buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

めちゃくちゃ美味しいもの以外でも人は飲み食いする

きのうルイボスティーのことを書いたので、お茶について人が話していたことを思い出した。


以前の職場で、AさんとBさんがお茶について話していた。
Aさんの家では妻がルイボスティーを煮出して作り置きをする習慣があり、
Aさんも家ではルイボスティーを飲むし、たまに水筒に詰めて会社にも持ってくるのだという話を聞いて、Bさんが
「ふーん。あんまり飲んだことないなあ。ルイボスティーってさあ、美味しいの?」
と問うた。
それに答えてAさんが
「まぁ、飲みやすいよ…って言うかさ、お茶って美味いとか美味くないとかあんまりなくない?
普通、お茶飲んで『うぉー!メッチャうめー!』とはならないじゃん。皆なんとなく飲んでる感じで」
と言っていたのが印象に残っている。
確かにそうだなぁと思ったので。



お茶に限らず、人は選りすぐりのメッチャ素晴らしいものだけに囲まれてなきゃいけない訳ではなく、
すごく良いと思ってるわけじゃないけど何となくそこにあるものを身のまわりにおいて適宜使いこなすといったことが重要なんじゃないかと思ったのだ。
逆に、選りすぐりの素晴らしいものしか飲み食いしたくないし使いたくない!
という頑なな姿勢は良くない結果をもたらしそうな気がする。
生活してて常にウワー!メッチャええわぁ!上質ゥ!と感動しっぱなしだと精神が疲れそうというか。
最初のうちは良いけどそのうち感覚が鈍磨して何も感じなくなってしまうんじゃないだろうか。


Aさんは私に肩こり体操を教えてくれたり、枕元に加湿器を置くと喉の調子良いですよとアドバイスをくれたり、
私が退職する時プレゼントとして陸亀用のエサを贈ってくれたりと(私は陸亀を飼っているので)
気さくな人柄だった。
気心の知れた同期とはぞんざいでくだけた調子で話すのに
目上の人や派遣社員である私とかパートさんに対しては妙にかしこまった言葉遣いで話すのが面白かった。
「さようでございますか」「承知致しました」が口癖だったことを覚えている。