buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

大正義、町田康

「大正義」というのは、2014年6月現在、インターネット掲示板でよく使われるスラングである。元々、読売ジャイアンツの日本野球界における俺様主義を揶揄する呼称として使われていたのだが、転じて「野球に限らずあるジャンルにおいて、他の追随を許さぬほど強大な力を誇るもの」という好意的な意味でも広く使われるようになっている。

よく見かける用例は、贔屓の女優やグラビアアイドル、女性アニメキャラを持ち出して「大正義○○ちゃん」と褒め称えるものである。私の見受けるところ、ネット掲示板の投稿者は良い/悪い、好き/嫌いという自分の考えを、大げさな言辞で強調する傾向にある。匿名性が強い場では、自身の信念を不特定多数の他人にアッピールするために、おのずと強い意味を持った言葉で発言せざるを得なくなるのであろう。

 

同様の例としては、「神」が挙げられる。日常生活では軽々しく口に出すのも躊躇われる言葉だが、ネット掲示板利用者は極めて気軽に他人を「神」呼ばわりする。

知っておくとちょっと便利な生活上の豆知識を教えてあげたり、綺麗な御婦人のエロ画像をアップロードするだけで「あなたが神か!」「神が降臨したぞ!」という賞賛の嵐が巻き起こる。また、匿名掲示板において、好色な男性ユーザーの歓心を買うために自撮りの扇情的な写真をアップロードする痴女女性は、嘲笑と賞賛の両方の意をこめて「女神」と呼ばれる。今日もワールドワイドウェブの片隅で、名も知らぬ神々が量産されてゐるのである。

これらのことから、ネット掲示板の住民は多神教であるという結論が導き出される。って、そんな莫迦話はどうでもいいン。

 

作家・町田康は私にとっての大正義である。「文体を完コピしたい、むしろこんな面白い文章が書ける人の脳味噌に成り代わりたい」とまで思った作家は、いまのところ彼だけである。彼の持ち味は、独創的かつ疾走感・躍動感にあふれる文体である。僭越ながら、今回は町田康の文章の特徴を挙げ、その魅力に迫る事とする。イエイ。

 

1.動詞の連用形をしばしば名詞化して使う。例:「予定の遅延→予定の延び」「会社の焼失→会社の燃え」。この語法は、特に文章に躍動感をもたらす。人が頭の中で文を組み立てる上で、ある動詞に対応する名詞を一通り探してから文章の体裁を整えてアウトプットするのがスタンダードな方法である。具体的には、「うわー予定が延びてしまったなあ。延び、延びって二字熟語で言うと何だっけ。延、延、延長…はちょっとニュアンスが違うか。あ、遅延。そうそう遅延ね。じゃあ、この報告書の書き出しは予定の遅延により、として…」という事をコンマ1秒の間に考えながら文章を組み立てるのが人の常。その、動詞を既存の名詞・熟語に言い換えるプロセスをすっ飛ばして、ある現象を表す動詞を連用形のまま叩きつける事で、作者および作中人物の急調子な感情の奔流、もどかしさ、焦り等が臨場感をもって読み手に迫ってくる。拙ブログのタイトル文にある「暴れ」「生き延び」は、町田康を意識しての所業。

 

2.特徴的な、お気に入りと思われるフレーズ各種。例:「珍妙な」「畜肉」「痴れ者」「(マレー熊・ヒトなどの動物が)左右に揺曳」「(人の叫ぶさまを指して)哭く」「三下奴」「ベリークール」など。他にも色々あるが、このあたりは取り敢えず複数の作品にわたって何回も出現する語句たちである。

なかでも「珍妙な」と「畜肉」は、日常生活に応用しやすいせいもあり、すっかり私の口癖になってしまった。ひとつひとつの言葉の響きや字面への愛着が、人一倍強いのではないかと思われる。ここの場面の描写は、「へんてこな犬」でも「おかしな犬」でも駄目なんだよ!あくまでも「珍妙な犬」なんだよ!

みたいな。ベリークール。

 

3.口語体と文語体、堅苦しい日本語と外来語の混合が生み出す疾走感。

煩悶&懊悩、肝胆相照らす仲、渇して盗泉の水を飲まず、況や・・・をや。みたいな小難しい言葉・言い回しを連発していたかと思うと、地の文で語り手が、まじワリーつってんじゃん。こんど埋め合わせすっからさー、とバリバリの軽薄な口語体で独白を始めたりする。それがたとえ戦国時代を舞台とする時代小説でも、時代がかった堅苦しい説明文で話が進んでいるのに、侍がいきなり「こんどの暗殺計画で下手こいちゃってさー、リストラされるかもしんね。最悪打ち首かもな」とボヤいたりする。破調的で滅茶苦茶でおもしろい。かと思うと、エッセイで「僕のこだわりは、すだちをあまりきつくスクイーズしすぎないことかなあ」「小生のフェイバリットなこけしを紹介するぜ」みたいにカタカナ英語をぶち込んできたりする。ルー大柴ではない。とにかく、語彙が非常に豊富であり、読んでいて魅了される。彼の作品を読んでいると、知らない単語が頻出するので辞書が欠かせない。

 

4.文化的素養の多彩さ

町田康はむっちゃ読書家である。本以外にも上方落語や時代劇や河内音頭浪曲、ロックミュージック等にも通じている。おもしろい文章を書けるようになるには、やっぱり色んな本や演芸に触れ、色んな文章・言語にアンテナを張っておくのが必要不可欠なのだろう。他作家の書評も多数手がけており、彼の書評をよむと大抵の本が面白そうに思えてくるので困る。余談だが、今なおすぐれた映画解説評論家として名を遺す故・淀川長治氏の映画紹介を聞くと、どんなツマラナイ三文映画でも面白そうに感じられて期待して観た結果ガッカリする、という話を昔知人から聞いた。伝達者の技量により、ある物事の価値や求心力は上昇も暴落もするのだ。伝達者の言語スキル・表現スキルの重要性を痛感する。

 

4.宮沢賢治太宰治筒井康隆の影響?

 ぜったいこの三名の文章には影響を受けているはずだ、私が読んでそう思ったので断言する。