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buried alive (生き埋め日記)

日々の生き延び・魂の暴れを内省的にメモる。

誕生日プレゼントにリクエストする本じゃないだろう

<無題>

と、今になって思うのが

悪徳の栄え』(著:マルキ・ド・サド 翻訳:澁澤 龍彦

である。

 

17歳だった私は、友人から誕生日に何の本が欲しいかと訊かれて

何を思ったのか、この本をリクエストしたのである。

現在の私がもしその場に居合わせたら、ヘッドバットをかまして止めに入り

「じぶんで買え。友達の気持ちを考えろ。そして、リクエストを星の王子様か星野富広詩集かなんかに変更しろ。早急に」

とアドバイスするであろう。

サドはフランス革命期の貴族・作家である。サディズム(嗜虐性)の語源となった人物である。

電車とかで蓮っ葉な小娘の類が、アタシSっ気があるからさあ、などとほざいているが

彼の偉業は後世の、フランスから遠く離れた日本の若者にまで影響を及ぼしているのである。ゆかしいことである。

って、当時17歳の私はサディズムの元祖が書いた本ってどんなものなのかなぁ

という軽い好奇心で『悪徳の栄え』を読んだのだが、後悔した。

 

美徳を信じたがゆえに悲惨な運命にみまわれ不幸な人生を送るジュスティーヌの物語と対をなす、姉ジュリエットの物語。妹とは逆に、悪の哲学を信じ、残虐非 道のかぎりを尽しながら、さまざまな悪の遍歴をかさね、不可思議な出来事に遭遇するジュリエットの波爛万丈の人生を物語るこの長大な作品は、サドの代表作 として知られ、サドの思想が最も鮮明に表現された傑作として知られる。

 ーーーamazonのBOOKデータベースより引用。

あらすじは上記の通り。

既存の“美徳”という概念に縛られた社会を否定し、一般的に“悪”とされる事柄の賛美を通し、秘匿された人間性の解放を声高らかに謳い上げた大作である。

 

「…自然が善をつくることができたのも、もっぱら悪の力によるのであり、自然が存在しているのも、罪の力によるのであって、もし地上に美徳しか棲まなかったら、すべては破壊されるだろう。…(『悪徳の栄え』上巻からの一節)」

など、心の琴線に触れるような理念が散りばめられてはいるのだが、

詳細且つねちっこく綴られる主人公&その一味の

悪行三昧及び逸脱行為の描写が、とても神経に応えるのである。

 

えーと、殺人、罪無き人々の大量虐殺、獣姦、人肉食、近親姦、スカトロジー、各種虐待行為等々、とてもバラエティーに富んでいて、はっきり言って、今挙げた単語を文章に打ち込むことすら、凡人の私はげっつい抵抗を覚えたのだが、まぁ

facebookでもなんでもない個人ブログで取り繕うのも馬鹿馬鹿しいからこうして書いてしまうが、これを仮に普通のエロ本と同じ用法で使う人がいたならば、絶対その人とは係わり合いになりたくない っていうか今、私は動揺しながら文章を打つと読点の入力数が増えるのだなあ、という新しい発見をして…

 

と、あまりの凄惨さに現実逃避をしてしまいたくなったが、強引に話を戻すと、この本を読んで得られた収穫は、何が悪で何が罪なのか。その絶対的な規範は有るのか。自分の良心が痛む事が罪や悪にあたるのならば、じゃあその良心は一体何から構成されているのか。

と自問自答する機会が得られた事である。この自問自答は死ぬまで続くと思う。

この本もだいぶ長い事読んでいないが、いま読み返したいかというと、

今読むと確実に自我が崩壊してしまうので読まない。

ある種の本は、読み手の精神状態を選ぶものだとは言うが

この本を読んでも持ちこたえられるほど強固な精神状態は果たして訪れるのか?

悪徳の栄え』の対となる『美徳の不幸』を紐解く日は来るのか

(こっちのが読むのがよりストレスだとふんでいる。主人公の善人が、サド的世界観の中で徹底的に虐げられる内容らしいから)、誰にもわからない。

 

幸い、当時の私の無謀なリクエストにこたえ苦笑いしながら

この『悪徳の栄え』を私に渡してくれた当時の友人は、いまでも私の友人である。

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ジュスチーヌまたは美徳の不幸 (岩波文庫)