20170709
悪童日記を読み終えた。
人間の性(さが)に迫りながらも、悲壮感や感傷を感じさせずスッキリと読ませる、
戦争を扱った小説にしては不思議な読後感をもたらす作品だった。
かなり好きな感じ。
しばらく繰り返し読むと思う。
犬のこと。
親戚犬と、その飼い主Sさんと川に遊びに行った。
わが家の飼い犬タローは、Sさんのコーヒーを失敬して味見したり、水鉄砲にかじりついたり、Sさんのカバンに鼻を突っ込んで漁ったり、
Sさんが切り分けてくれた桃を盗み食いしたり、通りすがりの少年のゴーグルを咥えて練り歩いたりとやりたい放題。絶好調である。
しかし、帰宅後タローは日射しがこたえたのか
味見したコーヒーのせいか体調を崩してしまった。
何度も食べたものを戻し、気持ちが悪いようで夜もほぼ眠れていなかった。
翌日になっても食欲がなく、心配して家で休みながら様子を見ていたら徐々に回復。
午後軽めの散歩に出かけた時砂まみれのフンをたくさんしたらしいのだが、そっからスッキリしたのかだいぶ元気を取り戻した。
地面にこぼれたコーヒーをぺろぺろ舐めた時に、砂をたくさん飲み込んでいたらしい。
仕方のない犬だ。
親戚犬と。左がタロー。
若くて、まだいたずら盛りだ。
ほんわかしていない犬
id:fktackさんの20170615の「小説的」というブログ記事を読んでいたら犬の去勢の話が出ていて、それに触発されて
昔実家にいた犬のことをなんとなく思い出したから書く。ちなみにfktackさんの記事の内容とはほとんど関係ない。
トラは猟犬の血が入っていることもあり、猛々しい犬だった。
写真右がトラ。左は息子のハンター。
息子がいるぐらいだから、去勢はしていない。
親戚宅のジャーマンシェパードと流血沙汰の死闘を繰り広げたり、家から脱走して帰ってこないと思ったら近所の野犬の群れのリーダーにおさまってあたりを徘徊していたこともある。
(当時私の住んでいた地域はかなりユルい感じで、ふつーに犬が放し飼いされてたり、野犬が何匹もうろついたりしていた)
トラは当世風のドッグランだのドッグカフェだの(もちろん昔の居住地ではそんな洒落たもの存在しなかったが)で他の飼い主や飼い犬と社交をたしなむような、
大人しくて人間からのウケがいい犬ではなかったけどいい犬だった。
家族にはわりと友好的だったし。
庭をパトロールしたり、やんばるの山を走り回ったりしていた。
トラのことを回想して結論めいたものを導き出そうというつもりは特にない。
こんな犬もいたんだよなー、と懐かしくなっただけである。
ただ、トラのことを思い出すと
強面な犬がいてもいいし、無理して全ての犬と仲良くしなくていいし、世間のウケを気にするがゆえに去勢しなくてもいいし(健康面などを考えての去勢は別の話だと思う、今言ってるのは飼い主が周りの目を気にして去勢するケース。去勢自体の是非は色々議論があってむずかしい)、無理して飼い主飼い犬のコミュニティーに入らなくてもいいやー、と思って気が楽になるというのはある。
ドッグランやら公園やらで犬とその飼い主が会うと、あ、こんちわー、いくつですか、一緒に遊ばせて大丈夫っすか、なんつって関わりがうまれ、関わりが関わりを呼び
社交場の様相を呈し
結構なことであるよなあと思う反面、煩わしさを生む側面もある。
今読んでいる町田康の「ホサナ」にもそれに関連した興味深い描写が出てくるので、後日ブログに書きたい。
子供の親同士の交流に似てるんじゃないかと個人的に推測している。
ネコの飼い主もそういうコミュニティー絡みのあれこれとかあるんだろうか。少し気になる。
ひたすら怠い
家事はもちろん、入浴とか、
カバンからものを出すとか
炊いたご飯の残りを冷凍するとかそういう細々したことが億劫になっている。
仕事で注意を受けた。
実験ノートはその日のうちに記入を完了させるということ。
あとは、電気泳動でサンプル間の重量を揃えて泳動すべき時に、
細かい計算がめんどかったのでおおざっぱに合わせたら、それだと重量がバラついていると言えるレベルで違うので、コンマ数μg単位で合わせてくれと指摘された。
いつもは注意を受けると恐縮するたちだが、きょうはめちゃくちゃ怠いのが申し訳なさを凌駕していたので
なんとも思わなかった。
この上司はいい人で、
何か注意する時に
「この部分は良かった、でもここはもっとこうすべきだった」というフォローを必ず入れてくれる。
きょうも、ノートに書いた目的の説明文と、濃度の計算式の書き方は良かったと
フォローされた。
とりあえずSDS-PAGEはやり直して事なきを得た。
忘れないうちに犬の日記を消さなければならない。
これから犬にめちゃくちゃ愛着が湧いて更にかけがえのない存在になって、思い出が貯まっても結局どうでもいい事だからだ。ネガティヴなことを書くとそういうのは良くないとも言われるし。
ネガティヴなことを書けない日記なら意味がない。
とにかく最近は休む事、サボる事以外ほぼ眼中にない。
自分の生活の質には波があって、こういう風に下降するのも珍しくない。例年、暑くなってくるときに調子がさがる傾向にある。
こういう時は、お茶を濁してやり過ごしていればいつしかまた落ち着くことも分かっているので、まあダラダラやるしかないのだろう。
いまの精神科の医者は特に気に入ってない。
女は仕事から帰ったら、家事をして身支度も難なくこなして当たり前みたいなスタンスを感じる。人間はもっと活動的であるべきで、おっくうさを感じてもいけないらしい。昼間に眠くなるのもおかしいらしい。この人にはとてもありのままのことを言う気がしない。
めんどくさいので、薬をもらうためと、精神科に通っているという実績を積むためにかかっている。
午前中は有機溶剤の特殊健診を受けた。
血管が難しい腕らしく、いつも採血を手こずられるのだが
きょうの採血係はめちゃくちゃ上手で、一発で採血が成功し、青タンにもならなかった。
今日書きたいことはそれぐらい。
町田康さんの「ホサナ」刊行サイン会へ
大好きな作家である町田康さんのサイン会へ行きました。サイン会に行くこと自体初めてなので勝手がわからず緊張。
だいぶ早めに着いてしまったのでその辺の本を眺めたり手に取ったりしたものの、気持ちが昂って心ここにあらず。
ふだんは見向きもしない小学生用のドリル・アイドル写真集・物理学の本などを無意味に手に取ったり戻したりうろついたり、
完全に怪しいヒト。
時間がきたので町田さんがいるイベントスペースへ。
本物だ、カッコいい~。
じぶんの番が来るまで、他のファンたちにサインを書いたり談笑したり握手したりしている町田さんの様子をガン見。
なのに、細かい服装とか眼鏡をかけてたかどうかすら今思い出せません。舞い上がってたんだな…
私の番がきました。
荷物はかたわらのテーブルに置き、整理券と著作「ホサナ」を係員に渡す。
お手紙書いてきたんですけどお渡ししても良いですかね?と案内係に訊くと、
町田さんのそばに控えている補佐役の女性が受け取ってくれるとのこと。
芳中の犬の絵が描かれたポストカードにメッセージをしたためたものをお渡ししました。
これはどうも、と横で軽く頭を下げる町田さん。ヤッター。
手紙に書いたのは、じぶんの家でも犬を飼っているから犬が出てくるシーンは身近に感じますとか、面白くて同じとこを何度も読んじゃうから先に進めないとか、本の感想です。
お願いします、と挨拶して町田さんが為書きを始めたタイミングで
「長野県から来たんです」と話しかけてみました。
「えっ?長野?」とこちらの目をまっすぐに見て聞き返して下さり、ドギマギ。
色褪せた感じの黒目と、真面目な表情が印象的で完全に舞い上がってしまいました。
「そりゃあどうも。中央線で?」
「ハイ、どうしても今回来たくて」
「いやあ、ありがとうございます」
あとは、
「途中まで読んでるとこなんですけど、とても面白いです」
「ありがとうございます」
「(補佐役の女性)どこまで読まれました?」
「バーベキューのシーンを繰り返し読んでる感じです」
「(町田さん&周りのお付きの人たち)うん、うん」
にこにこ。
最後は町田さんから右手を差し出して下さり、握手させていただきました。
暖かかった~。私の手は緊張で冷え冷えだったので恥ずかしかった…
サイン。宝物です。
ホサナ(聖書関係の言葉で、私を救ってください、というような意味だそう)は
愛犬家が集うバーベキューが発端で
主人公とその犬が不条理な世界に巻き込まれる、みたいなストーリーで人の普遍的な苦悩、業、そんなものが描かれている感じです。
読み終わったら感想かいてみます。たぶん。
文章など
「人生で何が起きても全て人生上の演出です、と言って済ませればオールオッケー」
みたいなことを言ってる人がいていいなーと思った。
町田康のホサナを読んでいる。
導入部分は愛犬家たちがドッグランでバーベキューをするところから始まっていて、犬を飼っている身としては心を掴まれた。
ただ、めちゃ分厚い本なので読破するのには時間がかかりそう。帯に書かれた
「俺はどんな世界も作りたくない。どんな世界も作らないことが俺の目標だよ。ほおっておくと世界が作られてしまうからな」
という一節が印象的だ。
じぶんの志向として、やはり文章に触れるのが好きなんだと思う。
もっと文章に触れるにはどうしたらよいだろうか。読書、ツイッター、ブログは続けるとして、他になにか刺激がほしい気もする。
翻訳か校正の勉強をしたら面白いだろうか。漢字検定の勉強をしても良いかもしれないと思っている。