buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

初ボディピアス

東京に出たついでに、原宿のextreme というピアッシングスタジオでピアスを開けてきた。

セプタム(鼻中隔)とラブレット(くちびるの真下)である。

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セプタムの方はコの字型のリテーナーと呼ばれるファーストピアスが入っており、普段はこれをくるりと回転させて先端を鼻の穴の中に収納するので目立たない。

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いずれの穴も14Gのニードルで開けてもらったのだが、セプタムの方はワサビを食べてツーンとするような感覚で痛く、勝手に涙が出てきた。なかなかの衝撃で思わず「おおおお」と声が漏れてしまった。まあでも一瞬のことだから我慢できないほどの痛みではなかった。ラブレットの方はチクッとする程度の痛みで、正直「あれ?この程度なんだ」という感想。ピアッシングが終わったあとピアッサーの人に「未知の感覚でした」と述懐したところ「ふだん生活しててこんなところ針で刺したりしないからね」と笑っていた。

穴は無事開いたものの、このあとのアフターケアが肝要だ。化膿させないように弄りすぎないように、適度に手入れをして穴を安定させていく。スタジオで受けたアドバイス通りに朝晩洗顔フォームで穴の周辺を慎重に洗い、乾かす。ラブレットに関しては口の中に貫通しているので、飲食後などはこまめにアルコールを含まない洗口液で口の中をすすぐ。店で勧められるままに買った生理食塩水のスプレーは今のところ使いどころがわからないでいる。正直買わなくても良かったかなという気がする。

 

職場で「口と鼻にピアス開けたんですけどまずいですかね」と訊いたら(開ける前に確認しておけよ)実験に差し障りがないなら全然オーケーだよ〜、ていうかロックバンドでも結成するの〜?アハハ

との答えだった。蓋し寛容な派遣先である。むしろ派遣元の営業担当からうるさく言われるかもしれない。やりたくてやったので気に入らないなら契約中止にでもクビにでもなんにでもしてくれ。寝る。

町田康と十返舎一九@池袋コミュニティカレッジ

池袋にて、町田康さんが「文学と笑い」をテーマに講義をするというので聴きに行った。題材は十返舎一九東海道中膝栗毛』。

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前から3列目のいちばん左端に座って待っていたら横をすり抜けるようにして町田さんが壇上に向かっていったのだが、その際ジャケットの裾が私の肩に擦れてウヒョヒョ、ラッキー☆と内心浮かれてました。気持ち悪くてすみません

 

導入部で、とかく世の中の人は「笑い」という文化を下に見がちであるが、それは違うんじゃないのかな。という持論を展開していた。

その例として某出版社からわりと昔に刊行されている『東海道中膝栗毛』の解説文をまず紹介。この解説者が中村という人物なのだが、自分が解説を担当している本にもかかわらず東海道中膝栗毛のことをわりと罵倒していて可笑しかった。いわく、教訓や上品さや道徳や勧善懲悪などのためになる要素が皆無でふざけきっている、と。

この「笑い」を軽侮する姿勢は1980年代の吉本新喜劇に関する評論文にも通じるものがあるのだそうで、当時の雑誌から吉本新喜劇に関する文化人たちのコメントをピックアップして読み上げていた。高尚っぽいものをありがたがるのは空っぽの神棚を拝むような愚かしさをはらんでおり日常の生活に根ざした「笑い」の文化は人類の叡智である、ということを繰り返しおっしゃっていた。

「自分なんかは昔から『その神棚空っぽじゃないか』と言って神棚をあけてみようとするたびに人から止められ殴られてきましたからね。みんな本当は神棚の中が空っぽだってバラされるのがこわいんですよ」

と語っていたのが意味深長だった。

東海道中膝栗毛』を味わうためのコツとしては、その場その場の「笑い」の背後にある人間の考えを汲み、根底の面白さを見いだすことの重要性に触れていた。

悪い例としては、きくラジ(?)で放送されている弥次さん喜多さんのラジオドラマがめっちゃつまらないんで反面教師としておさえといて下さいと言っていた。ボヨヨンみたいな間抜けな効果音を出したり、おどけた声音を多用するなどの表層的かつ安易な「こういうのやっとけば面白いんでしょ」感は笑いへの冒涜だと力説していた。

東海道中膝栗毛』の醍醐味は、とにかくやってることがムチャクチャ・フリーダムで作者自身がふざけ散らかしているところであり、ふざけ=解放を体現しているとのこと。それに付け加えて、よくある「小説ってなんのタメになるの?役に立つの?教訓はそこにあるの?」というような実利主義的ご議論をチクリと揶揄していて痛快だった。

そのほか、作中に出てくるエピソードには言葉遊びのほか落語の要素もあり漫才や劇のような要素もあり、現在のお笑い文化に通じるあらゆることが網羅されているというのが特色とのこと。

この講義に参加するまでは『東海道中膝栗毛』について、なんか昔の言葉遣いで難しいしとっつきにくいと感じていたのが徐々に面白さを見出せるようになり、3D画像の鑑賞方法を会得した時の感動に近いものを得られた。やっぱり笑いを感じ取れるようになるには一種の訓練・鍛錬が必要であるよなあ。と思った次第です。

 

(余談)講義が終わったあと、共に離れた席にいた友人Nさんと合流。町田さんにあわよくば話しかけたい気持ちもあったが今回はサイン会などはないし、ちょっと遠くに町田さんの姿が見えたけどほかの参加者とおぼしき人たちの応対をしていたのでなんとなく近寄るのも気がひけて あー…まあいっかと30分ぐらいNさんとロビーで談笑し、そろそろ帰りますか〜とエレベーター乗り場に向かったらもうとっくに帰っただろうと思っていた町田さんがふらっとそばを通り抜けたのに気づいて「あっ!」と叫んでしまった。

町田さんは立ち止まって

「ああどうも、雪だけど電車とか大丈夫でした?」と声をかけてくれた(私もNさんも頻繁に町田さんの講義やライブに行くのでなんとなく顔を覚えられている)。マジ紳士。次の何処其処でのライブ観に行きます!楽しみにしてます!などと言いつのる私たちに笑顔で応対してくださり「帰りも、お気をつけて」と言ってくれた。マジ紳士。本当にラッキーでした。

 

あとは、原宿でピアス開けたりほかの友達と会ったりして一泊して帰宅しました。ピース。

食についてのメモ

摂食行動に問題を抱えていることは事実だが、過食によってストレスと闘ってきたこと、食べ物は悪者でなく救いであり続けてきたことについては認めなくてはいけない。だいぶ太ってしまったが、これは鬱期を生きながらえる為にはある意味必要なことだったのだ。

とはいえ食べ物でひたすら現実のストレスと闘うフェーズは終盤に差し掛かっており、次なる進展を求めて食生活を見直さなくてはいけない。やっぱり体型を整えてもっと綺麗になりたいし、健康にもなりたい。

 

飢餓感をひたすら我慢することは私には難しいので、脳をうまく宥めすかして過食から気をそらす方法が良さそうである。たとえば、食べるスピード。もともとかなりの早食いで、大人一人前の弁当を5分で完食する程度のスピードだが、これでは満足感があまり得られない。試しにきょう昼飯を出来るだけゆっくり食べて、まあそれでも15分から20分程度で食べ終えたのだが満足感がだいぶ違った。これからもはやる気持ちを抑えて、努めてゆっくり食べようと思う。

あと、痩せてた時期を思い返すとやはり食に拘泥せずあれこれ他の好きなこと気になることに注力していた。結局のところ、痩せていたければ余剰なカロリーを摂取する機会を無くし、活動エネルギーを増やすという観点から摂食以外の活動を充実させるしかないのだ。いやー、基本であり分かりきったことなのだけれども、鬱状態だとこれが至難の技でもっぱら食べ物に頼ってしまうのだな。でも、今少し鬱期から脱しつつあるので良い機会だから食への過度な依存を抜け出す工夫をしていこうと思う。

今日は努めてゆっくり食事をしたし、手紙を書く、筋トレ、ジム通い、家事、睡眠など食以外の活動を充実させたのでダラダラ食い・ドカ食いを阻止できた。この調子でやっていこうと思う。休日はまあいいが、ストレスが溜まりやすい平日の過ごし方が鍵を握りそうである。

 

 

文に生きる

こないだ俺は面白いツイキャスを聞いて、それは自分以外に聴衆がいない喋りだったのだけれども面白い話かどうかは聴衆の数には関係がない。この俺が面白いと思うかどうかが肝要なのであり、俺一人しかリスナーがいないラジオ番組、俺一人しか読み手がいない小説だってあって然るべきだ。

読書観についての話だった、その人は物語で最も重要な魅せる要素は文体であって、話の展開とか筋は二の次だと言っていて俺は自分もそう思うと強く感じたのだった。内容はもっともなことを言っていても響く文と響かない文があると別の人も述懐してて、俺はそのこととも繋がっていると思うのだ。

前に町田康が、小説の文は話の内容やあらすじを伝達するという手段である以前に、文そのものが目的でなければならない、文そのものに書き手は奉仕せねばならないと言っていたこととも符合する。

この世の大抵の事柄は、必ずどっかで符合することになっているのだ。それは特別なことであると同時に、ありふれたことでもある。

文とともに生きる。文で生きる。文に生きる。

ハイパースピードでおれは

将来を長い目でみて今は自重しておこう、手堅くやっていこうみたいな守りの姿勢が無性にダサく感じて服を脱ぎ散らして叫びたくなる。

もっと刹那的にこの瞬間を駆けぬけようよ。高速&衝動で。

そう思ってこの土手まで来ました。

生まれたからにはその「生」そのものが答えであり、極楽であり、辺獄であり、滅亡なのであります。生に何故と問うな、描く意匠を問え。

道が金色に光っていますが、あれは希望とかでは別に無く、ただの太陽光に照らされて眩しく見えるだけなのでそれ以上でもそれ以下でもない。

幻想的な夢

ウサギとカメが夜空を歩いて旅する夢を見た。ふだん見た夢はほとんど忘れてしまうのだが、第三者視点の夢を見るのは珍しいので目覚めても覚えている。多分昼間にミヒャエル・エンデ『モモ』に登場するカシオペイアという名の、甲羅に文字が浮き出るカメのことを考えたのが影響しているのだろう。

海と空には巨大な氷の橋が架かっていた・あるいは氷の柱に貫かれていたのが印象的だった。

 

その前に見たのは独裁者に虐殺される夢だったり、巨大な宇宙エスカレーターの夢だったり、古塔を行軍する夢だったりした。むかし都市部に住んでいたとき通っていた喫茶店もよく夢に出てくる。

実にいろんな夢を見る。

巫山戯たツケがどんどん〜

高円寺で音の洪水に呑まれ、体を揺らしてた。クルクル煌めくミラーボールの光はあまりにも眩しく、耐えられず目を瞑っていても瞼を通して明るく滲むほどだった。私はその夜、全てを手放したい、全てに倦んだ気分だったのだ。とは言え、もうしばらく音楽はいいだろう。

 

クリスマスの夜も更けたころ、食べ時を過ぎて半額になったケーキを求めて夜の街を駆け巡る。しかし昨今のクリスマスケーキの生産・廃棄体制はよほど厳密なようで売れ残りが抑えられているらしく、収穫はなしとのこと。24時間スーパーで買った妙な味わいのピーチティーを飲み、パンとフライドチキンを食らう。他愛もない四方山話をする。明け方にようやくまどろむ。

 

それはそうと、2019年の目標は母を東京ディズニーランドに連れていくこと。あんな混むところなんか、と日頃憎まれ口を叩いていた母が「お母さんディズニーランドを一度みてみたいねえ」とふと漏らしたのは、クリスマスイブに電話をかけた時のことだ。私ももっと若い時は斜に構えて、あんな浮ついたところ…と貶していたのだが母の述懐を聞いて、いいじゃないの。行こうじゃないの。夢の国。と思ったのだ。

「そう、ミッキーの耳の頭飾りもつけてね」「歳とった人がつけてたら周りの人が可笑しがるかもしれないね」などと笑いながら話していて、母と自分の老いを感じて密かにしんみりした。

しかしまあ。こう寒いとすべてを手放してしまえそうな心地になる。2018年の冬、なにもかもパッとしないがとりあえず私はオリオン座のしたに生きてた。巫山戯たツケがどんどん来る。巫山戯たツケがどんどん来る。

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春も秋も夏も冬も嫌いなことに気づいてしまった。気づかないようにして暮らしてきたのに。

仕事に疲れたらブコウスキーの本を読む。ブコウスキーはうまい警句を吐こうと手ぐすねひいている感じが全くしないのが良い。警句を吐かずに心に残る文章を書くのは並大抵のことではないから、すごいと思う。ブコウスキーはめちゃくちゃ読書家で、培ってきた読書経験に裏打ちされてるから難しくないのに奥行きのある文章が書けたんだと思う。

「本を読む人なのか読まない人なのか、書いた文章を読めばすぐにわかる」と町田康が講演の時話してたのを急に思い出したりした。

冬は化粧もせず、本に埋もれてる。

かなしい夢を見て目がさめる午前二時半

亡父の夢を見た。家族みんなで二番目に住んだ屋敷にいて、みんな大人で、母は寿司やら餅やらを取り寄せて親戚たちの来訪にそなえていた。何か祝いごとの日らしかった。私が方向音痴だとか、皆んなが海で遊んだ写真が新聞に載ってるだとか、床の間で他愛もない会話をしていた。次兄は何か作業をしにおもてへ出ていった。父は客がくるまで横になるといい、うとうとし始めた。靴を入れたビニール袋が風に触れカサカサいい、あれは何の音だと問う父に靴を入れた袋の音だと教え、水色のクロックスのスニーカーを見せた。疾く来客もがなとおもてへ出ると、次兄が犬十頭ばかりの毛刈りをしていた。刈りとった毛が風に舞い、どの犬も笑っているようだった。目が覚め少しばかり泣いて。