buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

やっと物心がついてきた

齢35にしてやっと身の回りのことをいろいろ考えたり工夫したりできるようになったというのは、まことに慶賀すべきことである。

生活していて「なんかよくわかんないけど快適じゃない、楽しくない、ダサい…」ぐらいの知覚しかできなかったのが、こうすると快適だ、こう工夫すると生きやすくなる、見た目も良いみたいなことがだんだんわかってきた。

なんといっても大事だなと実感しているのが身繕い。辛口コメンテーターのファッションチェックをクリアする必要はまったくないが、衣服については自分なりの心地よさ・格好良さを追求するのが重要だと思う。去年の夏はかなり精神状態が悪かったのだが、今思い起こせばかなりテキトーな服を着ていた。好きでもない野暮ったい形のジーンズ、ヨレヨレのシャツ、作業服など。最近恥ずかしながらオシャレに目覚めて、気に入った服を少しずつ買い揃えているのだがこれが精神衛生上大変良い。

朝布団でウダウダしていても「きょうはあのカッコいい柄シャツに白いガウチョパンツを合わせよう」と思うと、不思議とすんなり身支度を済ませて会社に向かうことができるのだ。

 

あと、髪型。私は長年顔の輪郭にコンプレックスがあって、顔の輪郭が隠れるような髪型ばかりしてきた。でも今日そんな拘りが吹っ切れて、「自分の顔の輪郭が残念だったところで、それは畢竟どうでもいいことだ」と思い顔の両サイドの髪を三つ編みにしてねじり上げピンで止め、顔の輪郭と額を全部露出した。そのまま1日過ごしたらメチャ快適だった。顔の皮膚が妙に敏感で、垂れてきた髪の毛が頬に触れるたび異様なむず痒さに煩わされていたのが一切なかったし、俯いても髪の毛が気にならない。

いままで自らの顔面に拘って、髪の毛の垂れを我慢していたのがあほらしいぐらい快適だった。これからはピンを活用して髪を適当にまとめあげて暮らし、髪を肩以上の長さに伸ばしていこうと思う。

今までずっと髪の毛の手入れが下手で、短くしても少し伸ばしてもどこか野暮ったいし鬱陶しかった。めんどくさいのは嫌だ、でもなんとか容貌のまずさを誤魔化したいという後ろ向きな願望であれこれ髪型に悩んできたけど、いまは長く伸ばして楽しくアレンジできるようになりたいという前向きな感情を大事にして髪の手入れをしようかなと思っている。

 

そして表情。私の顔は写真写りが良くない。カメラに向かうと「顔がまずい自分なんて、どうせ」みたいな自意識が働いて表情が強張るからだと分析している。表情筋を動かすことに羞恥心が働き、中途半端な表情しか作れない。なので、最近自撮りをして良い感じの表情をつくる練習をしている。これもまた自己肯定感を培うための活動の一環である。

 

容姿や装いに関しては、拘泥は捨てつつ愛着を持って大事に扱うと格段に生きやすくなるなー、と今実感している。

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今年の夏買った、お気に入りの古着。