buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

擾乱の気配

 

前世は兎 (単行本)

前世は兎 (単行本)

 

吉村萬壱『前世は兎』を読んでいる。3月に参加予定の読書会の課題本ということで手に取ったのだが、その物語世界は全編を通じて不穏さと擾乱の気配に満ちており、読んでいくうちに心がどんどん侵食されていくような思いがする。ざっと目を通すと生々しく無残なセックス描写、暴力、異常さにまず圧倒されるが、巧みな言葉選びと抑制的な筆致のおかげで意外とストレスなく読み通すことができた。とはいえ、不快感や嫌悪感を引き起こすタイプの作品ではあるので万人に忌憚なくオススメできるわけではない。

しかし、人は平和と安寧だけに生きるものに非ず。時には人間性の暗部に思いを致すのも重要なことかもしれない。

 

『前世は兎』

表題作。雌兎として生きた前世を持ち、常に性交に明け暮れる女が目の当たりにする世界の滅亡が描かれる。人間の世界は言葉と意味によって無惨に分断され破滅に至り、全ての名前が失われた均一で平穏な世界が顕現したかと思いきやそこにはすでに新たな言葉による新たな擾乱の萌芽が見てとれ、恐れをなした女は人里離れた場所に逃げていく、といったあらすじ。人間は言葉と意味によって分断され苦しみ狂うが、そこから逃れるすべはない、人間として生きるのはなかなか大変だ、といった感慨を抱いた。主人公の女も兎目線であれこれ人間の業を批判して持論を展開するけど、彼女自身が意味と言葉から逃れられてないし。兎的平板な世界と本能最優先な生き方をよしとするのならば、妊娠するたびに掻爬したり、男を性的魅力によって破滅させるほどの影響力を自覚して愉悦に浸る行為は不自然で矛盾しているのではないか。主人公の女もまた、人間の業と矛盾から逃れられず生きていくだろうことが暗示されているように感じた。

 

『夢をクウバク』

現実と妄想の境界が曖昧な世界で悪意と攻撃に怯え孤立していく家族が神経症的な筆致で描かれている。親子のやりとりは脈絡がなく不気味に噛み合わず、物語の鍵を握るらしい憂(一人娘)の言動も非常に散漫で内面を窺い知るすべはない。母娘のやりとりの噛み合わなさはサリンジャーの『コネティカットのひょこひょこおじさん』のエロイーズとラモーナのやりとりをなんとなく想起させ、ラストの憂が寝たまま口を動かし続けてやめないシーンは『フラニーとゾーイー』を想起させた。絶えず不安に晒されながらも、せいぜい750円の他愛もない貘の置物に一家の安寧を託さざるを得ない一家の矮小さと悲哀が感じとれた。

 

『宗教』

授業中に全裸になるという狂態を晒した末に休職中の女教師は、「スティレス(=ストレス)」を解消するために日々ヌッセン(大衆的な衣料品販売業者であるニッ◯ンのもじりでしょう)のカタログを書き写している。そこに復職or退職を迫る同僚や上司たちが訪ねてくるのだが…。

ストレスと気持ち良さは表裏一体であり、生きるための祈りという行為や祈りの対象は人それぞれで、他人が容喙することではないという主人公の持論を面白く感じた。

 

『沼』

腐敗した汚い沼にわざわざ浸かりにいく男女の様子が描かれる。収録作品の中でもとりわけ生理的嫌悪感に訴える描写満載で、拒否感を通り越して感心してしまうほどである。登場人物たちは、汚い沼に浸かることを洗礼と称して、吐き気と不快感を催しながらも醜悪なセックスをし、まだ見ぬ向こう側の世界に思いを致している。主人公は、不潔極まる沼を蠱惑的で悪そのもののようだと表現する。沼に浸かる行為が人間の暗部を探究する行為のメタファーなのかなと思った。清潔、理性、道徳、善、快だけに目を向けていても真理には辿り着けないよ、といった作者の信念を感じたのだが、どうだろうか。

 

『梅核』

喉の異物感に悩まされる小説家の独白という形式をとった短編。虚構と現実の狭間で狂った世界に従属して生きる狂った人々の様子が描かれている。人々は迫り来るテロリズムから目をそらしてちっぽけな桜の写真をSNSにアップしてはいいね!を貰って充足しきっている、あるいは充足したフリをしているのかもしれない。周りから狂人呼ばわりされて疎んじられた末に「みんな殺される、今年は桜が一本も咲いてない」と言って焼身自殺した北尾律子がほんとうは一番マトモなのかもしれず、淡々とした筆致もあいまって底知れぬおぞましさを感じさせる話だった。

 

『真空土練機』

ある日腰痛で立てなくなった女性会社員をとりまく人々の群像劇。なんていうか、人間ってみんなそれぞれ変てこで無様だよね、みたいな感想。小説に登場しがちな、思弁的でかっこいい端正な人が一切出てこないところがミソなのかも知れない。

 

『ランナー』

終末的で陰惨な世界で、国が開催するマラソン大会の選手に選ばれた姉(もちろん普通のマラソン大会ではない。私の考えでは軍の特攻要員の招集令状を突きつけられる感じなのだろう)。労働力として認められない者が手にできる唯一の栄誉とされていたが、出発前夜に姉は家を抜け出し…。

狂った世界のシステムに反乱して死に至る存在がはみ出し者・狂人として片付けられるという筋書きの中で、本当に狂っているのははみ出し者の方なのか?マジョリティ側ではないのか?と問うスタイルは本作を通して一貫しているように思う。今後リアルの世界が狂気と欺瞞に満ちていく過程で、私はおかしいと声をあげ続けることができるのだろうか。それとも、じわじわと水温をあげつつ茹でられた蛙は逃げ出すタイミングを掴めずに茹で殺されてしまうという逸話のとおり、狂気の渦に飲み込まれて流されてしまうのだろうか。そんなことを考えさせられた。

 

というわけで、全編を通して人間のグロテスクさと悲哀とをまざまざと見せつけられ、オナカイッパイである。面白い本ではあるが、積極的にオススメはしない(2回目)。それにしても、尻のでかい女の描写がやたら出てくるのは作者の性的嗜好ですかね?