Open your eyes
べつに楽しくなければ生きている意味がないなんてことも無いだろう。
3月いっぱいで仕事をやめた。17時まで働けないやつはこれ以上置いとけないという話だったので仕方がなかった。朝いやいや起きて9時から働き始める。15時に帰る。往復の車通勤はすごいストレスだ。こんな短い時間の仕事でも疲れ果てて、帰宅するやいなや20時近くまで寝て、寝ぼけた頭に鞭をいれて犬の散歩に行って帰ったらメシ。入浴はサボることも多かった。で、「明日が来るのが嫌だな」と思いながらダラダラスマホをいじって深夜に寝落ち。コンビニで買った簡易食品の無茶食い・盗み食いが唯一の気晴らしで、そんな日々を過ごしていたらブクブク肥えた。本は読めなくなった。いくらかの日銭は稼いでいたかもしれないが、こんな白痴みたいな暮らし全然惜しくないだろ?
仕事をやめてから食う寝る以外のことは本当に何もしたくなくて、遊びにも行かずにいた。精神病院の主治医には心を閉ざしているので、月一の診察時は「おかげさまで調子は上々です(はりついた笑み)」しか喋らないことにしている。
休むのが嫌になるまでとことん寝逃げしたほうがいいのか、少し無理してでも外に出て活動したほうが元気が出てくるのか判断がつかないから、きょう安曇野の美術館に行ってみた。
田園風景のただ中をレンタサイクルで走った。自転車走行は危なくて、さわやかな風が体を通り過ぎる感じも本当いやだった。
風景が綺麗なこともどうでもよかった。美術館の展示が世界中の絵本に登場する猫をとりあげたもので、もう何も感動できなくなっていたけど、とりあえず見た。観たじゃなくて見た。いわさきちひろの夢みるような優しいタッチの水彩画ももうどうでもいい感じだった。しゃれた庭園のテーブル席に腰掛けて、寝室の布団のことばかり考えてた。
デッキチェアに横たわることもままならなかった。
小鳥のさえずりを聞きたくなくて、iPodのイヤホンを耳に突っ込んでハードロックをがんがん流した。ゆらゆら帝国を聴いて、RAMONESを聴いて、それからTen Foot Pole を聴いたら少し落ち着いた。食いもんのことと布団のこと。食いもんのことと布団のこと。そればっかりだ。
今までは美術館に来たらミュージアムショップで絵葉書を買うのがならいだったが、猫の絵が描かれた絵葉書を手にとって猫好きな知人に便りを出すことを想像しても「どうでもいいぜ」としか思えず本当にいやな気分だったので止してしまった。私はいったい今後人に手紙を書けるのだろうか。手紙書きますね、と言ってそのままになっている人達の顔を、まあ顔を知らない人もいるけど、思い起こして悲しかった。
あしたは、はっ、しゃらくせえ。洋風のハーブガーデンをみにいきます。
楽しくなくてもやって行くんだ。生きるのが苦手でもやっていくんだ。
私は花が好きでもなんでもない。