ほんわかしていない犬
id:fktackさんの20170615の「小説的」というブログ記事を読んでいたら犬の去勢の話が出ていて、それに触発されて
昔実家にいた犬のことをなんとなく思い出したから書く。ちなみにfktackさんの記事の内容とはほとんど関係ない。
トラは猟犬の血が入っていることもあり、猛々しい犬だった。
写真右がトラ。左は息子のハンター。
息子がいるぐらいだから、去勢はしていない。
親戚宅のジャーマンシェパードと流血沙汰の死闘を繰り広げたり、家から脱走して帰ってこないと思ったら近所の野犬の群れのリーダーにおさまってあたりを徘徊していたこともある。
(当時私の住んでいた地域はかなりユルい感じで、ふつーに犬が放し飼いされてたり、野犬が何匹もうろついたりしていた)
トラは当世風のドッグランだのドッグカフェだの(もちろん昔の居住地ではそんな洒落たもの存在しなかったが)で他の飼い主や飼い犬と社交をたしなむような、
大人しくて人間からのウケがいい犬ではなかったけどいい犬だった。
家族にはわりと友好的だったし。
庭をパトロールしたり、やんばるの山を走り回ったりしていた。
トラのことを回想して結論めいたものを導き出そうというつもりは特にない。
こんな犬もいたんだよなー、と懐かしくなっただけである。
ただ、トラのことを思い出すと
強面な犬がいてもいいし、無理して全ての犬と仲良くしなくていいし、世間のウケを気にするがゆえに去勢しなくてもいいし(健康面などを考えての去勢は別の話だと思う、今言ってるのは飼い主が周りの目を気にして去勢するケース。去勢自体の是非は色々議論があってむずかしい)、無理して飼い主飼い犬のコミュニティーに入らなくてもいいやー、と思って気が楽になるというのはある。
ドッグランやら公園やらで犬とその飼い主が会うと、あ、こんちわー、いくつですか、一緒に遊ばせて大丈夫っすか、なんつって関わりがうまれ、関わりが関わりを呼び
社交場の様相を呈し
結構なことであるよなあと思う反面、煩わしさを生む側面もある。
今読んでいる町田康の「ホサナ」にもそれに関連した興味深い描写が出てくるので、後日ブログに書きたい。
子供の親同士の交流に似てるんじゃないかと個人的に推測している。
ネコの飼い主もそういうコミュニティー絡みのあれこれとかあるんだろうか。少し気になる。