かいつまんでいうと、

詩人の現実の出来事と作品を短絡的に結びつけずに自由に詩を読もう。

国語のテストにありがちな「この文における作者の意図を考えよ」なんていう問いは笑止千万!

詩よむ時は作者の意図に沿うことに固執せず、

自分で新しい読み方をしてなんぼ!

誰にもできかった自分なりの新しい読み方を見いだせ!それが創造だ!

っちゅうことらしいです。

 

この時点でだいぶ時間がおしてしまい、

あとは駆け足で「言葉なき歌」(詩集『在りし日の歌』より)を読んで

この詩に出てくる「あれ」とは何か。

詩のことか、「もののあはれ」のことか。という問いかけがあった。

 

もうひとつ、ほんとうは『在りし日の歌』に出てくる「曇天」という詩も取り上げたかったのだが…とおっしゃっていたが残念ながら時間が足りず。

たしかに気になる詩である。

黒い旗が何を象徴しているのかとか、

リズムの取り方とか。

 

町田さんの中央大での講演を聴いたときにも思ったが、たぶんこの方はいつでも話すことが沢山あって時間切れになってしまうのである。しかも話は面白いときている。

(私は参加してないが、都内で開かれたカルチャーセミナーの講師をした時も時間切れで最後まで講義できなかったらしい)

町田康さん、願わくばまた中原中也の詩を読む会を開いてください…

90分と言わず4時間ぐらい。

 

一番最後に「四行詩」と、

それに寄せる自身の詩を朗読しておしまい。

中原中也の詩を読むにあたっての

面白い参考書籍も紹介していただき、

かなり濃い時間だった。

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町田さんが中原中也の詩によせて

詩を詠んだ本もあります

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サインもらった。

マジックペンじゃないので見づらいが、よし!

町田さんにサイン書いてもらう時に渡した手持ちのボールペン、宝物にするんだ〜うへへ。

 

余談だが、今回の読書会でたまたま隣の席に座った女性と仲良くなった。

はじめてのイベントに緊張して汗をダラダラかいている私に

「今日ちょっと暑いですよね」と声をかけてくださった方である。

会の開始前にちょこちょこ言葉を交わして、こういう会初めてだと緊張しますよねとか、どういう本が好きですか?

みたいな話をして意気投合し、

散会後少し茶飲み話をして連絡先を交換して帰った。

この方には町田さんの過去の講義のいくつかがユーチューブで視聴できることや、中原中也の参考書についての情報を教えていただいた。ありがたい。

 

以上です。

 

町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ③

で、いよいよ中原中也の詩を読んでいく訳だが

課題本が二冊もあるし、数をガンガンこなしていくのかなと思いきや

ひとつ、ふたつの詩をかなりじっくり読み解いていく感じだった。

読書会の設定時間はだいたい90分だったが、一時間で4行しか読み進まないというのでみんな大笑いだった。

参加者からも面白い意見や質問が相次いだし、内容の濃い90分だったと思う。

しかし、もっと話が聞きたかったな。

他の詩の話も聞きたかった。

 

まず取り上げられたのが「朝の歌」(詩集『山羊の歌』より)。

私が事前に自分で読んだ時はふーんぐらいに思ってスルーした作品だ。

町田さんによるとこの詩は、中也が初めて小林秀雄に見せた詩であり詩人としてやっていけるぞと確信するに至った詩であるらしい。ここには載せないが、興味がある人は読んでね。

って、私は誰に言ってるんだ。

 

この詩は四行・四行・三行・三行より成るいわゆるソネット形式である。

(はは、ソネットとか洒落たこと言われると鼻で笑ってしまいますけどね。と町田さんは言っていた)

詩を書く上ではその意味に加え字面、目にパッと入ってきた時の印象も重要になってくるため、

一行書いたらその次の行は二文字下げて続けるとか、行間をあけるとか、

どの漢字を使うとか(赤い or 朱い)

随所に作者の意識が行き届いていることを認識した。

 

意味を読み解いていくと、

朝起きて天井が明るい→ああ、戸の隙間から日光が入ってきているのだな

という通常とは逆の順番で描写することにより

臨場感が出ている。

鄙びたる軍楽の憶ひ」は、昔聴いた軍楽の記憶を指し

鄙びたる」は時間・距離両方の隔たりを意味しており、テクニカルな使い方らしい。

詩人はなんとなく書いてるんじゃなくて、細かいところに色々工夫してるんですよ、と町田さんはニヤッとした。

軍楽は、甘いノスタルジアではなく勇ましさ・士気の象徴だと町田さんは解釈しているようだ。

「倦んじてし 人のこころを 諌めする なにものもなし」

のところでは、中也自身の話を急に「人」と普遍化、一般化する尊大さ傲慢さのおかしさ(別に悪い意味ではなく、興味深いねというニュアンス)に言及していた。

 

この詩については他の参加者からこういう点に気づいた、これは何故こうなのかというコメントが結構あって議論が活発になされ

町田さんは「こういうふうに話がしたかったんですよ」としてやったりな感じだった。

語尾を揃えてテンポを整えている点、

視覚→聴覚→嗅覚→ふわっとした感覚

という感覚の推移、句読点の有無などがもたらす効果についての指摘が面白かった。

 

私はさまざまのゆめ、というフレーズが1回目はひらがな、2回目は漢字なのはどういう意図があるのだろうかという旨の発言をした(緊張して手がプルプル震えた。がんばった!)

あなたはどう思われますか、と訊かれたのでひらがなの夢は夜見る夢で、漢字の夢は人が持つ希望という意味での夢かなと思った、と答えたら

町田さんはなるほどねー、と言っていた。他の方は、字面や字数を整えるために使い分けたのではないかと言っていて

それもなるほどと思った。

 

ここで、町田さんは詩を読む際にぜったいに作者の意図に沿って読まなきゃいけないなんてことはなく、自分で新しい読み方をしてもいいんやで、という持論を話されていた。

で、ひとつの詩をしつこく読み込むといろんな面に気づきクリエイティブな読み方ができますよ、てなこともおっしゃっていた。

 

あと1回で終わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ②

まずはじめに、今回の話の流れについて説明があった。

 

1.詩人の人物像は知っていた方がいいのか

 

2.詩はどうやって読めばいいのか

 

3.詩はどうやって生まれてくるのか

 

以上3点。

1.については、町田さん自身は詩を鑑賞するにあたってはどうでもいいと思っていると言っていた。

詩人の人物像、例えばどういう境遇にあったか・何年に誰と結婚した・何年に子供を亡くした云々といった事柄にひっぱられると、

作品を鑑賞する際に「この詩は作者の身に起きたあの出来事をもとに書いてるんだな」などと早合点して深く作品を読み込まなくなってしまう。

人はたしかに現実の出来事に影響を受けるものであるが、100パーセントそれだけということはあり得ない。

人間の感性はもっといろんなものが複雑に絡み合って形成されるものだから。

そう言っていてなるほどと思った。

 

「たとえば、中也は愛息子を幼くして亡くしているので

詩の中に死児というフレーズが出てくると読み手は早合点して

ああこの詩は息子を亡くした出来事を表現してるんだ、なんて結論を出しそうになりますが

この死児、というフレーズはじつは中也の息子が亡くなる前から作品中に頻出しているんですよ。

作品というのはそんな単純な出来事だけで判断できるものじゃないんです」

と言っていたのが印象に残っている。

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町田康さんとの読書会 in 大磯 (中原中也の詩集) ①

町田康さんを囲んでの読書会が大磯でひらかれるというので、

町田康ファンの私は松本から片道4時間かけて大磯を目指した。

(以前町田さんの講演会を聴きにいったことがあるが、

町田さんの話はめちゃめちゃ面白いので今後そういう機会に恵まれた人は

ぜひみんなに聴きに行ってほしいです。)

 

課題本は中原中也の詩集、『山羊の歌』『在りし日の歌』。

定員30名、会場はmagnetという名のカフェ。

 

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張り切りすぎて受付け開始の40分前に大磯に着いてしまった。

 仕方ないので、とりあえず海を見に行く。

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受付開始は15時で、スタートは15時30分から。

もう15時になったので会場のカフェに入ると、

先着の参加者がすでにけっこういる。

ほんとうにこぢんまりとした、ぐるりと四隅を見渡せるくらいな広さのカフェである。

4人掛けのテーブルに着席してキョロキョロしていると、

なんと前方に座っている町田さんを発見。渋茶を飲んだような神妙な面持ちだ。

スタートと同時に楽屋的なところから扉を開けてみんなの拍手と共に登場するのかと思ってた。

 

参加者のあるものは今回の課題本をぱらぱらめくりながら、

あるものは連れと小声で話し合いながらも

みんな町田さんのほうをうかがっている気配がする。

しばらく静かな時間が流れたところで、町田さんが口を開いた。

「あのお、僕なんかもそうなんですけどこういう場で大人数の前で

挙手して意見とかいうのは恥ずかしい方もいるでしょうからそういう場合は

手元にあるアンケート用紙に意見なり感想なり書いてくださいね。目通しますんで。

もちろん発言できる人はどんどん発言してください」

町田さんの発言の一言一句覚えているわけではないが、だいたいこんな内容のことを言っていたなということで。以下も同様。

 

この静寂のなかで会のスタートを待っているのが手持ち無沙汰になったのか

気まずくなったのか、町田さんは誰にいうともなく話し出した。

「いやあ本当はこんなに早く着くつもりはなかったんですよ。

時間を間違えてて。遅刻やと思って入ったら30分早かった」

会場に笑いがおきて、すこし緊張がほぐれる。

静寂のなか続々と参加者が入ってくる。

それでもまだ開始時間までは15分ほどある。

町田さんは静かな空気のなか待っているのがいよいよじれったくなったらしく

「もう始めようか?始めてもいいですかあ?」

と主催者に言って、まだ来てない方がいるので…とやんわりおさえられていた。

ああやっぱりエッセイとかで書いているとおりせっかちな性分なんだな、

と嬉しくなった。

そのあともやっぱりじっと待っているのが落ち着かないようで

「しかし…神の御国においてはあとの者が先になり、先の者があとになるとか言いますが、キリストはよく言ったものですね。実際は先に着いた人はこうやって待つしかない。あ、皆さん後からきたひとには優しくして下さいね

などと言って会場の笑いをさそったりしていた。

そのほか、最近老眼鏡をつくりにいった話とか

スーツを誂えたいのになかなか誂えに行くことができず、

そういうやらなきゃいけないことがあるのになかなか行動に移せなくて

結局引きこもって時間を無為に過ごしてああやっちゃったって悶々とすること

あるよネー、みたいな雑談をしていた。

町田さんはこういう他愛ない話の端々にも人をひきつけるところがあって

魅力的なのである。

 

って、本題に入る前に1000文字超えてるやんけ。

町田康が好きすぎて、記憶してるかぎりの事を全部書こうとしてしまうので

こんなことになる。

肝心の詩の話については明日以降書きます…

会が終わった後すこし交流する時間があって、

町田さんは参加者たちの話を聞いたり、サインをしたり

写真撮影に応じたりしていた。

わたしは

町田さんに長野県から来ましたと言ったらまた「中央線で?」といわれて嬉しかった。

(以前サイン会に行ったときも同様のやり取りをした)

こんど山梨に行くんだけど遠いかなあ?ときかれたので

テキトーにああ遠いですよみたいに言ったんだけど

冷静に考えたら熱海と山梨はそんなに遠くない気がする…

わたしは地理に弱いんだ。

あとは私は中原中也の詩では『宿酔』が好きです!と言ったら

ああ千人の天使がバスケットボールするやつね、と言われて嬉しかった。

町田さんの著書にサインをもらったり一緒に写真を撮ってもらったり

ちょいちょい話しかけたりしたのでちょっとあつかましかったかなと後で

思ったけれども、まあよしとする。

 

文字

ネットの粗い文を読むのに飽きたら

小説のよく練られた長文を読めばいいし、

叙情的な文章を甘ったるく感じて

胸焼けがしてきたのならば

新書とか学術書をよめばいい。

 

この春は読書会に参加する予定をしていて、

中島敦名人伝

中原中也の山羊の歌が課題本になっているため読む。

名古屋に遊びに行く予定もつくった。

3月は夫の会社で人事異動の発表があり、もしそれで転勤を言い渡されたら

4月1日には新しい土地に行くことになるので遊びどころじゃなくなる可能性があり、少し不安はある。

上層部が偉ぶったイヤな会社で(私も昔勤めていて厭になってやめたのでこれぐらいのことを言う権利はある。昔よりはマシになったっぽいが)

人事発表から転勤までの時間があまりないというのがこの会社のもっともクソな点の一つだと思っている。

上層部の人間が下の人間をコマのようにあっちこっち動かして自分の影響力に悦に入っているのだとしか思えない。

もっと時間に余裕を持たせての人事発表にすればいいじゃないか。何が不都合なのか。

まあいい。

ムカつくことは数え切れないが、生きていくしかないので。

 

 

ラジオ

夢の中に知っている人が出てくると、

「夢の中に出てきたよ」と本人につい言いたくなってしまう。

夢に出てきたのはまだ会ったことのない若い女の人で、私は夢の中でその人の引っ越し作業を手伝っていた。

新居は見晴らしのいいアパートの一室で、荷ほどきをする際彼女は真っ先に

ラジオを取り出してテーブルに置き、

スイッチを入れていた。

その周りには、ぬいぐるみが何人か。

後日、彼女が新居で実際に新しくラジオを買って聴いていると知って

さても現実と夢が符合したことだ、と妙に嬉しくなったけれども

畢竟こうしたできごとに特別な意味などはなく、

一切の出来事は淡々と流れていくだけで

人間だけが好きなように個々の出来事に意味づけをしているのに過ぎないのだと

思い、ひとりむなしく飲酒、午睡。

外は春の到来を告げるかのような嵐。

そろそろ亀も冬眠から覚める。

 

 

索漠たる日々

コンビニの飯、スナック菓子、ネット通販の肌着、靴下、はっきり言っておれの買い物には色気がない。

それだからダメなんだ。みっともなくぶくぶく太るんだ。

なにか色気のあるもの(食いもの以外)を買うところから始めよう。

生活を立て直そう。

コーヒーショップでカフェオレに向いているというふれ込みのコーヒー豆を選んで挽かせ、買った。

今晩ひさしぶりにドリッパーを使ってカフェオレを淹れよう。

こうしてちょこちょこ細かい用事をつくって時間を殺せば、食うことを考える時間が減って少しはマシな暮らしになるだろう。

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ブコウスキーと南の島

ブコウスキーの酔いどれ紀行の文庫本を大学生協で見つけた。

単行本はすでに持っていたのだが、やはり持ち運びに便利な文庫本も手元に置きたいということで、買った。

ダメ人間の旅行記は魅力的だ。

非の打ち所がない著名人がそつなく観光し、地元民と交流し、特産品を味わう旅行記に用はない。

ブコウスキーは旅行中ほぼ飲んだくれていて二日酔いで、悪態をついている。有名なモスクで、感嘆の声をあげる観光客を尻目に「モスクなんかクソくらえ」と毒づいていたのは良かった。

今日読んだ一節で目に留まったのが、

「多くの人が関心を持つような

出世、レジャー、映画、音楽、恋愛、財産、議論、文化、大人の遊び、子供の遊びなどにまるで興味を感じないがそれでもわたしは文を書いている。

多くの人が黙殺するような卑俗的なものにわたしは目を向ける」といった文と、

「今日会って話した若者たちはいい目をしていた。いい目をした若者たちは家へ帰って何をするのだろうか。部屋の模様替えか、音楽を聴くのか、ソーセージを焼くのか、映画を撮るのか。あの若者たちはいつまでいい目をしていられるのだろうか」という述懐である。

ブコウスキーは平易でぶっきらぼうな言葉しか使わないのに、なぜこんなに含蓄のある・奥行きのある表現ができるのだろうかといつも舌を巻いてしまう。

描写する対象への視線は冷笑的に突き放しているわけではなく、かといってベタベタ寄り添っているわけでもなく、絶妙な客観性とある種の優しさを感じる。

 

あとは2月に南の島に行く予定を立てたので、南の島のガイドブックを買った。

本来レジャーなどほぼ無縁なのだが、

なにか普段やりつけないようなことをやれば精神への賦活作用がのぞめるのではないかと思ったのだ。それぐらい参っているということでもある。

 

きょうは実験用マウスの入荷を手伝った。免疫不全のぬるっとしたヌードマウスだ。

私はべつに動物実験に全面的に反対するものではないが、実験に供されるために生まれてきて、しばらく飲食をして生きて、やがて屠られるマウスの一生を考えるとなんともいえない気持ちになる。

私も人間としてじぶんの一生をなにか上等なものとして思いたい気持ちはあるが、何のことはない、ヌードマウスの一生と変わるところはないのだろうとも思う。f:id:osenpe:20171213002107j:image

甘い甘いアイスレモンティーが数少ない癒やし。

 

寝て過ごす日々

無理やり仕事に行き、それ以外はほぼ横になる日が続いている。

家事はほとんど夫に任せてしまっている。申し訳ないと思う。あきれられていることだろう。

人の繋がりから遠ざかっているような感覚があって淋しい。疎遠になった人もいくらかいる。これはどうしようもないことだと思う。

それでも相手をしてくれる人の存在はありがたい。

 

感覚が鈍麻して本を楽しく読めなくなっているのも辛い。一過性のものであることを願う。

 

馬の鼻先にぶら下げる人参のごときものが必要かと思い、思い切って南の島へのツアー旅行を予約した。

2月まで生き延びる理由ができた。